ユウ(16)…高校一年生
ティキ(24)…歌手 目の前で手を合わせ頼みこんでくる幼馴染を見て、ユウは溜息を吐いた。 「面倒臭い」 「お願いっちょー!一生のお願いだから!ねっ!」 「お前の一生のお願いは聞き飽きた」 彼女の口から一生のお願いと言う言葉が出てきたのはこれが初めてではない。お願いする度に一生という言葉を使うので、ユウはもう彼女の頼み事を聞くのにウンザリしていた。毎回毎回騙されて願いを聞いていたが、その数日後にはまた“一生のお願い”が待っているのだ。いい加減、騙されやすいユウでもこれが最後のお願いではないとわかる。 「他の友達誘えよ、サチコ。お前、友達多いだろ」 「気軽に誘えるのはユウくらいなんだってば」 今回の幼馴染、サチコのお願いは、一緒にティキ・ミックとかいう名前の歌手のコンサートへ行ってほしいというものだった。ユウが一度も名前を聞いたことがないアーティストだが、サチコ曰くかなりの人気があるらしい。コンサートチケットも販売開始から数分で売り切れてしまうので、一人が二枚もチケットを手に入れられるのは本当にすごいことなのだそうだ。まあ、サチコは関係者からチケットを貰ったと言っていたので、彼女自身は苦労していないのだろうが。 「最前列でティキのコンサート見れるって、ほんとすごいことなんだっちょ!友達に自慢できるくらい」 「自慢するような友達もいねぇよ」 「あ、そっか。…じゃない!ほんとお願いだっちょ、ユウー!うちのご飯奢るから!」 サチコの言葉にユウの心が動く。 サチコの家は蕎麦屋で、かなり美味い。数多くの料理の中で蕎麦の味に対してだけはかなり煩いユウを黙らせる程だ。 「天麩羅も付ける!」 美味い分値段もかなりするその蕎麦を、しかも天麩羅付きで食べることができると言うのならば、コンサートの一つや二つ付き合うくらい、御安いご用だ。 もう一度コンサートに一緒に行こうと言ってきたサチコの提案を、ユウは断らなかった。 「やった!じゃあ、来週の日曜日だから!ちゃんと予定空けといて!」 「ああ」 「うちのご飯奢るのは、ユウの予定に合わせるっちょ。お母さんに言っとくから、好きな時にうち来て」 「わかった」 確かに人気のある歌手らしい。ユウは歌手がステージに立つなり会場に響き渡った黄色い声に自分の場違いさを感じていた。会場の入り口付近でも『チケット売ってください』という紙を持った女性を数多く目にした時にも感じたが、この歓声の多さを聞いていると、余計に蕎麦目当てにこの会場に来てしまったことを申し訳なく思ってしまう。 歌手が拙い日本語で挨拶をし、それにもまた女性たちの黄色い声が響く。ユウの隣にいる女性がユウを見て睨んでいる気がしたが、ユウは気づいていないフリをして漸く歌い始めた歌手を見ていた。恐らく、ユウが無反応でいるのが気に食わないのだろう。 挨拶でティキ・ミックと名乗った歌手は、確かに歌が上手く、人気があるのも頷けた。女性客が多いのは、彼の整った見た目が関係しているのだろうか? 一曲終り、ティキ・ミックがまた拙い日本語でトークを始める。途中、ティキが客席を見渡した際に目が合い、微笑まれた気がしたが、確認する術はない。 「今、ユウのこと見てたんじゃない?」 「わからねぇ」 こそりとサチコに尋ねられ、サチコもそう思ったのならもしかして本当に目が合ったのかとも思ったが、そうらしいと答えることはできなかった。 それからまた歌が始まり、その後フリートークになった時にも目が合った気がしたが、結局確かめるすべもなく三時間のコンサートが終わった。 「お疲れ、ティキ」 コンサート後、ティキが楽屋に戻って寛いでいると、ティキの友人であり、今回のコンサート企画の中心人物であるリーバーが入ってきた。 「無理言って悪かったな。疲れただろ」 「いいよ。リーバーの頼みだしな。それに、日本はそのうち行こうと思ってた」 「コンサートなしで、個人で、だろ?」 リーバーの言葉に曖昧に笑い、小さな欠伸をする。 