my... 47(end)


「退院、おめでとー!食べるぞー!!」

 ティキが退院した日の夜、ティキのマンションで小さな退院祝いのパーティが開かれた。健康に気を遣った料理からアルマ好みの脂っこい料理、デザートまで用意され、人数はティキ、ユウ、アルマの三人しかいないにもかかわらずテーブルはバイキング会場の一角のようになってしまっている。普通ならばこれで数日は料理をしなくてもいいのだろうが、何せアルマがいるので、パーティが終わるまでには皿は全て空になってしまうだろう。

「いただきます!」

 両手を合わせてパンッと気持ちの良い音を響かせたアルマが箸をさっと握って様々な味付けのから揚げに手を伸ばす。二三度息を吹きかけてから一口で食べてしまうと、それでエンジンがかかったのか次から次へと様々な料理をつまみだした。

「にぃ、早く食べないとあいつ全部食うぞ」
「ああ。ありがたく頂くよ」

 ティキも箸を掴み、ユウが病院食で慣れたティキの胃のリハビリにと用意した食事に手を伸ばした。一口食べたティキの顔に笑みが広がったのを確認してユウも箸を持つ。

「にぃ、仕事はいつから復帰するんだ?」
「早めに戻るつもりでいたんだけどな、上から四月からで良いって言われたから、三月一杯はゆっくりする」
「じゃあ、調子良い時どっか遊びに行きたい」
「いつでも良いぞ。もう医者からははしゃぎすぎない程度に動くのは大丈夫って言われてるから」
「あ、僕も行きたい」
「お前は研修行け」
「えぇー……」

 夢中で食べ物を口の中に詰め込んでいたアルマが口を挿むが、ユウはそれを許さずティキと二人で行きたいから嫌だと却下した。

「内定取り消されても知らないからな」
「兄ちゃんがいるとユウは活き活きしてるよね。わかったよ、二人の邪魔はしない」

 それからアルマの終電近くまで、三人は談笑したり、ティキとユウが小さかった頃のDVDを鑑賞したりしながら過ごした。









「悪い、ティキにぃ、片付け手伝わせて。にぃの退院祝いだったのに」
「いや、これくらい手伝うって。一人じゃ大変だろ」

 終電でアルマが帰った後、ユウはティキと一緒にパーティの後片付けを始めた。本当はユウ一人で片付けるつもりだったのだが、ユウがとりあえず運べるだけの食器をキッチンに運んだところでティキが残りの食器を運んで来てしまい、そのままユウが洗った食器を拭き始めてしまったのだ。
 手伝わせてしまったことを申し訳なく思うが、確かにティキの言う通り大勢でパーティをやったかのような量の食器は一人で片付けをすると時間がかかる。

「アルマが勝手に食器出してきてたからな」

「『取り皿はいっぱいあった方が良いだろ?』って、置く場所がねぇってのに」
「床は空き缶だらけだし……ああ、後で空き缶も濯いだほうが良いか」
「うん。あ、でもそれは俺がやっておく」
「二人でやった方が早いと思うんだけどな」
「退院したばっかりなんだから休んでろよ、にぃは」
「あんなに長い間病院にいたことなんてなかったから、ちょっとでも体動かしたいんだよ。……ああ、でも、なんだろうな、病院にいる間に前にもこんなことがあった気がするって思ったな」

 どうしてかはわからないけど。そんなことを言いながらティキが苦笑する。

「階段から落ちた時じゃなくて?」
「あの時もそれなりに病院にいたけど、今回ほどじゃ……あれ、俺その話したか?」
「父さんから聞いた。前にここに泊まりに来た時、電話あっただろ」

 ティキはユウがティキが階段から落ちたことを知っていたことに驚いたらしいが、ユウが情報源を話すと納得したように頷いた。

「ああ、成程。……いや、あの時じゃない。もっと、前だと思う」
「もっと、前……」

 他に何かあったのだろうか?色々と考え、ユウが一つの結論にたどり着いたのとほぼ同時にティキが口を開いた。

「火傷した時だな。多分。あそこら辺、記憶が曖昧でさ、結構な大火傷だったから入院はしたはずなんだけど、どれくらい入院してたとかは覚えてねぇんだ」
「にぃ……」
「俺、何で火傷したんだろうな」

 訝しがるわけでもなく、ただ不思議だというような表情で皿を拭き続ける。

「って、ユウに聞いてもわかるわけないな。ユウも、火には気を付けろよ」
「にぃ、」
「ん?」
「……何でもない」
「そうか?」

 思い出せない限り、無理矢理塞がれた傷を完全に癒すことはできない。だが、最終的に癒える傷だとしても、いつ癒えるかはわからないし、それまで辛い思いをするのなら、思い出さない方がいいのかもしれない。
 父親からティキの火傷の原因を聞いているユウはティキに話をするべきか迷ったが、結局、口をしっかりと閉じた。
 ティキが忘れてしまったことは、今ティキが暮らしていくには不要なものなのだ。現に、ティキは料理も火を恐れることなくしているし、誕生日に関してだって多少支障は出ているが、書類に記入するなどの最低限のことは出来ているようではないか。

