my... 45


 やはり、昼食時に父親に話をしておけばよかった。両親、そしてアレンのいる夕食の席でユウはそんなことを考えていた。

 来たばかりの時は昼食時に父親に話をして、父親の口から母親とアレンに話してもらえばいいと思っていたのだが、昼食時父親が部屋から出てこなかったのだ。食事ができたと声をかけても「今いいところだから」と言われ、間をおいても「あとちょっと」と言われ、しまいには「後で食べるよ」と言われてしまったのだ。

 調子がいい時の父親には何を言っても無駄だと言うのはわかっていた。それに、無理矢理食事の席に着かせて「今日家を出る」と言っても上の空で聞いていない可能性もある。

 仕方がなく昼食を二人で済ませ、ゲームをやりつつ父親が出てくるのを待っていたのだが、結局父親は夕食の時間が近づいても出てこなかった。

 途中からは諦めて夕食の席、アレンもいるところで話をしようと思っていたのだが、アレンよりも早く母親が帰ってきてしまった。夕食はアルマの母親と一緒に取るからまだ帰ってこないだろうと思っていたユウにとってそれは全くの想定外で、今話を切り出せずにいる一番の原因はそれだ。

 予定通りに行かないにもほどがある。

 それに、ユウは考えをころころと変える自分にも腹が立っていた。最初は父親のみに話をすればいいと思い、次はやっぱり迷惑をかけたアレンにも話をしなければと思い、帰ってきてしまった母親にも話をしなければと思う。
 自分にしっかりとした意思がないからこんなことになってしまうのだ。父親だけに話をすると決めた段階で無理矢理にでも父親に話を聞いてもらえばよかった。
 夕食前にアルマに「ユウ、いつ小父さん達に話すの?」と言われた時には覚悟を決めていたはずなのだが、いざ母親を前にすると緊張してしまうのだ。いくらティキと一緒に暮らすことを許したとはいっても、こんな風に突然出ていくことを許すだろうか?

「……あの、」
「何だい?」
「何?」
「……いえ、」

 こんなことでは夕食が終わってしまう。意を決して声を出してみたのだが、両親とアレンの目が向けられると出かけた言葉は引っ込んでしまった。

「ユウ」

 隣で食事をしているアルマに名前を呼ばれ、深呼吸して両親を見る。視線が父親寄りになってしまうのは仕方がない。

「夕食を食べ終わったら家を出ます」
「おや、そんな――」
「そんな急に出て行かなくてもいいじゃない。大学が始まるまではまだ時間があるんだし、大学が始まったらなかなかこっちに帰ってこられないでしょう?」

 父親の言葉を遮って母親がまだ出ていく必要はないとユウの言葉に反対する。アレンを見ればぽかんとして食事の手が止まっていた。

「その、同居してくれる人、今仕事が忙しいみたいで家事まで手がなかなか回らないらしくて、俺が手伝えればいいと思って、」
「同居してくれるって言っても他人なんだから、そこまですることないわよ」

 母親の口から出てきた言葉に腹が立ち眉間に皺を寄せると、父親がユウの味方をした。その父親の眉間にも皺が寄っており、母親の発言をいただけないものと思ったらしい。

「まあ、大学入学直前に行くよりはいいかもしれないね。どこに何があるのかなんてそこで暮らさないと覚えられないものだし。私はいいと思うよ」
「あなた、」
「ただ、今日はもう遅いし、明日朝食を食べたらじゃダメかな?アルマ君も泊まっていけばいいし」
「……」

 父親の提案にどうしたものかと考えていると、アレンが声を出した。

「僕は、できればもう少しいてほしいです。今日、いきなりなんて急すぎますよ」
「そうよね。ほら、アレンもこう言っているんだから――」

 アレンを味方につけて笑顔になった母親がさらに何か言おうとしたが、それを遮ったのは母親に味方をしたはずのアレンだった。

「でも、兄さんが早く行きたいって思うなら、それでいいと思います」
「アレン、」

 もう少し家にいてほしいと言っていたはずなのにどうして?という母親の戸惑いの目がアレンに向けられるが、アレンは事もなげに「だってそうでしょ?」と言葉を発した。

「もう兄さんは学校へ行かなくてもいいから、ここにいても暇なだけじゃないですか。新しい環境になれることも大事だと思うし」
「だけどね、アレン、」
「何年も会えなくなるっていうなら考えますけど、兄さんの引っ越し先って、確か僕でも簡単に行けるようなところなんですよね?そんな近場への引っ越しなのにもう少し傍にいてほしいっていうのも、何かおかしいと思って」

