my... 40


「ただいまぁ」

水曜日の夜、ユウが夕食の準備をしていると母親が帰ってきた。

「……?」

ユウが文句の一つでも言ってやろうと玄関に向かうと、そこにはすでに母親の姿はなく、脱衣所から音がする。どうやらシャワーを浴びるつもりらしい。
どうせ暫くすれば父親が帰って来てまた夫婦喧嘩が始まるだろう。説教は父親に任せることにして、ユウはキッチンへ戻って料理を再開する。料理をしているうちにアレンが帰って来て料理を手伝ってくれた。

「え、お母さん帰って来てるんですか?」
「今風呂場にいる」
「本当に帰ってきたんですね。お父さんは?」
「帰り道らしい。さっき携帯にメールが入ってた」
「じゃあ、今日は久しぶりに家族でご飯を食べられますね」
「そうだな」

ユウと二人で食べることが嫌なわけではないが、寂しい。アレンはそう感じていたのだろう。嬉しそうな顔にユウも少しだけ笑い、オーブンをグラタンの具合を確認する。更に一つ一つ分けるのが面倒だったので大皿でやったのだが、上手くいきそうだ。

「やあ、ただいま」
「おかえりなさい、お父さん」
「美味しそうな匂いがするね」

グラタンが出来上がり、ユウがキッチンミトンを手にはめたところで父親も帰ってきた。父親は母親と違ってキッチンへ顔を出し、料理を作っているユウとアレンの顔を見て嬉しそうな顔をする。元気そうな子供達に安心しているようだ。

「お母さんは帰って来ているかい?」
「今風呂に入ってます」
「そうか……」
「もうご飯ですよね?僕、お母さんの様子見てきます」
「頼む」

アレンがキッチンから出ていくと、父親がユウに話しかけてくる。

「わるいね、ユー君、数日大変だっただろう?」
「いえ、学校も早帰りになってやることも特になかったので」
「ああ…もう、卒業式が……」
「はい」
「卒業式までにはお母さんを説得したかったんだが……」
「いいです。どうせ、もう俺がこの家を出ることは決まってるし、暮らし始めればいつか母さんも折れると思います」
「そうかなぁ……」
「俺がこの家にいるのも後少しですから。母さんがいきなり出ていくよりは、話し合いを中断して四人で食事をする方がアレンも喜びます」
「うーん……」

父親はまだ何か言いたげにしていたが、ユウはこれ以上母親と言い争う気にはなれなかった。もう、母親に何を言っても無駄だと思ったのだ。

「兄さん、お母さんもうあがるそうです」
「こっちももう準備できる。運ぶの手伝え」
「はい」
「ああ、私も手伝うよ」

男三人で夕食の準備をしていると、母親がダイニングへやってきた。

「あら、もう準備終わっちゃったの?手伝おうと思ったのに」

きょとんとしながら料理の並べられたテーブルを見る母親にユウは溜息を吐き、文句の一つくらい言いたくなったが、やっと四人そろったのだからと我慢して椅子に座る。
ユウが座ると皆が椅子に座り、それぞれ食事を食べ始める。

「お母さん、友達の家に行っていたんだって?」
「ええ。楽しかったわ」
「そうか、それは良かったよ」

父親が話しかけても、母親は特に機嫌を悪くするわけでもなく楽しそうにアルマの母親と会って話したことを喋り始める。

「あ、そうだ。ユウ」
「……何」
「良いわよ」
「…は?」
「外で暮らしても良いわよ」
「………え?」

母親の言っている意味がわからず一瞬固まるユウだったが、徐々に言葉の意味を理解し、瞬きして母親を見た。

「本当に?」
「ええ」
「お母さん、急にどうしたんだい?」
「私なりに考えたの。やっぱり、若いうちに色々な経験をしておくのはいいかもって思って」
「そ、そうか。それなら良かった」

突然の母親の心変わりに父親も驚いているようだが、結果的にこれ以上母親との仲を拗れさせずに済んだとほっとしているようだ。元々言い争うことが得意でない父親にとっては早く結論付けたいものだったのだろう。

「ユー君、後で連絡しておくといいよ」
「はい」
「良かったですね、兄さん」
「ああ」

後片付けを終えたらすぐにティキに電話をしよう。きっと、ティキも喜んでくれるはずだ。









「……おかしいな、」

いつまでたっても通話中にならない携帯の画面を見て首を傾げる。
食後、父親とアレンが片付けると言ってくれたため、ユウはすぐに部屋に戻ってティキに電話をかけていた。しかし、いつもならすぐに電話に出てくれるはずのティキが電話に出ない。

