My darling※I do not let you goの続きです。


ユウ(18)……ティエドール(芸術家)の息子。高校三年。
ティキ(26)……シェリルの弟。ティエドールの助手歴半年。









「んー、もうちょっと足を後ろに引いてくれるかな?…うん、そうそう」

ユウという味方を無意識の一言で無くし、ティエドールの絵のモデルをやらされるようになってから三か月。慣れた、と言うにはまだまだ抵抗感の抜けていないティキだが、少なくとも逃げ出すと言うことはしなくなった。
ここ一カ月程はティキが逃げる気を無くしたのが伝わったのか、ユウもその場にいることはいるが鋏を持ち込まなくなり、ただじっとティキの様子を観察している。

「そのうち男女の絵も描きたいなぁ……それはそうと、ねえ、ミック君。そろそろ絵画教室でモデ――」
「嫌です」
「うーん……」

変わったと言えば、ティエドールにも変化が見られるようになった。ユウの変化とは違い、彼の変化はティキにとって良いことと悪いことが一つずつある。
先ず良いことは、少し前までは取り敢えずティキのヌードを描きたがっていたが、最近では洋服を着たままのクロッキーも行うようになってきたということだ。今日は上半身は裸だが、普通に服を着られる時もある。もともと、洋服を着たままならモデルをしても良いと言っていたティキにとってはやっとといったところだが、いつまでも裸を描かれるよりはマシと言うものだろう。
そして、悪いことは、絵画教室でのヌードクロッキーをやりたいと言い始めたことだ。ティキに洋服を着ていいと言ったことからわかるように、ティエドール本人はティキのヌードクロッキー等をかなりの枚数描いており、そうなれば己がティキのヌードを描くことで精一杯だったティエドールの頭は教え子たちのことを考える余裕ができる。考える余裕が出来れば、この素晴らしい体を教え子たちにも描かせてやろうと思う。
ティキはそれらしき話がティエドールの口から出そうになる度にそれを遮って断っているが、またユウが鋏を持ちだして脅しやしないかと内心冷や冷やしている。

「…良し、今日はここまでだ。ありがとう」

三度ポーズを変えた後、ティエドールが木炭を置いてティキに今日の仕事の終わりを告げた。ティエドールが画材道具を片づけている間に台から降り、十分間動かせずにいた体を思いきり伸ばす。
ユウはずっと黙って定位置の椅子に座ったまま動かずにいたが、ティエドールが汚れた手を洗う為に部屋を出て行き、ティキが隅のテーブルに畳んで置いていたシャツを手にとって着ようとしたところで、漸く椅子をガタリと鳴らして立ち上がった。

「この仕事も悪くないだろ」
「…まあ、前ほどは悪くねぇかな。服着れるようになったし」

突然のユウの言葉に戸惑いはしたが、気分的に楽になってきたことは確かなので正直な気持ちを話す。ティキの返事を受けて一瞬だがユウの口が嬉しそうに弧を描くのをティキは見逃さず、もしかするとティエドールにティキを渡したのはこの仕事をやりたいと思ってやっているわけではないと言ったからなのではと思った。

「…そういや、ユウ、勉強はいいのか?」

会話がなくなって十分、身だしなみを整えたティキが箒で仕事場の床を穿き終えてもまだユウは仕事場から出ようとしない。助手と言う名のモデル兼雑務であるティキはまだこの部屋でやらなければならないことがあるが、ティキがモデルをしてる間の見張りが役目のユウにはもうここにいる理由はないはずだ。
大体、高校三年生だと言うのにユウには勉強をしている様子がない。すでに外に出るにはコート等の防寒具が必要になり始め、高校最後の学年にもなれば大学へ進学する為の勉強のまとめに入っている頃だ。
それなのに何故そんなにのんびりと出来るのか尋ねると、ユウはふん、と鼻を鳴らした後「大学へは行かない」ときっぱり言った。

「え、行かないの?」
「行ける頭持ってねぇし」
「そりゃ勉強してねぇからだろ。勉強すりゃいいのに。今のご時世、大学選ばなけりゃどこでも行けるって聞いたけど」
「大学出ても就職出来るかわからねぇからヤダ」
「ヤダって…俺大学行ってねぇから聞いたことだけど、何だかんだで楽しいらしいぜ?合コンとか、色々」
「最初に合コン出てくるって、碌な奴から聞いてねぇだろ。今何やってんだそいつ」
「…まあ、俺と一緒でフリーターだけどさ、」