ティキが欧米以外でコンサートをするのは今回が初めてだった。何度か国に来てコンサートをしてほしいと言う依頼が来たことはあったが、言語のわからない国へ行くということに躊躇いがあったのだ。日本語は、リーバーに会いに行ってやろうと思ってそれなりに勉強していたので、コンサートを開くことができた。 「いつまで日本にいるんだ?」 「次の日曜に帰る。…そうだ」 「ん?どうした?」 「最前列にさ、すごく可愛い子がいたんだ」 「へぇ、最前列っていうと、関係者席がいくつかあるな。どこだ?」 「ほぼ真ん前。黒髪の子でさ、大人しそうな感じの」 「黒髪か、じゃあわからないな。茶髪の子だったら、知り合いかもしれなかったんだが」 それに、知り合いの子は大人しいとは言えないくらい行動力のある子だ。そう言うリーバーはどこか残念そうだったが、フォローするのも違うだろうとティキは気にせず口を開いた。 「とにかく、その子が凄く可愛かったんだ」 「はは、そんなに言うなら、DVD用に映像取ってたから、最前列の映像だけ編集したやつ作ってやろうか?」 「それいいな」 リーバーが本気で言ったのか、冗談で言ったのかわからなかったので、ティキも適当に返事をした。本当に欲しいとは思ったが、会う機会もないだろう子の映像を必死に頼むと言うのもむなしいものがある。 腹も空いてきたしそろそろ出るかと鞄を持って立ち上がると、リーバーが外のスタッフと連絡を取り、関係者出口まで連れて行ってくれた。一般出口はまだ人で一杯らしい。 ホテルの専用車に乗り込むと、リーバーがティキの乗る後部座席の窓を叩いて手を振った。 「帰るまでに一回家に来いよ。酒飲んで話でもしよう。連絡くれればホテルまで迎えに行く」 「ああ」 「いらっしゃい、ユウ君」 「こんばんは」 コンサートに行った翌日、ユウは学校終りにサチコの両親が経営する蕎麦屋へ行った。学校のある日に夕食を外で済ませるのはあまり好きではないのだが、今日は両親が仕事で帰りが遅くなると言うので、丁度よい機会だと思ったのだ。 「サチコから聞いてるわ。いつもお世話になっているし、好きなのを頼んでね」 「ありがとうございます」 いつもなら遠慮の一つや二つするが、サチコと幼馴染の関係であるように、サチコの両親ともそれなりに仲が良い。好きなのを選べと言われたら、申し訳ないと遠慮するよりも、本当に好きなものを頼んで美味そうに食べる方がサチコの母親は喜ぶとわかっているのだ。 一番好きなへぎそばと天麩羅の盛り合わせを頼み、料理が来るのを待つ。夕食の時間と重ならないよう少し早めに来たので、まだ席には余裕がある。だが、あと三十分もすれば空席は無くなってしまうだろう。 「いらっしゃい、ユウ!」 「ああ」 のんびりと季節によって変わる店の内装を眺めていると、着物を着たサチコが店の奥からやってきた。サチコは放課後、部活に入らずこうして店の手伝いをしているのだ。 「もう頼んだ?」 「今作ってもらってる」 「そっかぁ。作ってやろうと思ったのに」 「止めろ。美味い蕎麦食いにきたのに」 「どういう意味っちょ!」 「あんたにお客さんに出す料理を作るのは無理ってことよ」 母親が蕎麦と天麩羅を持ってきてユウの前に置く。ムスッとしているサチコの頭を指で小突き、他のお客に料理を運ぶよう言う。 「店員がこんなところで話し込んでどうするの。さっさと奥行きなさい」 「はぁー…しかたないっちょ。ゆっくりしてって、ユウ」 サチコが奥へ行き、母親もユウに笑いかけてから奥へ戻って行った。 「……いただきます」 手を合わせ、呟くようにいただきますと言ってから箸を持つ。久しぶりに食べた蕎麦は相変わらず美味しくて、思わず感嘆の溜息が出てしまう。サチコに気づかれる前に料理を作ってもらえて本当に良かった。以前、一度だけサチコが全部作ったと言う蕎麦を食べさせてもらったが、可もなく不可もない、だが、蕎麦好きのユウとしては美味いとは言い難い味だった。 