205号室の住人


ユウ……高校生。親がアパートの大家さん。
ティキ……ユウの親が管理してるアパートの住人。205号室。









「またあの彼か」
「一度話し合ったんだけど、やっぱり効果ないみたいで……」

 風呂上り、ユウが飲み物を取りに行くためにキッチンへ向かっていると、リビングからそんな声が聞こえてきた。
 何の話かと暫く廊下に立って話を聞いていると、どうやら両親が管理しているアパートの住人についての話のようだ。どうやら、アパートの住人の中に一人、家賃を払わない者がいるらしい。

「明日、時間を作って話に行ってくるわ」
「何言ってるんだ、明日は会議があるって言っていたじゃないか」
「ああ、そうだった……」
「やっぱり、直接家賃を払ってもらうっていう方法が駄目なのかもしれないな。振込にした方がいいのかもしれない」
「振込にしたところで、振込してくれなければ今と一緒でしょ」
「はぁ……もう追い出すしかないか」
「この時期に部屋を開けても入ってくれる人なんかいないわよ。不動産屋に聞いたら、この時期は入居希望者が少ないって言ってた。それに、滞納とはいっても何か月もってわけじゃないし、言えばちゃんと払ってくれるし……」

 それでも遅れて払っているのだから問題だろう。文句を言いながらも家賃滞納者を庇う母親に呆れ、ユウは肩を竦めた。

「まあ、もう暫く様子を見るか。問題は、今月分の家賃をいつ払ってもらうかだな。先月中に振り込むようには言っておいたんだろう?」
「ええ。ゴミ捨て場の掃除をしたときに会ったから、ちゃんと三十一日までに払ってくださいって言った。……あの時に払ってもらえばよかったかしら」
「過ぎたことは仕方がない。俺は暫く仕事が忙しくて取りに行けそうにないが……」
「私も、明日の会議で提出する企画が通ったら忙しくなるわ」

 はぁ……と溜息を吐く両親に対しユウも溜息を吐き、仕方がなくリビングに入った。両親はユウが廊下にいたことに気付いていなかったらしく、驚きで目を見開いている。

「俺が行く」
「行くって、話聞いてたの?」
「聞こえてきた。家賃回収くらい俺もできる」
「けどな、」
「大体、あのアパートの居住者が家賃払いに来ても父さんたちいないから俺が預かってるじゃねぇか」

 両親が管理しているアパートは全部で十部屋。そのうち九部屋の住人から毎月家賃を受け取っているのは両親ではなくユウだ。アパートの住人達も家にはユウの両親が滅多にいないことを理解しているらしく、最初は戸惑いつつもユウに渡していた住人も三度四度と続くうちに当たり前のようにユウに家賃を払うようになっていた。

「確かにそうだが……」
「205号室の奴だろ。俺、明日部活ないから早めに帰ってこれるけど、いつ行けばいるんだ?」
「部屋で仕事しているみたいだから、いつ行ってもいると思うけど……」
「じゃあ、明日家賃払ってもらいに行ってくる」

 両親はまだ困っているようだったが、ユウがもう一度二人には時間がないということを強く言うと、渋々ながら頷いた。二人とも、家族の時間もろくに持てないのだから、それくらいしっかりと理解していてほしいものだ。

「俺、もう寝るから。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい」









「……205号室、ここだな」

 放課後、ユウは両親が管理をしているアパートへやってきた。学校と家の通り道にあるアパートなので、服装は制服のままだ。
 両親がいつもアパートにいるとは言っていたが、流石に事前に連絡しないできたのは宜しくなかったかもしれない。
 しかし、アパートの最奥にあるこの部屋の前まで来てしまったのだから、ここで引き返すわけにはいかない。大体、家賃滞納している相手の時間を気にする必要なんてないはずだ。多分。
 遠慮なくインターホンを鳴らすと、暫くの間をおいて「誰?」と声が聞こえてきた。

「神田です。家賃を受け取りに来ました」
「あー……はい、ちょっと待って」

 がたがたと音がして中から小麦色の肌の男性が出てきた。すらりとした長身に、嫉妬する気も起らないほどに整った顔をしている。インターホン越しの声で何となく発音やイントネーションがおかしいと思ったが、その彫りの深い顔を見る限り日本人ではないようだ。男性はユウの姿を見ると不思議そうに首を傾げた。
「……誰?」
「さっき言った」
「若い」
「当たり前だろ、息子なんだから」
「……ああ!そういや入居挨拶の時に息子がいるとかどうとか言ってたな」
「あんたがなかなか家賃払ってくれないからわざわざ来たんだ。さっさと七万二千円払え」
「あー…今手持ちないんだよなぁ……」