以前ティキが三か月のバイトをしていたところで知り合い、意気投合した友人だ。ぱっと見悪人面で怖そうな男だが、話してみれば気さくでティキと好みも合う。ティエドールの助手を始めてからは会う回数が著しく減ってしまったが、日雇い暮らしだった頃は週の半分は彼と、もう一人の友人と会って酒を飲んでいた。

「お前、フリーターじゃないぞ。親父、一応会社みたいなの作ってるからな。助手とか言ってるけど、一応正社員だから」
「えっ」

てっきりアルバイトのつもりでいたティキにとって、ユウの言葉は思いがけないものだった。

「会社何てあんの?」
「会社っつーか、事務所っつーか、なんか、そんなやつ。親父の作品、ゼロのがいくつあるか数えるのも馬鹿らしくなる金額で売れるからな、そっちの方が管理が楽らしい」
「ゼロ数えるのが馬鹿らしいって、あの人の作品、そんなにいい値がつくのか?」
「最低でも七桁後半はつく」
「七桁っつーと……」

一、十、百、……と指を折りつつ数えていたティキだったが、七本目の指を折り曲げたところでぽかんと口を開けたまま固まった。
絵の価値がいまいちわからないので、一作品が最低数百万という値がどれだけのもので、ティエドールが芸術家の中ではどのあたりのランクにいるのかは全くわからなかったが、それでも、一つの作品がティキの年収を軽く超えていることはわかる。

「…こんな豪邸建てられるわけだ」
「親父から聞いたぞ、アンタのとこだってかなりの金持ちなんだろ。資産だけで千年は暮らせるとかなんとか」
「その千年云々ってやつ、都市伝説だぞ。まあ、それが本当だとしても、そりゃ俺の父親のこと」
「…それに、政治家とか、科学者とか、いろんな分野で活躍してるって」
「ああ、俺以外はそんな感じだな。俺は一族の中じゃ落ちこぼれでね」

肩を竦ませると、ユウはじっとティキの顔を見て溜息を吐いた。

「天は二物を与えなかったか」
「あ、そこは俺も思う。世界一の大学へ行ける学力なんて望まねぇけど、もう少し勉強できる頭にしてもらいたかった。それか、女に貢がせられるくらい達者な口が欲しかったね」
「そこは謙遜しろよ。見た目がいいって認めんのか」
「ガキの頃から、それだけは良いって言われてたからな。唯一の長所くらい褒めてやらねぇと」
「それ、むしろ馬鹿にされてるってわかってるか?」
「わかってる。お前は黙ってろってよく言われたしな。彼女出来ても、喋ってたら呆れられて終わった」

結局、顔だけ良くてもそれを活かせる頭が無ければ一生を添い遂げようと言う気にはなれないのだとティキは思う。まだ結婚する気はないが、生活態度か性格か、もしくは他の何かを改めなければ一生結婚できそうにない。

「ユウだって、正直なところ俺と似たようなもんだろ?見た目は良いけど、頭は…みたいな。しかも、俺に比べて社交性が低い」
「喧嘩売ってんのか」
「だって、いつも授業終わり寄り道してねぇみたいだし、休日も滅多に出かけねぇ。友達いんのかって思うだろ」
「一人はいるぞ」
「一人だけ?」

少なすぎやしないかと眉を顰める。だが、ユウはそんなティキの様子を見て腹立たせることもなく、平然とした表情でまた口を開いた。

「一人いれば十分だろ。何でも話せる奴一人いれば、問題ない」
「……あ、親友ね」
「友達だ」
「え、だって、何でも話せるほど仲がいいって、親友じゃねぇの?」

ただの友達なら、何かしら話せないことがある。どんなことでも気兼ねなく話せると言うのなら、それは友達よりも親しい存在なのではないかとティキは思うのだが、ユウの中には親友と言う定義はないらしい。

「ま、何でも話せる友達がいるのは、良いよな」
「お前にはそんな友達いねぇだろ」
「な、いるって!酒飲み友達とかさ!酒飲めば何でも話せるんだよ」
「それどうなんだ?」
「…ま、よく遊びに行く友達はいるよ」

確かに、酒の席でないと話せないことがあると言うのは親友とは言えないのかもしれないが、それでも、ティキにとってはいい加減な性格のティキと付き合ってくれている大切な友達だ。

