幽霊少年と俺


ティキ(18)……大学一年。
ユウ(10)……子供。









親に本当に暮らしていけるのかと何度も聞かれて、何度も大丈夫だから一人暮らしさせてくれと頼んで、やっと許可をもらった念願の大学生一人暮らし。期待を胸に上京したわけだが、早速変な問題にぶち当たった。

「おかえり……」
「……ただいま」

俺の入居した部屋には、先人が棲み付いていた。黒い髪に青白い肌、もう四月なのにコートを着た少年だ。
バイトギリギリの時間に起きたために敷きっぱなしにしていた布団の上に座ると、先人も俺の隣にちょこんと座る。先人に触れている二の腕がめっさ寒い。

「…少し、離れてほしいんだけど」
「………」

出かける時にはついて来ないけど、部屋にいる間はずっと付きまとってくるこの子供は、世間一般では、幽霊っていうらしい。
最初は信じたくなくて存在を無視し続けていたが、大学でできた友達を部屋に呼んだときに子供の存在を幽霊だと認めざるを得なくなった。少年の姿を、二人呼んだうちの一人しか確認できなかった。
少年を見ることができなかった方の友達は、上京してきたばかりでアイツ疲れてるんだよとフォローして帰って行ったが、すでに少年の姿を見ている俺には意味のないフォローだ。友達の言葉は、俺には何も見えていないことが前提で初めてフォローになる。

離れてほしいって言っても少年は俺から少しも離れようとしない。一番困るのは寝る時で、俺が布団に入ると朝が来るまでに絶対に一回は俺の上に乗っている。子供に乗られると俺は本当に動けなくなるので、迷惑極まりない。

「お前、いい加減どっか行けよ。誰も帰ってこねぇよ」
「お父さんが、お前はここにいろって……」
「お母さんは?」
「お父さんと一緒に出かけた……」

子供がどうやって死んだのかはよくわかんねぇけど、子供がここにいる原因は父親にここを動くなと言われたかららしい。俺が何度、もう俺がここに住むことになったから誰も来ないって言っても、子供は出ていかない。てか、これ以上来られたら困る。父親と母親が生きてるかどうかは知らないけど、生きてたらまあセーフ、死んでたら確実にアウトだ。来るのが幽霊とか、ふざけんな。この子だけでも結構怖いんだ。
両親からいくらか仕送りは貰ってるけど家賃を払えるほどの額じゃないから、この破格の部屋を出るのは嫌だ。ていうか、今思えば、この子供がいるから破格だったんだな、この部屋。

「…俺、風呂入るから、絶対ここにいろよ」
「………」

ここにいる気はないらしい。大抵の質問には答えるし、お願いすれば言うことを聞いてくれるが、答えたくなかったり言うことを聞きたくない場合は無言の返事が返ってくる。

「…じゃあ、脱衣所にいろ。浴室には入ってくるな」
「うん……」

少年が頷いて返事をしたので、とりあえずは安心できる。浴室に入ってくるかどうかは、日によって違って、少年の気分次第だ。浴室まで入ってこないと約束してくれるのは珍しい方で、大抵の場合は浴室の隅で俺のことを見ている。
滅多に自分の言ったことを変更する少年じゃないが、もし途中で入って来られても嫌なので、とりあえず急いで脱衣所に向かう。少年が現れる前に服を脱いで脱衣所に逃げ込む。ふと振り返ったら、曇りガラスでできた扉の向こう側に少年の姿が見えた。扉の前に立って、俺が出てくるのを待っているつもりらしい。

「はぁ……」

少しでも少年と離れていたい一心でこれでもかというくらい丁寧に体と髪を洗って、沸かしておいた風呂に入る。実家にいるときはシャワーだけで済ませていたけど、一人暮らしを始めてからは風呂も使うようになった。何せ、常にあの冷たい少年がくっついているので、部屋にいる時は暖かさというものを感じることができない。ここに入居してきたばかりの三月、少年に慣れるまでは暖房を使って気を紛らわそうとしていたほどだ。結果的にいくら部屋の温度を上げても寒さは消えなかったけど。

「疲れた……っ!!!!」

明日の授業のことを考えていたら、不意に風呂場の空気が冷たくなった。洗面器がカタカタと小さく音を出して震えている。少年は外にいるはずだと扉の方を見たら、曇りガラスにべったりと小さな手形が付いている。

「わかった!今出る!!」

流石に長くいすぎたかと大声で叫ぶと、ぱっと風呂場の空気は元に戻って、洗面器も動かなくなった。

「アイツ、悪霊かなんかかよ……」

常に人に付きまとって、ティキにストレスを与え続けている。最初は子供の霊なんて可愛いものだと思ってたが、流石にお祓いとかやってもらった方がいいのかもしれない。こういう場合は寺に頼めばいいんだろうか?
浴室から出ると、少年は曇りガラスの扉から動いて、脱衣所の入口に立っていた。

