No choice


ユウ(18)……ティエドール(芸術家)の息子。高校三年。
ティキ(26)……シェリルの弟。フリーターやりつつフラフラ。









ティキ・ミックにはシェリル・キャメロットという兄がいる。婿入りして姓は変わったが、今でもこの年にもなって将来を決めずぶらぶらとしているティキを心配して家に説教しに来る、ティキにとってはこの上なく迷惑な兄だ。
今日もまたバイトから帰ったティキを玄関先で待っていて、本当にげんなりしてしまう。
そして今、ティキはやはりと言うべきかリビングで正座をさせられ、ソファに座るシェリルから説教を受けている。

「いい加減さぁ、定職に就いたらどうなんだい?このご時世、就職が厳しいってことはわかってるけど、ティキの場合はアルバイトやるにしても三カ月で辞めて次のバイトって、気まますぎるよ。辞めさせられるなら同情もするけど、辞めるって……自分から辞めるって!バイト代は全部自分の為に使って家には一銭も入れないって千年公から聞いてるし、ちょっと二十六にもなってだらしがないにも程があるよ」

千年公とは、ティキとシェリルの父親で、有名な資産家だ。勿論千年公というのは本名ではない。彼の資産は何もせずに千年は暮らせる額という都市伝説からついたあだ名だが、シェリルもティキも、その噂を知ってからは面白半分で千年公と呼んでいる。

「千年公が入れなくていいって言ったからだ。そりゃ、少しは入れろって言えば入れる。ま、千年公にははした金だろうけど」
「はした金だとしても、自分の息子が稼いだお金だよ?嬉しいに決まってるじゃないか」
「へぇー」

金に困っているはずがない千年公に金を渡したところで喜ばれると思えず、適当に相槌を打つ。千年遊んで暮らせるだけの資産を持つ相手に対し、一万二万を渡したところでどうなるというのだろうか?
「あと、これも千年公から聞いたんだけど、ここのところ、三カ月で辞めるバイトすらやってないらしいね……?日雇いだって?」
「ああ、ちょっと金貯まったから、暫くは遊ぶかなと思ってさ。とりあえずダチ誘って旅行とか。日雇いだったらいつでも行けるだろ?」
「そんなの許しません!千年公が許そうとも、この僕が許さない。小さい頃は可愛らしくて優秀だった弟がどうしてこんなことに……顔は今でも美しいのに、」

泣く真似なのか、それとも本当に泣いているのか、シェリルが顔を手で覆い、肩を震わせる。シェリルは、よくティキに対して「小さい頃はこんなのじゃなかった。もっと可愛くて素直で……」と言うが、ティキとしては一度も兄に愛想を振りまいた記憶がない。物心つく前の写真を見ても、満面の笑みを浮かべているシェリルと一緒に写っているティキは笑っていないのがいい証拠だ。

「今回ばかりは、僕にも考えがある。最近はロードの中学お受験でティキに会える機会が少なくなったからね、ロードも色々やらなきゃいけないことがあるし、きっと、ティキの面倒を見てあげられるのはこれが最後になるだろう……」
「え、マジで?」

しんみりと寂しそうなシェリルに対し、正座して痺れた足を崩し、漸く兄の呪縛から解放されるかと表情を明るくする。
シェリルはティキの嬉しそうな表情を見て複雑そうではあったが、咳払いをして口を開いた。

「ティキには辛抱というものがないと僕は思うんだ。面倒になったらすぐバイト辞めてるだろう?こんなやり方、いつまでも通用するわけじゃない。だからね、僕の知り合いのところへアルバイトとして行ってもらう」
「は?どゆこと?」

辛抱がないという話だったのに、どうしてシェリルの知り合いの元へアルバイトをしに行かなければならないのかと訝しがると、シェリルはふふん、と笑って言葉を続けた。

「ティキの辛抱強さを確かめさせてもらうよ。詳しいバイト内容は本人に直接聞くんだね。簡単なことが多いだろうけど、中にはティキにとって辛いものがあるかもしれない。もしこのバイトを知り合いが指定した期間続けられたら、ティキをちゃんと認めてあげよう」
「途中で辞めたらどうするんだよ」
「その時は、僕の秘書をやってもらうよ。僕がきっちり、社会人としての何たるかを叩きこむ」
「げ、」

シェリルの知り合いのもとでアルバイトをするか、それともアルバイトせずシェリルの秘書になるか……。シェリルが婿養子として入った家も有名な資産家で、シェリル本人は政界で重要なポジションにいる。ティキが断ってもシェリルは無理矢理にでもティキを秘書にするだろう。秘書なんて面倒なもの、真っ平御免だ。
さあどうする?と尋ねられたが、ティキに選択の余地はなかった。









