my... 41


「にぃ!」
「ユウ、病院で大声出すなよ」

翌日、日中に見舞いに来るよう言われたユウは面会時間が始まるのとほぼ同時刻に病院に到着し、ティキの病室を訪ねた。
ティキの病室は四人の大部屋だったが、他三人分のベッドは空いており、ティキしかいない。
病室に入るなり大声を出してしまったユウを嗜めはしたが、ティキの表情はとても嬉しそうで、ユウが見舞いに来てくれたことを喜んでいるようだ。

「…大丈夫なのか?」
「見てわかるだろ?元気だよ」

ベッドの前にあった椅子をベッドの傍に移動させ、改めてティキの顔を見る。

「顔には傷付いてないんだな、マンションの前で記憶が途切れて、しかも事故って言うから、車に轢かれたんだと思ったのに」
「そんな大した事故じゃない。脇腹にちょっと傷が出来た程度」
「どんな事故だよ、」

意外と元気そうな―むしろ本当に事故に遭ったのか疑わしい―ティキの姿にホッとするユウだったが、こうなるとどうして数週間も入院しなければいけないのかわからない。

「ま、その脇腹の傷の所為で内臓がちょっとやられたから、入院期間が延びてるんだけどな」
「そうなのか?」
「そ。日常生活でもちょっと危ない時があるらしい」
「ふーん…な、ティキにぃ、傷見せろよ」
「は?」

突然の言葉にティキがぽかんとし、その後苦笑して「何言ってるんだ?」と言ってユウの頭を撫でる。

「本当に怪我してるのかわからない」
「無理だよ、包帯してるからな。てか、入院してるのが怪我した証拠だろ」
「その包帯で良いから」
「…ったく、」

あまり困らせるなと言いつつもティキが入院着を肌蹴させ、包帯の巻かれた脇腹をユウに見せてくれた。流石に包帯を目にすると、ティキは本当に怪我をしているのだという実感がわいてくる。

「触ると痛いのか?」
「出来たばかりの傷だからな」
「じゃあ触らない」
「痛くないって答えたら触る気だったのか?」
「触らない。…もういいからさっさと包帯隠せよ」
「見たいって言ったのはそっちだろ」

怪我を見たいと言ってみたり、もう見たくないと言ったり、我ながら自分勝手だとは思ったが、最初は本当に見たいと思ったし、今はもう見たくないと思ったのだから仕方がない。
ティキが入院着を整えると、ユウは今日話そうと思っていた話題を切り出した。

「にぃ、一緒に住む話なんだけど、退院待たないと俺部屋にいけないのか?」
「行ってもいいけど、あそこに一人はつまらないだろ」
「けど、それってティキにぃが入院してる間ずっと掃除もなしってことだろ。折角母さんがいいって言ったんだ。さっさと家を出たい。最初の予定じゃ、卒業したらすぐティキにぃのとこ行くって決めてただろ」
「まあ、そうだけどさ、状況が状況だろ?俺が事故に遭ったの、マンションの真ん前だしさ、ユウ一人は危ない」
「注意すれば平気だ」

事故に遭う可能性なんてどこにいてもある。家の前の道路だって、少し前に子供が危うく車に轢かれるところだったと言う危険な出来事があった。決して安全な通りではない。

「それに、マンションの方がこっちに来やすい」
「来やすいって、また見舞いに来る気か?」
「何だよ、折角話し相手になろうって言ってんのに」

まるで迷惑そうな言い方をされ、むっとして言葉を放つと、少し慌てたような声で迷惑じゃないという答えが返ってきた。

「ただ、ユウの負担にならないか心配だっただけだって。悪い」
「ここに来るくらいどうってことない」
「まあ、俺がここにいる間ユウがマンションにいて家事してくんならありがたいけど、良いのか?大学始まったら家に帰る回数も減るだろうし、家族と顔合わせる回数も――」
「にぃだって家族だろ」
「…そうだな、そうだった。じゃ、ユウにプレゼントやるか」