「……お前さ、親に会いたいか?」
「会いたい……」
「じゃあ、俺が探してきてやろうか」
「探して……」

探してと言うけど、期待しているわけじゃないらしい。少年のぼんやりとした目を見ればわかる。

その後、寝るまでの間、少年はいつも以上に俺にくっついてきたから長風呂はもうしないことにした。









「テ、ティキさん」
「ああ、ミランダ。久しぶりだな」

大教室の授業で、久しぶりにミランダと会った。ミランダは俺が家に呼んだ友達の、霊感がある方だ。あの後かなり怯えていたからもう俺には話しかけてこないと思ってたからほっとした。

「隣、いいかしら……?」
「勿論」

俺が許可を出すと、ミランダはありがとうと言って隣に座り、真剣な眼をして俺を見てきた。

「ティキさん、あの、あの、あの子…まだいるの?」
「え?」
「お部屋に……」
「あー……いるけど、そろそろお祓いとか頼もうかなって」
「あのね、私、あの後あの子について少し調べたんだけれど……あの子、神田ユウ君じゃない?」
「誰?」

聞いたことの名前だと首を傾げると、ミランダが鞄から新聞をコピーしたものを取り出して、俺に見せてくれた。見てみると、蛍光色のマーカーで囲われた記事がある。

「住所は曖昧になっているけど、市の名前は一緒だし……」
「交通事故」

要約すると、神田ユウという少年が車に轢かれて意識不明の重体になっているという記事だ。両親とは連絡が取れず、子供を放置していなくなった可能性が高いらしい。

「へぇー…三か月前って、結構近いな」
「それでね、その記事、数日後に続きがあるんだけど、これ」

次にミランダが見せてくれた記事によると、少年を轢いた車は両親が運転していたそうで、二人は逮捕されたと書かれている。

「可哀想だな。ずっとそんな親のこと待ってんのか」
「そうだと思うんだけど、一番大切なところ、そこじゃないの。この記事、二日前のものなんだけど、わかる?神田ユウ君は依然意識不明ってなってるのよ」
「……あれ」

確かに、ミランダの言う通り、意識不明、このまま植物状態になる可能性が高いと記事は言っていた。

「私の想像なんだけど、あの子があそこにいるから、目が覚めないんじゃない……?」
「冗談だろ」
「きっと、あの子が神田ユウ君の精神なのよ」
「……本気で言ってる?」
「ええ。だから、ティキさんが良ければ、私もう一度あの子とは、話をしたいんだけれど…」
「別にいいけど、平気なのか?前回かなりビビってたくせに」
「死霊は無理だけど、生霊は平気なの」
「俺はどっちも無理だ」
「あら…でも、あの子を追い払わずに一カ月近く一緒にいるんでしょう?」

すごいわ、なんて言われても嬉しくない。

「それは、まだあの少年がちいせぇから何とかなってるだけで……つか、他の幽霊なんか見たことねぇし」
「そうなの?」
「そうだよ。しょっちゅう見てるとか言ってるお前が異常」

今回少年の姿を見て、会話ができるのは本当に偶々だ。霊感なんてねぇし、これから先も絶対に身に付くもんじゃない。むしろ、身に付けなくない。

「じゃあ、今日の学校後にでも来いよ。バイトないから」
「ええ。……でも、その前に彼の体がある病院に行ってみようと思うの。もし、顔が違ったら、あそこにいるのは……ねぇ、」
「ねぇって言われても、俺何もできねぇぞ」
「顔が違ったら、お祓い、頼んだ方がいいわ……」

俺の家に来る前にあの少年が生霊かどうか確かめたいらしい。こいつ、顔が違ったら絶対に来ない気だ。

「今日何限までだ?」
「三限」
「あれ、お前、今日って四限の心理学とってなかったか?」
「やめたの。心理学の教室、黒いのが沢山座ってて……ふふふ、」

偶に、少年よりも隣に座ってるミランダの方が怖いと思う。









「だからね、君、ここにいちゃいけないのよ。体に戻らないと」
「お父さんがここにいろって……」
「もう、お父さんもお母さんも迎えに来ないわ…だから、ユウ君…」

病院経由で俺の部屋にやってきたミランダは、すぐさま少年の姿を見つけて少年の説得を始めた。
病院で確認した神田ユウ君は、確かに少年と同じ顔をしていた。つまり、俺の部屋にいる少年は、死霊じゃない。それがわかった途端、緊張してた顔つきが一気に変わるんだから、ミランダは変わってる。

「あのさ、お前の父親と母親は、お前を殺そうとしたんだよ。わかるか?お前を轢いた車、親が運転してたんだぜ?」

ミランダは少年が生きているからここにいてはいけない、としか言わないから、両親を待ってるって言う少年と話が噛み合わない。

「ティキさんっ!」

なるべく少年が傷つかないようにっていう配慮だろうけど、そんなものしてたって親は迎えに来ないんだし、本当のことを話した方がいい。ミランダに批難の目を向けられたけど、無視して続けた。