 アレンの援護を受けつつユウを説得しようと思っていたのか、母親が困り顔でアレンを見るが、アレンは再び食事を再開して母親を見ていない。

「君の好きにするといいよ」
「……わかりました。夕食の片づけを終えたら出ます」

 父親の提案に乗って明日の朝出ていくこともできたが、ユウは食事後すぐに家を出ることを選んだ。アルマもそうなるだろうと思っていたのか「じゃあ、僕もユウが出るのに合わせて帰ります」と父親たちに声をかけた。
 母親一人だけが不服そうな顔をしたまま食事は続き、母親一人を残して片づけが始まる。

 ユウが皿洗いをしているとアレンが「手伝います」と言って布巾を手に取った。アルマは父親と一緒にさっきまでユウとアレンと一緒にしていたゲームをしている。

「明日の朝出ると思いました」
「……明日の朝まで待ってたら母さんが五月蠅いだろ」
「…まあ、多分そうですね」

 ユウが出発のタイミングを遅らせなかったのは母親のことを考えたからだった。明日の朝まで家にいれば、出かける直前まで―下手をしたら夜通しで―まだ出ていく必要はない説得されかねない。説き伏せられるつもりはないが、ユウが朝まで頑なに拒み続けることで母親の中に生じてしまうかもしれない何かを懸念してのことだった。

「お母さん、兄さんの一人暮らしについては結構反対してたし、許可してくれてるうちに家を出た方がいいとは思います」

 順調に皿の数は減っていき、あとはアレンが使っている茶碗のみになる。

「兄さん」
「何だ」
「お母さん、僕が家を出る時も反対すると思いますか?」
「は?」

 突然何を言い出すのかと目を丸くしてアレンを見るが、アレンは真剣そのものの目をしていて馬鹿なことを言うなとは言いにくい。

「僕も、高校卒業したら家、出ようかなって思って」
「初めて聞いたぞ」
「それはそうですよ。言ってませんから。……お母さん、最近ちょっとおかしい気がして。嫌いじゃないんですけど、その、なんていうか、怖いかなって」
「……」

 予想はしていたことだ。ユウと母親、そして父親のやり取りを見ていれば少なからずアレンだって母親を怖いと思うだろう。

 部屋を散らかしていて怒られる、テストの成績が悪くて怒られる、だから怖い。ではなく、どこか気味の悪さを感じる恐怖。

「あ、言っておきますけど、兄さんみたいに近くだけど家を出るってわけじゃないですから。留学したいんです、僕」
「留学?どこに」
「フランスです。父さんの故郷」
「フランス、」

 大学進学に合わせて家を出ると言うのは同じだが、アレンは本当に遠くへ行こうとしているのだ。てっきりユウと似たようなやり方で家を出るつもりだと思っていたが……。

「前々から考えてはいたんです。父さんにはちょっとだけ話をしたし。母さんにも、話をしようかなって思ってたんですけど、最近様子がおかしいし、話しても認めてくれなかったら……」
「……そうなったら、俺が味方してやる」

 気づけばずっと洗っていたアレンの茶碗をアレンに渡して水を止める。

「……大丈夫ですよ。僕が自分で何とかします。お父さんも、僕に味方してくれているし」

 ユウの心遣いに対してアレンは迷ったようだったが最終的には必要ないと首を横に振った。そして、拭き終わった茶碗を置いてユウに対して笑いかけてくる。

「だって、兄さんが僕に味方したら、きっとまたお母さん暴走しちゃいますよ」
「……」

 否定はできない。アレンの言葉にユウは苦笑いした。

「それじゃあ、兄さんはこれから準備ですか?」
「いや、もう準備は終わってる」
「そっか、じゃあもう出発ですね」
「……悪いな」
「いいえ。落ち着いたら遊びに行かせてもらいますから大丈夫です」

 アレンが布巾を布巾かけにかけ終えたのを見てリビングでゲームをしているアルマに声をかける。

「アルマ、荷物取ってくる」
「あ、うん。小父さん、そろそろセーブしないと」
「ここから一番近い町はどこだったかな……」
「いいとこないから呪文使っちゃったほうが――」

 アルマ達の声を聴きながらリビングを出て部屋へ行き、すでに準備しておいた荷物を掴む。リビングに戻るとすでにテレビ画面はニュースを映しており、無事にセーブできたようだ。

「じゃ、いこっか」
「それじゃあ、行ってきます」
「うん。偶には帰ってくるんだよ」
「はい」
「行ってらっしゃい、兄さん」
「ああ」

 父親とアレンに見送られて玄関へ行くと、靴を履いている途中で母親がダイニングから出てきた。

「気を付けてね」
「……はい」

 にこやかな顔をしているが、内心はどう思っているのかわからない。
 母親の笑顔を見ても安心せず、むしろ気を引き締めると、ユウは家を出た。