my... 5


「兄さん、勉強教えてください」
「俺に聞くより、頭のいいクラスメイトに聞いた方がいいと思うが……」
「兄さんの受験勉強を手伝ってあげてるんです」
「ったく……どこがわからねぇんだ」

ティキと話した後、ユウは客と会うことをやめて、両親に大学進学時の援助を頼んだ。両親は驚いたようだったが嬉しそうな顔をして、ユウが望むならと頷いてくれた。

「ここの方程式なんですけど、どうしてここでこの式がでてくるのかわからなくて」
「ここは、――」

弟の最近では弟のアレンとの会話も増え、少しずつだが、アレンが父親違いの弟であると知る前の関係に戻りつつある。
全て、ティキのお陰だ。正直、あの時はうっかり辞めると言ってしまっただけだったのだが、あの日以降、客と連絡を取ろうとしたら、ティキの悲しげな表情が頭をちらついて連絡を取ることができなくなった。 そして、連絡のない客から少しずつアドレスは消えてゆき、彼と会話してから一か月。ユウの携帯に客の連絡先は残っていない。元々、友人がそこまで多いわけではないので、今携帯のアドレス帳に登録されている人物は両手の指で数えて、ほんの数本足りないくらいだ。

「兄さん、勉強教えるの上手くなってきましたよね。僕のお陰ですね。教えることで覚えていったんでしょう?」
「俺の勉強の成果だ」

得意気に言うアレンの頭を小突き、言い返す。少し前なら、これくらいで喧嘩に発展していたものだが、今はと言うとアレンが嬉しそうに照れ笑いをして終わるだけだ。ユウは売られた喧嘩は買うつもりでいるのだが、アレンはただ兄との触れ合いを楽しんでいるだけなので、毎回毎回肩透かしをくらう。

「あ、兄さん!ここの問題も教えてください」
「いい加減俺に勉強させろ」
「人に教えるのもいい勉強になりますよ」

勿論、アレンとの関係が戻り始めていることで生じた問題もある。アレンがずっとユウの部屋に居座るので、自由な時間が減った。アレンが寝ると言って部屋に戻る10時以降が、ユウが一人で過ごせる時間だ。

「そう言えば兄さん、明日暇ですか?」
「明日?」

アレンに提示された問題の解法をノートに書いていると、アレンがふと思い出したように口を開いた。明日は土曜日。学校は休みだし、特に予定もない。

「何かあるのか?」
「もうすぐお父さんたちの結婚記念日だから、今年は兄さんも一緒にプレゼント買いに行きませんか」
「結婚記念日……」

そう言えば、一度も二人に結婚記念日のプレゼントなどしたことがなかった。結婚記念日自体知らなかったし、知ろうともしなかったのだから当り前だろう。
だが、徐々に関係が戻り始めている今、父親を本当に父親であると受け入れ、母親との結婚を祝ってもよいのではないかと思う。彼が本当の父親のようにユウに優しくしてくれているのは確かなのだ。

「わかった」
「本当に?じゃあ、明日、お昼食べてから出かけましょう。父さんたちには、まあ、映画とかカラオケとか、適当に嘘吐いて。プレゼントはサプライズがいいですから」
「ああ」
「あ、じゃあ、僕もう寝ます!早起きして準備しないと!おやすみなさい!明日、楽しみにしてます」

まだ9時にもなっていないが、アレンはそそくさと勉強道具を片付け、ユウの部屋から出て行った。買い物に行く程度のことなのだから、別にそこまで張り切らなくてもいいだろうに。
溜息を吐き、机の隅に追いやられていた自分の勉強道具を手に取る。以前よりも勉強ができるようになってきていて、もう勉強は苦ではない。今まで、基礎をわからないままに勉強していたが、アレンに勉強を教えるということは、基礎を学びなおすのと同意らしい。問題を解く際に、ああ、この問題はアレンに教えたものを応用させればいいのだと気付くことが何度もある。

「…結婚記念日か」

アレンはさらっと結婚記念日と言ったが、何回目の結婚記念日か知っているのだろうか?ユウの年齢よりも結婚記念日の回数の方が少ないことに、気づいているのだろうか?敢えて言うつもりはないが、もし、両親がアレンに何回目の記念日なのか教えており、回数を偽っていたのだとしたら、ユウとしては複雑だ。母親にとって、ユウの父親との結婚は失敗だったのかもしれないが、ユウはその時に生まれた子供なのだから。