味わい、ゆっくりと箸を進めていると、この店には珍しい明るい色の髪の客人がやってきた。鼻筋も通っており、日本人でないことが一目でわかる。 ユウの見たことのない客だったが、奥から出てきたサチコが客を見て嬉しそうに笑った。 「いらっしゃい、おじさん!」 「よお、サチコ」 「ご飯食べに来たっちょ?」 「いや、家の玄関の方に誰もいなかったから、こっちに来てみたんだ。あのコンサートのDVDできたから、見せてやろうと思って」 「うわ、ホント?!ありがと!」 二人の会話を聞いて、なんとなくサチコにあのティキ・ミックという歌手のコンサートチケットを渡した人物なのだと感じた。外国人歌手のコンサートだったし、サチコが言っていた関係者が同じく外国人だったとしても納得できる。 「コンサート、楽しかったか?」 「うん!あ、そうそう。今一緒に行った友達来てんの。こっち」 蕎麦を啜りつつ二人の会話を聞いていたユウだったが、サチコがその客をユウの方へ連れてくるのを見て危うく蕎麦を喉に詰まらせそうになった。無理矢理蕎麦を飲みこんで痛む喉を押さえている間に客を連れたサチコが目の前に到着し、笑顔でユウを指さす。 「この子!ユウ、この人オイラにチケットくれた人。リーバーっての」 「…はじめまして」 ユウが喉から手を離して挨拶すると、サチコにリーバーと紹介された男性は二三度瞬きしてからユウに挨拶を返した。 「黒髪で、最前列か…」 「あの、」 「あ、ああ、いや、何でもない。来てくれてありがとな。ティキも沢山の人に来てもらえて良かったと言ってたよ」 「おじさん、サイン貰えた?」 「あー悪い。忘れてた。また聞いてみるよ」 鞄からDVDケースを取り出し、サチコに渡すと、リーバーはそのまま帰ってしまった。本当にDVDを渡す為に来たらしい。 「ユウ、食べ終わったら家で観る?」 「蕎麦食ったらすぐ帰る。一人で観ろ」 「ケチ!」 「悪いな、わざわざ来てもらって」 「いいって。迎えに行くって言ったのは俺だからな」 金曜日、日本の観光名所の中でも特に行ってみたいと思っていた場所を粗方訪れたティキは、家で飲もうと約束していたリーバーに連絡し、ホテルまで迎えに来てもらった。 移動中の車の中でティキは今日までに観光してきた場所を事細かに話し、リーバーはそれを羨ましそうに聞いていた。リーバーの仕事は忙しくて観光など滅多にできないのだそうだ。 「お前の観光案内って名目で仕事休めば良かったな。日本に来て結構立つけど、観光名所なんて殆ど行ったことないぞ」 「色々な仕事に手を出し過ぎなんだよ。前、研究がどうとかとも言ってたじゃねぇか」 「それは仕事っつーか、大学の先輩の手伝いだよ」 「断ればいいだろ」 「断るほど嫌な仕事押し付けられないんだよなぁ……俺が大学で研究してたものの延長線上にあるやつの研究だしな。逆に、本職の方辞めようか迷ってるくらいだ。今回お前のコンサート運営できたし、もうこの仕事はやりきった気がするよ。この仕事はなかなか疲れる」 「ふーん」 もともと研究職が向いていると仲間内から言われていたリーバーなので、今の仕事を辞めれば少しは疲労も減るのではないかとはティキも思う。正直なところ、何故リーバーがイベントの企画運営を行う会社に入ったのか首を傾げたいくらいなのだ。 それからそんなに時間のたたないうちに車は止まり、リーバーの住むマンションに到着した。 「そうだ。コンサートの最前列だけ編集したDVDできたんだ。見るだろ?」 「ん?ああ」 車から降りたところでリーバーからコンサートの日に話していたDVDのことを言われ、覚えていたのかと驚きつつ頷く。車の中で忙しいと言っていたのは、DVDを編集することができなかった言い訳だと思っていた。 「いらっしゃい」 リーバーに鍵を開けてもらい、挨拶を聞きつつ部屋の中に入る。外観を見たときにも思ったが、なかなか立派な建物だ。 「まあ、適当に座っててくれよ。飲み物用意する」 「サンキュー」 広いリビングの中央に置かれたソファに座って室内を見渡す。