「はー…この家もデケェ…」

流石はシェリルの知り合いと言ったところか。ティキは、目の前にある立派な門を見てぽかんと間抜けな顔をした。千年伯爵の家は世界中にあるが、一つ一つはなかなか質素な作りで、ティキ自身は大きな屋敷を目にすることにそこまで慣れていない。やる気があると思われては嫌だからと普通に普段着に牛乳瓶の底程もあるレンズの眼鏡で来てしまった自分が酷く場違いに感じられる。否、実際場違いだろう。ふと頬を触ったら、無精髭もあった。思い返せば、今朝は顔を洗った後髭を剃っていない。

「……ま、いいか。服装どうのは書いてなかったし」

シェリルから渡された書類には住所と一回目の訪問日時しか書かれていなかった。つまり、服装にはこだわっていないのだと勝手に決め付け、門の脇に付いているインターホンを鳴らす。
シェリルから知人のところへアルバイトへ行くよう言われてから色々と考えたティキだったが、結局出た結論は、程良く手を抜くことだった。
手を抜きすぎて短期間で辞めさせられたら、それはそれでシェリルに何か言われる。かといって、長期で一つの場所で働くのは嫌だ。程良く仕事をこなし、適度にサボる。シェリルの知り合いだというのならば、突出した点がなければあまり長くは側に置きたがらないだろう。

『ティキ・ミック君かな?』
「あ、はい」
『門のカギは今開けたから、中に入って来ちゃって』
「はぁ、」

インターホンから声がして、それとほぼ同時にがちゃんと門から音がした。インターホンから声がしなくなったのを確認し、門を通って中へ入る。

門の中はさらにティキを唖然とさせた。
時代を間違えたのかと思う様な中世ヨーロッパの屋敷に、噴水、美しい花壇、石像。金持ちの道楽という言葉を表現したとしか思えない空間だ。ただ、設計されつくしたその庭は本当に美しく、芸術に全く関心のないティキでも惹きつけられる魅力がある。
庭を眺めつつ歩き、門と屋敷の中心、噴水のある場所までやってきたところで、屋敷の扉が開いた。

「……俺と変わらねぇ」

開いた扉から誰かが出てきたが、瓶底眼鏡を通して見るその人物は、屋敷に不似合いな格好をしている。言うならば、ティキの今の格好に似ていた。
もさっとした髪の毛に縁の太い眼鏡、あまり手入れされていないような髭を生やし、服には絵具らしきものがついている。服だけ見れば、ティキの方がまだ綺麗だ。

「やぁ、来てくれてありがとう」
「えっと……フロワ・ティエドールさんであってます?」
「うん」

眼鏡であまり表情は読み取れないが、恐らくにこやかに返事をしただろうティエドールは、ティキを頭からつま先まで見、ぽりぽりと頭を掻いた。

「君はとりあえず、お遣いからかな。ここで話しているのも疲れるから中へ移動しようか」
「はい」

ティエドールの後について屋敷内へ入ると、そこもまた庭に劣らぬ素晴らしい空間だった。

「あのー、すみません、こんな恰好で来ちまって」
「いや、いいよ。ちゃんと仕事をしてもらえれば、服装なんて関係ないからね」

流石にきちんとした身なりのメイドが花瓶を拭いているのを見たら謝らずにはいられない。こんなに立派な建物の家へ派遣されるとは思ってなかったといい訳しようとしたティキだったが、その前にティエドールが怒るわけでもなく構わないと言ってきた。
屋敷に入ってから十分ほど歩き、ティエドールが一つの扉の前で立ち止まる。

「ユー君の部屋だよ。今は学校へ行っているから、帰ってきたら紹介しよう。メイドの名前は好きに覚えてもらうとしても、ユー君のことはちゃんと覚えてもらわないとね」
「はあ、」
「ちょっと気難しいところがあるけど、とてもいい子なんだ。仲良くしてもらえると嬉しいね」

それからティエドールの書斎に着くまで、ティエドールはひたすらユー君という人物についてティキに話してくれたが、理解できたのはティエドールの溺愛する子供だということだけで、最後まで話を聞いても性別は分からなかった。

「ええと、何をやればよかったんだっけ……」
「雇用契約書」
「あ、そうそう」

書斎に着き、来客用の椅子にティキが座ったのを確認したティエドールが机の引き出しから雇用契約書を出す。ティエドールからペンを借りてサインをすると、ティエドールはティキの向かいの椅子に座り、雇用契約書の空欄を埋め始めた。