「あ、まだここにいたのかい?もう夕食の準備出来てるよ」

手を洗いに行ったきりなかなか帰ってこないと思っていたが、どうやら手を洗った後そのままキッチンへ行ったらしい。ティエドールが開いたドアの隙間から顔を出し、二人に向かっておいでと手招きをする。

「ユー君、今日は片づけの当番だから忘れないようにね。すぐに部屋に戻っちゃだめだよ」
「こいつがやるって言ってました」
「はっ?!」

自分に関係のない話だと聞き流していたら、突然ユウに指をさされた。話を聞いていなかった為、何故ユウに指を差されたのかわからず戸惑っていると、ティエドールが苦笑してユウの肩を叩いた。

「ユー君、ミック君はユー君の召使じゃないよ。自分の嫌な事を押しつけたりしちゃ駄目だ」
「……チッ」
「舌うちも良くないなぁ」
「……すみません」
「悪いね、ユー君に付き合わせちゃって」
「いえ、別にいいんですけど、」

何の会話をしていたのかもわからないので、謝られても何に対して謝られたのかわからない。
だた、取り敢えず謝られるようなことはされていないはずだとティキが適当に返事をすると、ティエドールはキョトンと目を瞬きさせ、「じゃあ、」と言ってユウの肩に乗せていた手をユウの頭に乗せてにこりとユウに笑いかけた。

「ミック君に手伝ってもらうといいよ。別にいいそうだから」
「そうします」
「え、何」

適当に答えただけなのに知らないところで話が進み、戸惑う。
食堂へ行く途中にユウに食後の片付けを手伝えと言われてわかったが、何でも適当に返事をするべきではないと思い知った。








「……あれ、」

年が明けて数日後、ティキはいつものようにティエドールからモデルの仕事を頼まれ、ティエドールの仕事場へやってきた。
だが、ドアを開けるとそこには誰もおらず、眉を顰めて時計を確認する。指定されたより五分ほど早いが、いつもならばすでにティエドールがいるはずだ。
暫く待ってみるかといつもユウが座っている椅子に腰かける。

「へぇ、」

今はティエドールがいつも使うイーゼルも台も片づけられているが、いつも台に立っているティキには、この場所に座っていれば台に立っているモデルのことも、ティエドールが描く絵もよく見えることが容易に理解できた。
ずっとティキが逃げ出さないか見張っていて退屈ではないのかと不思議に思っていたが、これなら少しは暇つぶしができるのだろう。ティエドールが絵を描いているのを最初から最後までじっくり見ることができると思えば、ティエドールのファンにとっては高額を払ってでも座りたい場所に違いない。

「やあ、待たせちゃったね」

指定された時間になると、ティエドールが白い布を手にやってきた。後ろにはマリがおり、マリは沢山のクッションを抱えている。

「何ですかそれ」
「今日の絵に使うんだ。台用意してくれるかな?」

ティキが台を出すと、ティエドールが白い布をティキに預けて台の上に様々な大きさの箱を置きだした。中に何が入っているのかはわからないがかなりの重さがあるようで、一つ置くたびにティエドールが大きく息を吐く。

「マリ」

満足のいく場所に箱を置くことができたのか、今度はクッションを持っていたマリに声をかけてクッションを受け取る。
また一人で作業しているティエドールを見て、手伝わなくていいのかとマリに尋ねると、「あれも絵を描く工程の一つらしい」との返事だった。絵を描くのはティエドールなので、ティエドール本人が納得のいくセッティングをしたいと言うことなのだろう。

「うん、出来た」

いつ終わるのかとティキが時計をちらちらと見ながらティエドールの作業を見守ること二十分。云々と唸っていたティエドールが漸く台から離れ、ティキの方を向いた。
やっと仕事かと台の傍へ行き、ティエドールを見る。マリは礼をして仕事場から出て行った。

「今日はヌードで描くから、頼むよ」
「…はあ、」

台を真剣な顔でセッティングしていた割にはただのヌードかとがっくりし、諦めて服を脱いでいると、コンコンと音がしてユウが入ってきた。
どうせまたいつもの場所に座るのだろうと気にせずにいたのだが、驚いたことにティキの隣で服を脱ぎ始めた。

「は?」
「何だよ」
「え、いや、だって、何で脱いでんの」
「ああ、ミック君には言ってなかったねぇ。今日は二人にモデルしてもらおうと思ってね」
「はぁ?!」
「前言ったじゃないか。男女の絵も描きたいって」
「どっちも男……!」