「そんな親待ってても、ぜってぇ迎えに来ない。第一、今、お前の親は刑務所に入ってる」
「ティキさん、今は、迎えに来るって希望を持たせた方が……」
「希望持たせてどうすんだよ。希望持たせても、現実が待ってんだ」

「いい子にしてれば……お父さんとお母さんが迎えに来てくれる……」

ミランダと言い合いをしてたら、少年がぽつりと呟いた。口喧嘩を止めて少年を見たら、いつも以上に俯いて、抱えている膝に顔を埋めていた。

「だから、お前の親はお前を捨てて、」
「迎えに来てくれる……」
「…ティキさん、多分、この子…違う意味で言っているんだわ」
「は?」
「……ユウ君、ユウ君は、自分を轢いた車を運転していたのが誰か、わかる?」
「お母さん……」

記事だと、父親って書いてあった。

「父親じゃないのか?」
「……お父さんは隣……」

夜中で、目撃者が誰もいなかった為、どっちが運転していたかは犯人である親の証言しかなかった。轢かれた本人が嘘を言うとも思えないし、恐らく今刑務所に入ってる親が嘘を言ったんだろう。

「誰に轢かれたかわかってんのに、どうしてそんな親待ってんだ?」
「違うの。ティキさん、この子の言っている親は、私たちの思っている親のことじゃないのよ」
「じゃあ、どういう意味だよ」
「里親……のこと、言っているんじゃないかしら」
「里親?」
「父親と母親が自分を殺そうとしたことが分かっているのなら、その両親を待っているっていうのは変だわ。でも、親を待ち続けているっていうことは、里親を待っているとしか思えない」
「記事、詳しく見なかった?」
「いや……」
「実父母の虐待の為に、数日前まで里親のもとで暮らしてたって書いてあったわ。だから、その里親のことを言っているのよ」
「だったら、なおさらここにいたらまずいだろ。里親がこの少年が死んだと思ってたら、迎えに来ないんじゃねぇか?」
「だから、説得しなきゃ。目を覚まさないとって」

だけど、結局その日はその少年を体に戻すことはできなかった。ミランダが帰った後は、いつものように俺にぴったりとくっついてきたけど、俺が話しかけても何も答えないで、俺を無視した。どうやら、あの説得は少年の機嫌を損ねるだけだったらしい。

「……里親に会いたいならさ、ホント、起きなきゃ駄目だと思うけど」
「………」
「…はぁ、」









「誰」

週末、寝起きの俺のところにミランダがオッサンを連れてやってきた。人のこといえねぇけど、もさもさした髪型のオッサンだ。髭と眼鏡であまり表情は読めねぇし、怪しすぎる。

「ティキさん、この人よ。ユウ君の里親だった人」
「こんにちは」
「……こんにちは」

何でこんなオッサン連れてきたんだと思ったけど、少年を説得する為だと言われて納得した。

「本当に、ここにいるのかい?」
「神田ユウのことなら、確かに、いるっちゃぁいますけど……」

少年なら、現在俺にひっついてオッサンを見ているところだ。目を見開いて驚いているようだし、オッサンが里親っていうのは間違いじゃないんだろうけど、オッサンは少年に気付いてない。

「どこにいるんだい?」
「いや、ここにいるんですけど」
「…そこに?」

俺が指差しても、オッサンには何も見えないみたいで眉を少し動かすだけだ。

「お父さん……」
「…私には、見えないのか」

がっかりするオッサンを見て、少年も俯く。

「こいつ、アンタと母親が迎えに来るの、ずっと待ってたみたいだけど」
「ユー君を養子にする準備はできているんだ。ユー君が目を覚ましてくれれば……」
「じゃあ、体に戻れって言ってやってくれよ」
「……ユー君、そこにいるのかい?」
「お父さん……」
「私の声が聞こえているといいんだが……君が車に轢かれて意識不明だと聞かされて、何度も病院に行った。君は目を開けてくれなかったが、私は君を養子として迎える準備を続けていた。もう、手続きは終了しているから、君が目を覚ますだけなんだ。ユー君、起きてくれないかな。一緒に暮らそう」

少年は戸惑ってたけど、ふとオッサンの手を触ったと思うといなくなった。
「ユー君はなんて言ってるんだい?」
「消えた。病院に行ってみればいいと思う」

部屋の中にもいないみたいだし、もうここにはいないだろう。
オッサンが頭を下げて居なくなって、ミランダから一緒に病院に行かないかと誘われたけど、断った。これで面倒はなくなったんだから、もう首を突っ込みたくない。









後日、ミランダから神田ユウが目を覚ましたことを聞いて、さらに、本人からオッサンと一緒に楽しく暮らしていると手紙が届いた。
俺も平和に暮らしてるし、何よりだ。少しだけ部屋が広く感じるのは、きっと、気の所為。