リーバーの部屋がこんなに奇麗な状態を保っているのをはじめてみた。 「色々用意しておいたんだ」 「何、お前女いんの?」 リーバーが持ってきた様々な大きさの瓶に謝礼を述べるよりも先に、ついつい部屋の恐ろしいまでの清潔さの理由を尋ねてしまった。 ティキの質問にリーバーは目を見開いたが、苦笑いして「まさか」と答えた。 「家に帰る時間がないから汚れないだけだ。仕事の資料だって、大学の時の研究資料に比べたら高が知れてるしな」 「何だ。つまんねぇ」 「つまんねぇって酷いな。俺だっていい人がいればいいとは思うよ」 DVDをデッキに入れてテレビの電源を点けつつリーバーが苦笑いする。 「家事はどうもにがてなんだよなぁ。あ、飯はデリバリーでいいだろ?」 「お前の飯食うよりはな」 リーバーの作る食事は酒のつまみになるようなものではない。 ティキがレモンのリキュールの瓶を手にとってグラスに開けると、リーバーはティキの読めない漢字の書かれた瓶を手に取った。 「何だそれ」 「焼酎っていう、日本の酒」 「うめぇの?」 「アルコール分強いし、好みはあるんじゃないか?」 焼酎の瓶を受け取り繁々と何と書いてあるのかわからない瓶を見ていると、テレビから大きな歓声が聞こえた。顔を上げるとテレビ画面一杯にティキの顔が映っており、思わず苦い顔をしてしまう。 「最前列だけで編集したんだろ?ここはカットしとけよ」 「お前の拙い日本語がどんなだったか聞かせてやろうと思ってさ」 「ちっ、」 再生されているティキの日本語は、やはりリーバーが話す日本語とは違ってたどたどしい。だが、コンサートに来た女性たちはそれが嬉しいのか何なのか、ティキが話す度に歓声を上げている。 「あ、この子だ。この子」 「ん?どこだ?」 「今右側に映ってる子。ほら」 最前列だけを編集したと言っていたので、きっと映っているだろうと思っていた。ティキがコンサート会場で感じたように、他のお客とは違ってとても静かにステージ側を見ている。 ティキがわざわざ指をさしてお目当ての子を教えると、リーバが苦い顔をしてティキを見た。 「何だよ」 「いや、その子なんだけどな、まあ、俺の知り合いの子の友達だったんだが…その子なぁ、」 言いにくそうにしているリーバーに教えろと強く言うと、「同性だった」という言葉がリーバーの口から出てきた。 「は?」 「いや、男だったよ、その子」 「はぁ?!これで?!」 男であるはずがない。こんなに可愛いのだ。ぽかんとして画面を見返すが、やはり女の子にしか見えない。 「今十六歳らしい。挨拶だけしたんだが、まあ、間違えても仕方ないな、あれは。間違えるよ」 「嘘だろ…こういう子を大和撫子って言うんじゃないのか?」 「清楚かもしれないが、性別が違うから違うな」 「……日本って怖いところだな…」 「おいおい」 勝手に勘違いしたほうが悪いのに怖いと言われては堪らない。リーバーが呆れた声を出したが、次にティキが言った言葉はさらにリーバーを呆れさせた。 「ま、いいか。この子、恋人いんのかな?」 「いや、知らないが……」 「明日、お前の知り合いって子に声かけてこの子誘いだせねぇかな?」 はっきり会って話がしたいと言うと、リーバーがひくひくと口端を引き攣らせてティキを見た。ついさっきまで目を付けた子が男だったことにショックを受けていたはずなのにコロッと表情を変えて会いたいと言い出したティキが信じられないようだ。 「……お前、そっちの気あったのか」 「そっちの気っていうか、話するくらいならいいだろ。折角こんな可愛い子見つけたんだからさ。男だろうが女だろうが、奇麗な子と話すのは楽しい」 「…一応連絡してみるけど、期待はするなよ」 無理な願いにリーバーから少し距離を置かれそうだと思ったが、何だかんだ言って友人を見捨てられない男だ。そこまで心配することもないだろう。 携帯を取り出して電話をかけ始めたリーバーを見て鼻歌を歌いつつリキュールを飲んだ。 |