「シェリルから色々聞いているけど、なかなか飽き性らしいね」
「飽き性っていうより、色々なものに興味があるって思ってくれた方がいいですね」
「色々なものに興味があるって言うのはね、色々なことをそつなくこなせてから言えるんだよ。これに興味ができたから今のはやめるって言うのは、好きなものがコロコロ変わっているだけだろう?」
「………」

言われてみればその通りなのだが。アルバイトを辞める時、ティキは常に「もっとやりがいのある事を見つけた」と言って辞めており、だが、偶に似たような職種のアルバイトに戻ることもある。何だかんだと言っても、実際のところは、やはりその場所でバイトを続けるのに飽きたから辞めていると言うわけだ。

「私のところで更生させてほしいと言われたけど、私自身無精なところがあるから、どうかなぁ……」

ティキの方を見ず、うんうん唸りながらティエドールが雇用契約書を埋めていく。仕事内容にフロワ・ティエドールの助手と書かれたところで、ティキは口を開いた。

「助手って、アンタ何やってんですか?秘書みたいなもん?」
「うん?いや、秘書と言うほど大層なものじゃないよ。それに、もう立派な秘書がいるしね。君にはとりあえず、雑用を頼みたいんだ。今まで秘書にやらせていたお遣いとか」
「お遣いって、主に何を?」
「簡単なものだよ。ただ、私が指定した画材を買ってきてもらったりするだけだ」

何だ、その程度か。
ティキはティエドールの言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろした。シェリルがここでのアルバイトは辛いものもあるという様な事を言っていたから、どんなものかと思ったが、お遣い程度なら簡単だ。

「まあ、君の仕事の出来具合によって、もうちょっと内容を増やしたりはするけどね」
「いいですよ」

ティエドールの大丈夫?という問いににこやかに答え、首を縦に振る。お遣いから始まるのなら、徐々に難しくなっていくとしても対して苦労する仕事はないだろう。

「えっと、給料はどうしたらいいのかな……アルバイトだもんねぇ……日給一万でいいかい?」
「十分です」
「君が頑張ってくれたら、ちゃんと日給を上げるからね」

もっと高いバイトをしたこともあるが、たかがお遣いで日給一万貰えるのならかなり得だ。

「あと、いちいち連絡して来てもらうの面倒だから住み込みで働いてもらいたいんだけど、平気かな?」
「はい」

まあ、住み込みというのも予定範囲内なので軽い気持ちで承諾する。
それからいくつか確認されたが、どれもティキの仕事内容を難しくするようなものではなかったので、ティキは全て頷いた。

「師匠、ユウが帰ってきました」

最後に、住み込みで働くにあたって必要になるものの相談をしていると、扉から大柄の男が入ってきた。スキンヘッドで、ヘッドホンのようなものをしている。

「ああ、ありがとう。そうだ、ミック君、紹介しておこう。私の秘書のノイズ・マリだ。マリ、こちら助手としてうちで働いてもらうことになったティキ・ミック君」
「どうも」
「よろしくお願いします」

ティエドールから紹介されて軽く挨拶したティキに対し、マリは深々と頭を下げて挨拶してきた。顔は厳ついが、礼儀正しい男だ。

「ユー君が帰って来たなら、先に紹介しちゃおう。悪いけど、住み込みで必要なものについては、必要になった時にまた言ってくれるかな」
「あ、はい」

ついてきてと言われ、椅子から立ち上がってティエドールの後を追う。マリとすれ違いざま、礼をされたが、ティキは目でちらっと見ただけで礼をすることはなかった。

「ユー君、ユー君、私の助手を紹介したいんだけど」

書斎へ行く際に通った部屋の前でティエドールがコンコンと扉を叩く。暫くすると部屋の中でガタ、と音がして中から綺麗な子が出てきた。ティエドールから高校三年だと聞かされていたので会えば性別もわかるだろうと思っていたが、すでに私服に着替えてしまっている彼はあまりにも中性的な外見すぎて実際に見ても男か女かわからなかった。

「…助手?」

ぽつりとつぶやいた声は、男とも女ともとれる不思議な声質で、こんな人間がこの世にいるのかと愕然とする。

「そう。住み込みで働いてくれることになったティキ・ミック君だ」
「ティキ・ミックです。よろしくお願いします」

雇用主の子供ならばそれなりにきちんと挨拶しておいた方がいいだろうと、マリの時とは違い丁寧に挨拶をする。すると、ユウはきょとんとした後じっとティキを見、小さな声でよろしくと言ってきた。