一瞬キョトンとした表情を見せたティキだったが、すぐに嬉しそうに笑い、体を伸ばしてベッドサイドの棚から鞄を引っ張り出した。

「ッテ、」
「言えば俺が取るのに、」

体を伸ばしたせいで傷が痛んだらしく、ティキが顔を顰める。その表情から本当に痛いのだと感じ取ったユウが声をかけるが、ティキは大丈夫だと言って鞄を開いて中から小さな巾着を取り出しユウに渡した。

「これ……?」
「開けて」
「…これ、鍵、」

巾着から出てきたのは鍵だった。鍵には何かのロゴの入ったシンプルなキーホルダーも付いており、改めて巾着を見ると、巾着にもそのロゴが刺繍されていた。どうやらそのブランドのものらしい。

「マンションからここに通うにしても、鍵がなけりゃ入れないだろ。」
「ありがと、にぃ」
「事故に遭った日にキーホルダー買いに行ってさ、卒業式の日か、今日渡そうって思ってたんだ。渡す場所は想像してた場所じゃないけど、予定通りと言えば予定通りか」
「俺もこんなところで合い鍵渡されるなんて思わなかった」
「あ、とりあえず今日は家に帰れよ?」
「わかってる。ちゃんと言ってからマンションに行く」
「よし」

いい子だと頭を撫でられ、少し照れて頬を赤らめると、タイミング悪く病室に誰かが入ってきた。

「失礼します」
「あ、どうも」

入ってきたのは二人組の男で、ティキとユウに会釈をしてティキのベッドの傍までやってくる。ユウは誰なのか全く分からなかったが、ティキは男達に軽く会釈し、誰なのかわかっているようだ。

「ティキにぃ、誰…?」
「刑事だって。昨日も話聞きに来たんだ」
「刑事…?」
「ご親族の方ですか?」

困惑して刑事だと紹介された男二人を見ると、男達もユウのことが気になっていたのかティキではなくユウのことを見ていた。

「俺の弟です。これから一緒に暮らすことになっていて」
「そうでしたか」
「…にぃ、俺そろそろ、」
「ん、帰るか?」
「アルマのとこ行く約束してるんだ。昨日、にぃと話した後電話があって」
「そっか。じゃ、気を付けて帰れよ」
「うん。…また来るから」
「ああ。待ってる」

刑事がいる状況に出くわしたことがなく、その雰囲気に耐えられず逃げるように病室を後にした。

(…何の話なんだ?)

刑事がきた理由を考えていると、後ろで病室の扉の開く音がし、振り返るとティキの病室から刑事の一人が出てきた。

「すみません、少し話を聞かせていただいて良いですか?」
「…何の、ですか?」
「お兄さんが誰かと言い争ったり、喧嘩をした、等の話を聞いたことはありませんか?」
「いえ、何でそんなこと聞くんですか。事故に関係あるんですか?」
「事故?……ああ、いえ、ご存じないようでしたら結構です。ありがとうございます」

しまった、とでも言いたげな表情をした刑事は、自分からユウに話しかけてきたにもかかわらず逃げるように病室へ戻ってしまった。

「……変な刑事だな」









「あれ、ユウ!いらっしゃい!」
「入ってもいいか?」
「勿論!散らかってるけどね」

病院を後にしたユウは、ティキに話したようにアルマの住むアパートへやって来ていた。
病室で話した昨日アルマの家へ行くと言う約束は嘘のものだったが、アルマは突然訪ねてきたユウを快く中へ入れてくれた。
部屋の中はアルマの言う通り散らかっていたが、突然訪ねた身で文句は言えない。

「突然どうしたのさ?」
「暇になったから来た」
「あっそ。そう言えば、兄ちゃんとは連絡取れた?」

ユウがベッドに座る―ゆったり座れる場所がベッドくらいしかない―と、アルマが自分の座れる場所を作りながらユウに話しかけてきた。
ティキと連絡が取れないことは話していたが、ティキと連絡を取れたことを話さずにいたことに気づき、アルマの言葉に頷いて口を開く。