「よし、これで食器は最後だな。缶、片付けるか」
「俺が持ってくるから、にぃは食器棚にしまっといて」
「ああ」
 ユウはティキを支えたいと思っているのであって、苦しめたいのではない。ティキが何らかの拍子に幼い頃のことを思い出したのなら、その時は精一杯ティキの為にできることをするが、わざと父親から教えられた虐待の話をティキに教え、ティキが苦しみから逃れるために封じ込めた記憶を解き放つ必要はないのだ。

 リビングへ行き、手で持っていくには何往復もしなければならない空き缶をゴミ袋に詰め込んでキッチンへ戻る。キッチンで待っていたティキは、ゴミ袋の中で音を立てる空き缶を見ると「あいつ、よくこんなに飲んだよな」と頭を掻いた。

「にぃだって結構飲んでた」
「そうか?けど、殆どはアルマのだろ?」
「三分の一はにぃだぞ。退院したばかりなのに何でこんなに飲むんだよ」

 ユウとしては体を気遣って飲酒はほどほどにしてほしかったのだが、「折角の退院祝いなんだから!」とアルマがどんどんティキにビールやサワーの缶を渡していったのだ。ティキも断ればいいものを、ユウの視線の意味をわかっていたはずなのにアルマが差し出す酒を手に取った。

「体、何ともないのか?気持ち悪くなったりしてないか?」
「だったらユウの手伝いする余裕もないだろうな」
「そうだけど、」
「あれくらい平気だ。度数が高いわけでもないし、新入社員だった頃にあれ以上飲まされた時もギリギリ耐えたしな」
「けど、腹怪我して退院したばかりなんだから少しは体を考えろよ」
「はいはい」

軽く返事をされ、むっとしながらもティキがお湯を出して手を差し出してくるので、その手に缶を渡した。

「ちゃんと治療したんだし、そこまで気にすることねぇって。病は気からって言うだろ?逆に気にし過ぎて病んじまうかも」
「でも、……そっか」

 注意するに越したことはないと言いたかったが、ティキは一度ユウのことを気にしすぎたあまり幻を見て階段から落ちたと言う前科がある。気にし過ぎると本当に病んでしまうかもしれない可能性があることに気づいてしまった。

「……けど、無理はするなよ」
「ああ。病院に逆戻りはごめんだ。折角ユウと暮らせるようになったってのに」
「俺だって折角にぃと暮らせるようになったのに一人暮らしするのは嫌だ」

 缶をすべて濯ぎ終わり、水を止めたティキがタオルで手を拭きながらユウを見る。

「量多いし、缶の日に出した方が良いな」
「その日に出さなくてもいいのか?」
「マンション専用のゴミ捨て場にならいつ捨ててもいいことになってるんだ。けど、量が多いと他の住人の迷惑になるから、当日に出した方が良いって言われる」
「そうなのか」
「もうやることもねぇし、リビングに戻ってDVDでも見るか?。俺の部屋にまだDVDあるんだぜ?」
「見る!」









「おはようございます」

 缶のゴミ出しの日、ティキがゴミ袋に詰まった空き缶を回収カゴの中に入れていると、同じマンションの女性が声をかけてきた。先輩の妻で、以前もゴミ出しをしているティキに話しかけてきたことがある。

「おはようございます」
「ミックさん、怪我をしたって聞いたけれど、もう体調は宜しいの?」
「ええ、すっかり良くなりました」
「それは良かったわ」

 女性がほっとしたように笑い、そして、そっとティキに近づいて何やら楽しそうな表情で口を開いた。

「ところで、一昨日、ミックさんと一緒に歩いていた人、もしかして、恋人かしら?」
「……ああ」

 一瞬誰のことかと考えたティキだったが、昨日はユウと一緒に買い物に行ったことを思い出し、女性がユウのことをティキの恋人だと勘違いしてしまっていることに気付いた。

「違ったかしら?」
「あー……恋人ではないですね」
「まあ、勘違いしてしまってごめんなさいね」
「いいえ。恋人ではないですけど、俺の一番大切な人ですよ」

 弟だと正直に答えることも出来たが、ティキは敢えて明言を避けた。すると、女性は「まあ!頑張って!」と少し興奮した面持ちでティキに励ましの声をかけてゴミ捨て場から離れて行った。

「……ま、いいか、嘘は言ってないし」

 大方、女性はユウのことをティキの友人以上恋人未満の存在だと思ったのだろう。あるいは、ティキの片思いの相手と判断したのかもしれない。
 部屋ではユウが朝食を作って待っている。ティキはくす、と笑って部屋へ戻る為に足を一歩動かした。