「……宿題があるので」

そう言ってパタンと扉は閉じられてしまったが、とりあえずよろしくとは言ってもらえた。ティエドールが気難しいと言っていたし、最初はこんなものだろうと、少し痛んだ胸を言い訳することで癒す。

「どうだい、綺麗だろう?」
「ええ、」
「運が良かったね。いつもだったらうざいって言われて扉開けてもくれないんだけど」
「そうですか」

あれで運が良かったというのなら、少し落ち込んだ自分が情けない。扉を開けてもらい挨拶をし、挨拶を返された自分は、かなり運がいいではないか。

「じゃあ、書類はこっちで埋めておくから、今度来る時は住み込み用の道具を持って来るようにね」
「はい」








「はぁ……」

住み込みでティエドールの助手として働き始めて一か月。ティキはシェリルの言っていた辛いことなど知ることもなくティエドールの助手を続けていた。雇用契約書を書いた初日以来自発的に髭は剃っているが、他は何も言われない為常にだぼっとした普段着と瓶底眼鏡で過ごしている。
何がつらいのかわからない、とても楽な仕事だ。
着替えとタオルを用意して大浴場へ行き、脱衣所の扉を開ける。住み込み初日、風呂は部屋にはついておらず、男女別の共同だと聞いて顔を顰めたティキだったが、芸術としか言いようのない大浴場を見て何も言えなくなった。どこかの城にあるような立派すぎるデザインだった。

脱衣所に入ると、今日はすでに先客がいた。

「こんばんは」
「……こんばんは」

ティキの挨拶に対し少し間を開けて挨拶を返してきたのは、ティエドールの子供であるユウだった。普段学校へ行っている彼とは時間が合わないのか、食事の時間以外で会うのはこれが初めてだ。

(…男だったか)

洋服を脱いでいくユウをちらりと見、平らな胸を見て少し息を吐く。男性用の脱衣所にいる時点で男であることは確定しているのだが、膨らみのない胸を見て漸く信じることができた。
じっと見続けて不審に思われるのも嫌なので、男だと結果の出た体から目を離し、眼鏡を外してだぼっとしたシャツを脱ぐ。シャツを脱いでもう一度隣を見たら、すでにユウはいなかった。代わりに浴場から音がするので、もう浴場へ行ってしまったのだろう。ティキと話をする気は全くないらしい。
全て脱ぎ、タオルを持って浴場のタイルを踏むと、体を洗っていたユウがぽかんとしてティキを見てきた。

「…どうかしました?」
「……お前、ティキ・ミック?」
「そうですけど。何か、」
「…何でもない」

ふい、と顔を背けてしまったユウの隣に座り、体と髪を洗う。ユウより後から洗い始めたが、髪の毛が短い分ユウより先に洗い終わった。丁度良い温度の湯に浸かり、長く息を吐く。今日はイーゼルとかいう画材を買いに行き、少し疲れた。車があれば楽なのだろうが、ティキの交通手段は徒歩と公共機関のみ。満員のバスや電車の中で壊れてしまうのではないかとひやひやした。

ちゃぷ、と音がして、ティキのすぐ隣にユウが座る。折角広い風呂なのだから好きな場所に入ればいいのに、いや、もしかするとティキのいるこの場所がユウにとってのお気に入りの場所だったかとティキはその場を離れようとしたのだが、移動する素振りを見せた途端、ユウに腕を掴まれた。

「あの、」
「お前、本当にティキ・ミックか?」
「何でそんなこと聞くんですか?」
「……全然違う、」
「…ああ、よく言われます」

友達から常に、お前は神から与えられた贈り物をその眼鏡と服、だらしなさで台無しにしていると言われているティキは、ユウが何を言いたいのかすぐにわかった。
小さい頃から目が悪いので眼鏡なしで自分の体をよく見たことがないし、他人と比べたこともないが、ティキ自身としてはなかなかバランスのとれた体つきなのではないかと思っている。友人だって、服で台無しと言うということは、それなりにスタイルは悪くないのに、と思ってくれているということだ。

