ユウ(18)……受験生。
ティキ(26)……保健室の先生。 「先生、俺、結婚したい」 「神田、大人をからかっちゃダメだぞ」 「俺は本気だ」 「受験勉強で頭がおかしくなってるだけだから帰りなさい。もう六時だぞ」 「ケチ」 入学したばかりの頃は可愛かったのになあ、今はどうしたことだ。 なかなか帰ろうとしない神田の背中を押して無理矢理保健室から追い出して、溜息を吐く。 神田と俺が初めて会話をしたのは、神田が一年の頃の体育祭。200m走でバトンを渡す際の混乱で怪我をした神田が救護テントに来たのが最初だ。 まだ160cmなかったあの頃の神田は、女子と間違えるくらいとても可愛らしかった。実際、応援合戦の時に頭に花の髪飾りを付けた時の神田は、クラスの女子に負けないくらい可愛かったと思う。髪飾りはクラス全員が付けたから、他の男子も付けていたわけだが、奴らは論外だ。 その後、大した怪我もしてないのにちょくちょく保健室に来るようになった神田に俺は茶を出したり、好きな和菓子を用意してやったりと、今思えば神田が変な誤解をしても仕方がないくらい特別待遇をしていた。保険医になってから暫く経つけど、特定の生徒がこんなに何度も遊びに来てくれるって言うのは初めてだったから、嬉しかった。それだけで、他意はない。 てか、今気づいた。俺がどんなに構ったとしても、相手にその気がなけりゃ誤解なんてしない。何回か恋愛話をしたことはあるけど、その時女に興味はないと言っていた。今思えば、あれはストイックとか恋愛に興味がないとかそう言うわけじゃなくて、そっちの気があったってことか。 「…何より、」 結婚したいと言われて嫌な気がしていない俺が一番恐ろしい。今日までに何度かお付き合いしたことはあるが、全員女だし、男に惚れたことは一度もない。大学時代にサークルの飲みで酔っぱらった男にキスされそうになった時には相手を投げ飛ばしたくらいだから、俺自身にその気はないはずだ。 というか、今、俺、お付き合いしてる人いるのに、どうして神田に言わないんだろう。最近恋愛話してないからか。 「はい」 扉を叩かれたから声をかけたら、帰り自宅をした神田がそこにいた。 「どうした?」 「先生、今日何時まで?」 「……保健新聞作らないといけないからな……まだかかるな」 「一緒に帰りたい」 神田の言うとおり、俺とカンダの家は100m離れてないから、帰り道はほぼ一緒。少し前に補習で遅くなった神田を家まで送って行って以来、神田が補習の日は一緒に変えるのが当たり前になっていた。でも、今日みたいに補習の無い時に一緒に帰ったことはない。 「また今度な。今日は駄目」 「何で」 「何でって……補習もないし」 「けど、もう外暗いし。俺が襲われたらどうするんだよ」 「お前男子生徒だろ」 「男女差別はいけないんだぞ」 「じゃあ、今の時間帯に一人で帰ってる女子生徒を放ってお前を送って帰るわけにもいかないよな。平等なら」 「………先生、駄目?」 「駄目だ。はい、帰った帰った」 これは学校から追い出さないと待ってるなと思ったから、ちゃんと生徒玄関まで連れて行った。もう、殆どの生徒は帰ってる時間だし、行ったついでに生徒玄関閉めちまえ。今日は当番じゃねぇけど、帰りに職員室寄って担当の先生に言えばいい。 「先生、俺本当に先生のこと好きなんだ」 「ああ、ありがとな」 「信じてないだろ」 「信じてるって。じゃあな、また明日」 少し肩を落とし気味の神田が校門を完全に潜ったのを確認して、玄関を閉めた。 「イテェ……」 思ったよりも保健新聞作りが難航して、気づけば朝になってた。椅子に座ったまま寝ちまった所為で体が痛いし、頭も痛い。時計を見たら普段なら学校へ行って保健室にいる時間で、寝坊したと顔が真っ青になる。 つけっぱなしになったパソコンを確認したら、保健新聞は作り終わってないばかりか変な文字が数ページに亘って羅列していた。頬を触ったら何か凸凹してたから、多分、今キーボードを頬に当てたら凹凸にぴったりの場所があるだろう。 「っと、」 立ち上がった拍子に目眩がして、もう一回椅子に崩れるように座った。頬を触った時やけに熱かったことを思い出して、椅子に座ったまま手を伸ばして、ペン立てに入ってる、数か月前に使われてから救急箱に戻してもらえない体温計を取る。 「げ、」 ピピッとなった体温計に表示された数字を見て吃驚だ。平熱より二度も高い。まだ朝なのにこの熱はない。 「……すいません、あ、今日、熱が出たので、」 学校に休む旨を伝えるために電話して、そこで初めて声というか喉がやばいことに気づいた。掠れて声がうまく出ない。 同僚からお大事にと言われて電話を切る。