「………」

ノートに文字を書いていた手が止まり、溜息を吐く。勉強をすることは苦ではないが、こういった考えが一度頭の中に浮かんでしまうと、その日はもう勉強する気になれない。
ベッドに座って充電中の携帯を手に取った。一件だけメールがあり、客からのものだった。もう、電話帳に登録されていないため、どの客かはわからないが、ごく稀にこうやってユウの予定を訪ねるメールが来る。メールを削除し、このままでは客との繋がりはずっと切れないだろうと、メールアドレスを変える決心をする。今まで、面倒で初期設定のまま変えていなかった。
アレンのアドレスに倣い、自分の名前と誕生日、好きな花を混ぜたアドレスを作り、アドレスを変更した。家族と友人にアドレスを変更したというメールを送信し、ふと、手を止める。携帯の画面には、ティキのメモリーが表示されていた。
これから先、彼に頼ることはあるのだろうか?徐々に家族との関係が改善されていている今、もはや彼の連絡先を覚えていても意味はない気がする。それに、いつまでも相談に乗ってくれるとは限らないだろう。彼にだって恋人のような存在がいるだろうし、いつまでもこんな学生を相手にしていられるはずがない。
いっそ、このまま新しいアドレスを連絡せずに関係を切ってしまう方がいいのではないかと思ったが、その日、ユウはティキのアドレスを消すことも、自分の新しいアドレスを教えることもなく、ベッドに入った。








「このデパートです!」
「…いつも金どうしてんだ」
「え?お小遣い貯めて買ってます。今回は兄さんがいるから、少し高いのも買えそうですね」

ユウがアレンの年の頃には、確か五千円程貰っていたはずだ。結婚記念日は一年に一度だが、アレンはよく買い食いをするし、家族の誕生日にもささやかながらもプレゼントをしているので、よく貯められると感心する。

「兄さん、いくらありますか?」
「…いつもいくらの買ってるんだよ」
「一万円くらいの何かです。大抵、ペアになってるやつですけど」
「じゃあ、二万出す」
「そんなに?よくそんな……ま、いいや、助かります」

よくそんなにお金がありますね、とでも言おうとしたのだろう。だが、ユウの収入源を言っては喧嘩になってしまうと判断し、口を閉じたのだ。

「さ、行きましょう!」
「おい、引っ張るな!」

明らかにはしゃいでいるアレンに苦笑し、引っ張るなと言いつつも、大人しく手を引かれてデパートに入る。

まず最初にアレンが向かったのは宝石店で、ペアになるネックレスやブレスレットを見た。店に入ったところでアレンが手を放したので、ユウも一応品を選ぼうと店内を見回る。

「…あ」

男性用のブレスレットの場所で立ちどまり、蝶がモチーフになっているブレスレットをまじまじと見る。ティキに似合いそうだ。

「そういや、金渡してねぇな…」

最初、封筒を渡して要件を終わらせようとした時、ティキは食事をしないかとユウに提案し、封筒を受け取らなかった。食事代もティキが払い、ユウが再び封筒を渡す隙もないままに帰ってしまった。
このブレスレットなら、直接金を渡すわけではないからティキも受け取ってくれるかもしれない。

「何見てるんですか?」
「っ!」
「男性用のブレスレット?僕たちが選んでるのは、ペア用ですよ」
「…俺のだ」
「あ、自分用ですか?兄さん、あんましこういうトコ来ませんからね。僕も、お金あれば欲しいなって思います。でも、今はお父さんたちのプレゼントですよ!」
「ああ」

両親のプレゼントが決まってから、もう一度ここに戻ってきて考えようと決め、アレンと一緒に両親のプレゼント選びをする。どうやらこの店にはアレンのお眼鏡に適ったものがなかったらしく、アレンはユウを連れて他の店に移動し、最終的に5店舗巡り、3番目に入った店の品物を買った。

「ありがとうございます、兄さん。兄さんのお陰で結構いいものが買えました」
「別に」
「まだ帰るには早いですよね。どっかでデザート食べませんか?」
「…その前に、最初の店寄っていいか」
「あ、何か見てましたもんね。いいですよ」

買い物が終わった後、ユウはアレンを連れて最初の店に戻り、蝶のブレスレットを購入した。

「こちら、プレゼント用にお包みしますか?」
「え、あ、はい」

ユウの言葉を聞いて、アレンがくすっと笑う。自分で使うものなのに、店員の言葉につられてしまったと思っているのだろう。少しむっとするが、そう思ってくれている方がありがたい。

「ありがとうございました」

綺麗にラッピングされた箱を鞄に入れ、上の階へ行ってジェラート屋に入る。
テーブルに着き、アレンのジェラート選びを待っている間に、ティキにメールを送った。

【ユウです。アドレス変更しました。渡したいものがあるので、また、時間を割いてもらえますか】