「普通の服、着ないのか?」
「あれも十分普通の服ですよ」
「……ワイシャツとか、」
「ぴしっとしたの嫌いなんで」

それからユウは何も言わなくなり、十分、二十分と時間が過ぎていく。いい加減上がりたくなってきたティキだったが、ティキが何を言ってもユウはティキの腕を掴んだまま離そうとせず、身動きが取れない。
いい加減上せそうだと困りだしたところで、ユウの手がすっと動き、ティキの鎖骨辺りをなぞり始めた。ぎょっとしてユウを見たが、鎖骨をなぞるユウの目は真剣そのもので、意図がわからない。
鎖骨を何度も往復してなぞっていた手が今度はするっと下へ動き、腹筋辺りを弄りだし、さらには足や背中まで触り始めた。

「……お前、」

漸くユウが何か喋りだしたが、もう限界だ。ティキの意識はふっとどこかへ吹っ飛んでしまった。








「大丈夫かい?」
「…っと、あれ、俺、風呂に……」

体を起こすとそこは眼鏡がない所為でぼやけてはいるがティキの部屋で、ティキはベッドに横になっており、側にはティエドールと、ユウがいた。下着しか身に着けておらず、一緒に風呂場へ持って行った寝巻は枕元に無造作に置かれている。寝巻の上に眼鏡らしきものがあるのがぼんやりとわかる。

「お風呂で上せちゃったらしいね。いや、ユー君がマリを呼びに来た時はどうしたかと思ったけど、無事でよかった」
「すいません」

長い間風呂に浸かりすぎていた所為だ。まだぼんやりする頭を振ると、ティエドールがまだ休んでいるようにと言ってティキを再び横にした。

「今日はもう寝るだけだからね、明日もまだ体調が悪いようだったら………しかし、まあ、うん、君、凄いねぇ」
「…は?」

何が凄いのかと眉を顰めると、ティエドールの中で何かの火がついたのか、眼鏡の向こうで目が輝き、生き生きとしてティキの腕を触りだした。

「この筋肉の付き方といい、頭身といい、顔といい、いや、まさに神の贈り物だねぇ!最近いい成人男性のヌードモデルがいなくて困ってたんだよ!シェリルが君を紹介してくれたのも、きっと、私が困っているのを心配してのことだったんだねぇ。いや、いい友人を持ったものだ」
「…何?」

感動しているティエドールの口から出たヌードモデルという言葉に反応し、もう一度上体を起こしてティエドールを見る。

「ヌードモデル?」
「ミック君、君、明日からお遣い係兼ヌードモデルだからね。その分日給上げるからさ、いいだろう?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待った、ヌードモデルって」
「簡単だよ、ちょっと裸になってじっとしていてもらえればいいから。あ、そうだ。私の絵画教室で今度ヌードクロッキーをやるんだ。その時のモデルも頼むよ」
「人前で裸になれって言うのかよ?!」

意識していた敬語がポンと頭から抜け、叫び声にも似た声を出すと、ティエドールはティキの質問に当たり前だろうと答えてきた。

「ヌードって言ってるじゃないか。大丈夫、風呂に入っている時だって他人に裸を見せるんだから」
「それとこれとは状況が違うだろ!全員裸で絵描いてんのかよ」
「ううん。裸になるのは君だけ」

一か月ティエドールの助手としてお遣いをやり、店員の反応を通して何となくティエドールはかなり有名な芸術家なのだとわかった。人によっては、ティエドール自らがモデルになってくれと言っているのに拒絶しているティキが信じられないのかもしれないが、芸術に関心のないティキにしてみれば人前で裸になれなんてふざけた話だ。冗談ではない。

「絶対にやらねぇ!無理!」
「そんな事言っても無駄だよ。君、お遣い以外にも仕事内容増やしていいって言ったんだからね」
「人前で裸になるってわかってたら了解してねぇ!」
「私だって、君がこんな体してなかったら頼んでないよ。お互い様だろう?じゃ、頼んだよ」

明日が楽しみだと言ってティエドールは部屋から出ていき、ティキとユウ二人だけになる。ティキがじっとユウを見ると、ユウは肩を竦めた後口を開いた。

「…親父が気に入りそうな体してるから、親父の前で脱ぐなって忠告しようとしたんだが」

その前に倒れたと言われ、頭がずきずきと痛む。倒れたのは誰の所為だかわかっていないようだ。

「まあ、慣れればそこまで苦じゃねぇよ。別に変なことやらされるわけじゃねぇし、結構いい額貰えるし。……ご愁傷様」

今すぐにバイトを辞めたい。だが、今辞めたら確実にシェリルの秘書にされる。人前で脱ぎたくないが、シェリルの秘書も嫌だ。
こんなことになるなら、最初から真面目に働いていればよかった。一か月前、雇用契約の話で特に深く考えず快諾してばかりだった自分を思い出し、頭を抱えた。