 払わない気か?そんな気持ちを込めて男を睨めば、男は苦笑いしてまるでユウに中に入れと言わんばかりに自身の体を壁際に寄せる。訳が分からずユウが男を睨み続けると、男は一言「入って」と声を出した。
「近くのコンビニ行って金下してくる。待ってて」
「……じゃあ、十分あれば戻ってこられるな」

 このアパートの最寄りのコンビニは片道三分あればいける。ATMで金を下す作業を考えても十分あれば十分だろう。
 ユウの言いたかったこと―簡単に言ってしまえば“十分で帰ってこい”だ―が分かったらしく、男が苦笑いして頷いた。

「十分で帰ってくる」

 男が財布だけ持っていなくなり、ユウ一人が部屋に残される。
 玄関で待っているのも疲れるし、中に入れたということはくつろいで待っていてくれということなのだろうと解釈して靴を脱いで中に上がる。

「何も無い部屋だな」

 男の部屋は汚れているわけでもなく、むしろ必要最低限のものしかそろっていない部屋だった。何となく汚い部屋を想像していたので、少しだけ男に申し訳なく思う。

「写真、」

 ユウが見渡した限り気になったものは出窓においてある写真くらいだ。写真を手に取って見れば、男と、そして男と同じ肌の色をした人々が写っていた。

「家族か?」

 どことなく男と似た顔立ちをしているので勝手に家族なのだろうと決めつけ、写真をもとあった場所に戻す。
 そのあとはやることもなかったので大人しく座布団に座って男の帰りを待った。

「あと四分」

 男が出かけて行った際に腕時計で時間をチェックしていたので残り時間はすぐわかる。テレビをつけるのは流石に不味いだろうと思ったので―何せ、電気代がかかる―、スクールバッグから日本史の教科書を取り出して今日習ったところを読んでいることにした。
 二ページほど読み進めたところで慌ただしい足音が聞こえ、勢いよくドアが開いたと同時に男が入ってきた。

「十分、間に合っただろ?」
「八分」
「そっか、よかった。ちょっと待って」

 部屋の中に入ってきた男は棚から封筒を取り出すとその中に財布から取り出した金を入れた。

「ここに名前と部屋番号書けばいいんだっけ?」
「……使ったことあるだろ」
「実は初めてで」
「は?」

 信じられない男の言葉に声を出すと、男はすみませんと小さな声で謝ってきた。
 男がユウに見せてきた封筒は入居した際にある程度の量をまとめて渡される家賃を払う時に使用するものだ。

「あんた住み始めて何年目だよ」
「何年、いや、半年くらい」
「半年家賃払っていれば充分だろ。なんで使ったことないんだ」
「そのまま渡してたから……」
「今度からちゃんと封筒使え。いいな」
「はい」

 男がしょんぼりと頷き、そっとユウに封筒を差し出す。ユウが封筒を受け取って中身を確認すると、確かに家賃の七万二千円分あった。

「今月分は確かに受け取った。来月分、絶対に今月中に出せよ」
「はい」
「……本当に出せよ」
「はい」
「“はい”ばっか言ってんじゃねぇ。ちゃんと言葉にして言え」

 さっきから“はい”としか言っていない男に不信を抱き、テーブルを叩いて男を睨みつける。

「来月の家賃は今月中に払います」
「よし。もし今月中に払わなかったら次は殴るからな」
「えぇ……」

 なんでそんなペナルティがあるのかと言わんばかりの男の表情に「お前が家賃を払いさえすれば問題はないんだ」と睨むと、男はそれ以上何も言わず「払わなかったら殴ってください」とだけ言った。

「帰る。絶対に払えよ」
「勿論」

 男は相当気を遣っているらしく部屋を出て、さらには階段を降りたところまでユウについてきて見送ってくれた。帰る途中にふと振り返ってみれば、恥ずかしいことにユウに向かってにこやかに手を振っている。

「……馬鹿にされている気がする」

 家賃を払ったからと調子に乗っているのだろうかと男に向かって思い切り舌を出すと、男がきょとんとして手を振るのをやめる。満足したユウはその後振り返ることなくまっすぐに家へと帰った。



「はは、かわいー」