はっとしてティキがここにやってきた時から飾られている絵画を見る。顔の分かりにくいポーズをとっているその女は、自分がモデルをやったとユウが言っていた。それに、ティエドールが女のモデルを雇ったことが無いとも。

「君とユー君で男女の絵を描けるんじゃないかって、ユー君がアドバイスしてくれてねぇ。いや、二人とも素晴らしい体をしているから、良い絵になるよ」
「何でそんなアドバイスしたんだよ!」
「ずっと見てて暇だった」
「じゃあ見てないで部屋に戻るなりすりゃ良いだろ」

ティエドールがウキウキと絵画道具を出している中、ひそひそとユウと言い合う。男女の絵を描きたいとティエドールが言ったのは覚えているが、まさかこんな形で実現されるとは思っていなかった。

「そうしたら、お前逃げるだろ」
「だからってなぁ!」
「ミック君、取り敢えず台に横になってくれるかな。あおむけで頼むよ」
「っ!」

まだ覚悟を決めていない。もう少し待ってほしいと言う前にユウに思いきり背中を押され、渋々クッションだらけでやけにふわふわとした台に横になり、溜息を吐く。ヌードモデルをするのにも少しは慣れてきていたので、こんなに逃げたくなるのは久しぶりかもしれない。
ティエドールの指示を受けてティエドールが望むポーズを取った後、先程マリが持って来た白い布を腰辺りにかけられ、その上にユウが乗る。ティエドールがユウにもポーズを指示し、その指示が終えると、布越しにティキの股間から少しずれた所に柔らかいものが当たった。

「じゃあ、暫く我慢しておくれよ」

ティエドールが真っ白なカンバスに向かい、ティキの耳にはティエドールがカンバスに描いている音と、ティキの胸のあたりに顔を乗せているユウの呼吸音だけが入ってくる。

「…ん、」

ユウが身じろぎし、小さく声を出す。動いた瞬間ティキの股間のモノに柔らかいものが当たり、ギクッとしてユウを押しのけると、ティエドールが困ったように頭を掻いた。

「ミック君、困るよ……」
「いや、そう言われても、」
「まだ五分も経ってないのに」
「……すいません」
「あと十分したら休憩にするから、それまで動かないようにね」

ユウがまたティキの上に寝るとティエドールが静かになり、ユウがティキの上でティキを馬鹿にするような息を吐く。
誰のせいで注意されたと思っているんだとユウを睨むが、ユウからはティキの顔が見えない為意味が無い。

意識せずにいこうと思っていたティキだったが、再びユウが動き、さっきのような状態になる。体を強張らせながらも今度はユウを押しのけることなく耐えていると、ユウが股間を強く押し付けだした。顔は見えないが、肩を震わせているような気がする。

「ちょ、」
「どうかしたのかい?」
「……何でもないです」

またしてもユウを押しのけてしまい、ティエドールが声をかけてくる。
再びユウが横になるが、その瞬間、ユウが笑いをこらえたような顔をしたのをティキは見逃さなかった。

(遊ばれてる…)

ずっと見てて暇だと言うユウが、何もせずに大人しくモデルをするはずがなかったのだ。わざと股間を押し当てて、ティキの反応を楽しんでいるのだ。
それならばこっちだってやり返してやるとユウが身動ぎしてきたのに合わせてユウの体に隠れてティエドールから見えない方の手でユウの太ももを触る。

「なっ!」

今度はユウが飛び退く番で、ユウが体を話した瞬間に手を元の位置に戻す。

「さっきから二人ともどうしたんだい?二人って言うのは、慣れないのかな?…仕方ないね、ちょっと早いけど、十分休憩をとろう」

ティエドールがコーヒーを飲む為に部屋から出て行き、二人だけになるとユウがむっとして口を開いた。

「お前、どういうつもりだよ」
「どういうって、先にやってきたのはそっちだろ」
「俺は良いんだよ。お前は大人しくモデルやってろ」
「俺はユウの暇つぶしにされるつもりはねぇの。さっさと終わらせてぇなら、大人しくしてろよ」
「誰がさっさと終わらせたいって言った」
「……ん?」

一服してくるかと服を手に取ったところでユウが妙な事を言ったので振り返る。すると、すぐ近くにユウの顔があり、ふ、と唇に柔らかいものが触れた。

「お前のこと気に入ってやってんだ。簡単に終わらせるか。ずっと見てて思ったけど、やっぱ良いよな。お前」

唇に触れたものが何だったのか、今のユウの言葉がどういう意味だったのか考える間もなく、ティキは思考を停止させた。