「残業か…?」

寝ている可能性もあるが、それにしても早い時間だ。直接口で言いたかったが、出ないなら仕方がないと待ち受け画面に戻り、メール作成画面を開く。

【残業か?さっき、母さんがにぃと暮らしていいって言ってくれた。本当は電話で言いたかったけど電話に出ないから、とりあえずメールしとく。暇になったら電話してほしい】

メールを送信して、携帯を机に置く。
いつ連絡が来てもいいように携帯をちらちらと見ながら大学の授業が書かれた分厚い冊子を開く。まだ、全部の科目を決めていない。
十分過ぎ、二十分過ぎ……あっという間に一時間が過ぎる。それでも携帯は鳴らず、少し不安になってもう一度メールしようかと携帯に手を伸ばす。だが、きっとまだ残業しているのだろうと手を引っ込めて科目選択を再開する。

「一緒に暮らすようになったら、こういうことないようにしないと駄目だな。飯作るタイミングがわかんねぇし」

先に帰る方が食事を作るにしても、お互いの帰宅時間を把握しておかなければ食事も作れない。

「……でも、これでやっと…」

何の気兼ねもなくティキと暮らすことができる。これで、ティキとアレンも兄弟として会いやすくなるはずだ。もっとも、それは大分後になるだろうが……。
その日、結局ティキから連絡は来なかった。









『もしもし、ユウか?』

ティキから連絡がきたのはユウの卒業式があった土曜日のことだ。同級生と夕食を食べ、携帯を気にしながらもそろそろ寝ようかとしていた時だった。

「にぃ、何してたんだよ…ずっと連絡待ってたのに」
『今日、卒業式だったんだよな?おめでとう』
「ありがと」
『連絡遅れてごめんな』
「俺、いつから家に行っていい?」
『…それなんだけど、今月中はきついかもしれない』
「は?何で」

予定では卒業式を終えたらすぐにティキの家へ行っていいはずだ。それがどうして駄目なのかと眉を顰めて尋ねると、ティキは言いずらそうにしながらも訳を話してくれた。

『実は、今病院にいてさ、今月中帰れなそうなんだ』
「…病院って、何で、どういうことだよ」
『ちょっと、事故に遭っちまって、退院まで二、三週間かかりそうなんだ。昨日まで意識不明だったらしくて、今も時間制限付きで電話を――』
「だ、誰が事故に遭ったんだ?」

頭のどこかで間抜けな質問をしているとわかっていたが、それでもユウはティキの言っていることがいまいち理解できずティキが今言っているのは誰のことなのかと尋ねる。
電話越しにティキの苦笑いと、そして苦しそうな声が聞こえた後、頭の片隅でわかっていた答えが返ってきた。

『俺』
「お、俺って、大丈夫なのかよ?怪我の具合、」
『平気だって。こうやって電話してるだろ?退院まで二三週間ってのも大袈裟なんだよ』

大袈裟じゃありません。という声がティキの声より遠くで聞こえたが、ティキは気にせずユウに話しかける。先程の声がユウに聞こえているはずがないと思っているのかもしれない。

『ごめんな、すぐにでも一緒に暮らしたかったんだけどな』
「……何時事故に遭ったんだよ?水曜に電話した時、もう…?」
『あんまり覚えてないんだよな、何があったか。マンションの前で記憶が途切れててさ、気づいたら土曜日だった』
「見舞いに行きたい。病院どこだ?明日でも平気か?」
『マンションの近くの病院あるだろ?窓から見えてた』
「うん」
『あそこに入院してる。見舞いはどうかな……ああ、大丈夫らしい。日中がいいって』

また遠くから何やら声がして、ティキがそれを受けてユウに休日の見舞いも平気だと伝える。恐らく、ティキが制限時間以上話をしないように監視している病院の人間だろう。

「…ティキにぃが生きててよかった」
『これからユウと暮らせるってのに死んでたまるか。……悪い、ユウ、そろそろ時間らしい』
「わかった。じゃあ、明日行くから」
『ああ。待ってるよ』

通話が切断された携帯を耳から離し、待ち受け画面を見つめる。待ち受け画面が震えていると思ったが、よくよく見てみれば震えているのはユウの手だった。

「事故って……、」

気づけば、声も震えている。
通話中のティキの声はとても元気そうに聞こえたが、ユウに心配させないようにとしていただけかもしれない。

「………」

不安で頭が一杯になる。しかし……。

「何か、変だ」

ユウは妙な胸騒ぎを感じていた。