「さっき会ってきた。合い鍵貰ったしな」
「あれ?じゃあうちに来なくても良かったんじゃないの?兄ちゃんと会ったのに一人でわざわざ…」
「仕方ねぇだろ、何かいきなり刑事来て話しづらくなって――」
「待った、刑事って何?え?事件?」
「事件じゃねぇ、事故だ。なんか、マンションの前でティキにぃ事故に遭ったらしくて、そのことで話聞きに来たっぽい」
「うわぁ…凄いなー、え、事情聴取ってやつなのかな?っていうか、事故ってどんな?ひき逃げとか!?」
「知るか。けど、全然怪我してなかった。腹に包帯巻いてたくらいで、他は別に…」
「へー……あ、れ、」

話を聞いていたアルマが何かに気付いたのか、口に手を当てて考え込んでしまった。そして、突然額に汗が浮かぶ。

「大丈夫か?」
「…兄ちゃん、本当に事故に遭ったのかな?」
「どういう意味だよ」
「いや、あの、さ……実は、……」

実は、と言いつつもなかなか話そうとしないアルマに痺れを切らし、アルマのシャツを掴んでキッと睨みつける。

「話せ」
「あの、さ、ほら、小母さん、母さんのとこ来たって言っただろ?」
「それがどうした」
「小母さん帰ってからさ……なくなったらしいんだ」
「何が!母さんが何か盗んだって言いたいのかよ」

あまり好きになれない母親ではあるが、泥棒呼ばわりされるのは良い気分ではない。アルマのシャツを掴んだまま揺さぶって何がなくなったのか強く尋ねると、小さな声がアルマから出てきた。

「包丁」
「ほ、」
「普段片付けてる場所になくて、キッチンのどこにもなくて、念の為家中探したけどないらしくて、」
「………」

予想外な物の名前がアルマの口から出て、ユウの手がアルマのシャツから離れる。

「兄ちゃんの傷、どんな傷か聞いた?」
「…聞いてない。けど、傷で内臓がやられたって、」
「刺し傷、じゃないよね?」
「……俺、刑事からにぃが誰かと喧嘩したり、言い争ったりした話を聞いたことはないかって、聞かれた」

心臓がおかしなくらい早く脈打ち、ユウの頭に最悪な映像が浮かぶ。

「や、やめよう!この話はナシ!折角来たんだし、何かゲームでもしようよ!」

恐らくはユウと同じことを想像していたらしいアルマだが、ユウが同じ結論にたどり着いてしまったことに気づくと、慌ててユウの考えを逸らそうと話題を切り替えてきた。しかし、今更そのようなことをされても効果はない。

「ティキにぃ、事故のこと、何も覚えてないんだ……何も、」
「ユウ、もう考えるのやめよう、絶対、そんなことあり得ないから」
「にぃってさ、母さんに酷いことされると、そのこと全部忘れるんだ」
「ごめん!俺が変なこと言ったから変に考えちゃうんだ。包丁はきっと、母さんの勘違いだよ。母さん忘れっぽいから、」
「帰る。母さんと話す」

ベッドから降り、玄関へ急ごうとするユウの手をアルマが掴み、無理矢理ベッドに座らせる。

「すぐ掃除するからさ、今日は泊まっていけよ!お互い、落ち着こう?」
「いい、帰る」
「今のまま小母さんと会っちゃ駄目だ!冷静にならないと」
「冷静でいられるわけないだろ!母さんがにぃを殺そうとしたかもしれないんだぞ!?」
「ユウ!」

強く体を揺さぶられ、はっとしてアルマの顔を見る。いつになく真剣な表情だ。

「駄目だよ、ユウ。今は落ち着かないといけない時だよ」
「……悪い」
「ユウの家に電話するよ?今日は家に泊まるって。良いよね?」
「…ああ」