医者に行くにはまだ早い時間だから、暫く寝ようと思って布団に入る。椅子で寝たことも体調の悪い原因の一つだろうし、横になって眠れば少しは変わるはずだ。 (そういや、明日、補習の日だな……) 補習は成績下位の生徒は強制参加だから、神田は補習に参加するはずだ。今日、これだけ熱があれば、明日も学校に行けるか怪しいところだ。 まあ、俺がいなければいないで一人で帰るだろう。ってことで、とりあえず心の中で謝って目を閉じた。……閉じたかったんだが、 「…はい」 枕元の子機がそれを妨害した。 『先生』 「……何で電話番号知ってるんだ」 『あ、本当に具合悪いんだな。声酷い』 知らない携帯番号だと思ったら、神田だった。 『さっき、保健室行ったら先生いなかったから。職員室に行ったら、先生休みだって』 「質問に答えろって。何で、電話番号知ってんの」 『職員室の教員名簿見た』 「………そっか」 生徒が簡単に見ることができるような場所に教員名簿は置いてないはずだけど、これ以上深く聞くのも面倒だから黙る。 『先生いないなら、今日、もう帰ろうかな』 「何言ってんだ。ちゃんと出なさい。成績やばいんだから、出席日数で補えよ」 『別に進学するつもりないし』 「進学以前に卒業できるかだろ、神田の場合」 『担任の先生は、進路が決まるなら卒業させてくれるって言ってる』 「じゃあ、尚更勉強しなきゃ駄目だな」 『結婚も進路の一つだ』 ……神田の言葉が少し引っかかる。まるで、卒業したいから結婚したいように言ってるように聞こえた。 そういえば、神田はクラスでは静かで、誰かに積極的に迫るような生徒じゃないと担任が言っていた。特定のものに興味を示すことは滅多になく、そんな神田に好かれている俺は本当に特別だとも、言っていた気がする。 (……俺、利用されてないか?) 本当は、俺のことが好きというわけではなく、卒業したいから、俺が好きだと言って結婚しようとしているんじゃないか?そう思えてきた。 「……卒業したいから、結婚するのか?」 『?…どういう意味?』 「卒業したいから、俺と結婚したいって言ってるのか?」 『っ、先生、』 「生憎、俺はお前と結婚する気はないし、利用されるつもりもない。もう授業だろ。切るぞ」 『せんせ、』 切って10秒もしないうちに再び神田から電話がかかってきたから、電話線を引き抜いた。苛々するし、情けない。卒業したい為に俺のことを利用していたのに、それを喜んでいたなんて。 学校に復帰したその日、神田は保健室に来なかった。出席簿にはちゃんと出席とあったから学校には来ているみたいだが、俺を訪ねてはこない。 保健室には体育の授業で怪我をした生徒や、体調の悪い生徒だけが来るようになり、俺と会話したいから保健室に来る生徒はいなくなった。残念だが、これが本来の保健室の姿だ。 冬が来て、センター試験が終わり、私立大学の合格発表が始まった頃。数カ月ぶりに神田が保健室に来た。驚いたことに、自慢だと言っていた髪の毛は肩に付く程度の長さになっていて、雰囲気も数か月前より落ち着いている。 「……どうした?」 出入口に立ったまま中に入ろうとしない神田に声をかけると、神田は手に持っていた封筒を俺に見せるように持ち上げた。 「大学、合格した」 まさかと思って封筒を受け取って中身を確認すると、確かに、神田の名前が書かれた合格書類が入っている。 「……頑張ったんだな」 いや、頑張ったなんてものじゃない。神田が見せてくれた封筒に書かれた大学名は、俺が知っていた神田の学力では、絶対に入れなかった大学だ。神田自身も無理だとわかっていたから、模試の志望校にも書かなかったと言っていたはずなのに、何故受けようと思って、しかも、合格できた? 「俺、卒業したいから先生と結婚しようと思ったわけじゃない。本当に、結婚したかったから結婚したいって言ったんだ」 「………」 「先生と結婚しなくても、卒業できるんだからな!真剣に勉強すれば、これくらい出来るんだ」 「……神田、」 ふん、と鼻を鳴らす神田の頭を撫でて、具合の悪かった日に言ってしまった言葉を謝って撤回した。今思えば、どうしてあんな考えをしてしまったのか。自分にだけ興味を示し、好いていたということは、本当に特別だということで、誰でもいいと思っていなかったということだ。それに、同性婚が認められているわけでもないのに結婚したいというのを高校を卒業する理由にするのはあまりに不自然ではないか? 「喉乾いた。腹減った」 「…丁度、休憩しようと思ってたとこだ。勉強して疲れただろ、一緒に」 「お邪魔します。先生、ドア閉めて」 「……はいはい」 |