「ティキ、昨日早く帰って何だったんだ?デートか?」
「いえ、家のことでちょっと」 ユウと再会をした次の日、出社したティキは待ち構えていた先輩に捕まり、昨日さっさと帰ってしまったことについて深く追求された。普段、定時になっても後輩たちの様子を見て手伝ったりしているティキにしては、あまりに不自然な行動だったのだ。 「家?お前、一人暮らしだろ?」 「家の鍵、かけてきたかどうか覚えてなくて、不安だったので」 先輩は良い人だと思うが、自分の家庭について深く教えるつもりはない。それがティキの先輩に対する評価だ。尊敬はするが、全てを教えるほどの人柄ではない。 鍵をかけ忘れたかも知れない、なんて理由で早く帰るわけがないのだが、先輩は「案外心配性なんだな」と言って軽く笑うだけだった。 「今日はちゃんと鍵かけてきたのか?」 「勿論」 「じゃ、仕事頑張れよ」 先輩が彼のワークスペースに戻ったのを確認した後、ティキも机の上にある書類を手に取ってから己のワークスペースに入った。 ティキが仕事をしている階では、一人一人にワークスペースと呼ばれる机に椅子、本棚が設置された扉のない小部屋が与えられ、仕事はエレベーターを降りてすぐの場所にある机に置かれている。会話をしようと思わない限り人と会話のできない職場だが、ティキはというと全く不便を感じていない。ティキにとって、職場は働く場でしかないし、会話は偶に会う友人との会話で足りている。 「……」 書類を整理していたら、薄いピンク色の封筒が紛れ込んでいた。毎日というわけではないが、かなりの頻度でティキの書類に紛れ込んでいるラブレターだ。 中を開けてみると、ティキから少し離れたワークスペースで仕事をしている女性からで、今度一緒に食事をしようというお誘いの手紙だった。溜息をつき、その手紙に直接すみませんと書き込み、封筒にしまう。帰りに彼女の机に置いて帰るのだ。返信するのに手頃な紙がなく、困ってやり始めたものだったが、手紙自体に断わりの文を書いて返すことで会社の女性たちは私には脈が少しもないと判断するらしく、少しずつだがラブレターの数は減ってきている。辛抱強く出し続けてくる女性も中にはいるが。 椅子に座り、書類を整理して一段落したところで昨日のことを思い返してみる。 昨日は、母親からの手紙を受けて、他人のフリをして母親とユウの住む家に行ったのだった。運が良ければユウや、半分血のつながった弟に会えるかと思っていたのだが、その辺は母親もよく考えてティキを呼んだようで、家には母親以外誰もいなかった。再婚相手には画材を買いに"行かせた"と言っていたので、余程、ティキを今の家族と会わせたくないのだろうと思う。一通り最近のユウの行動について話を聞いた後、あとはこちらから自然に出会える切っ掛けを探してみると言って家を出た。 あの時ユウに出会えたのは、本当に運が良かったと言える。半ば追い出されるように家を出た後、ティキは暫く家の周辺を散策し、その途中で見つけた飲食店で食事をしつつ、パソコンを使って出会い系サイトを調べていた。ユウと自然に出会うにはどうしたらいいのか考えたが、兄弟という最大の接点を利用できないということは、ユウの登録しているだろう出会い系サイトを発見してそこから近付くしかないだろうと思ったのだ。まあ、無数にある出会い系サイトから何と言う名前で登録しているのかもわからない弟を探すのは至難の技で、数時間居座って探し続けたにもかかわらず見つけることができなかったわけだが。違う手を考えようと飲食店を出、車を駐車した駅へ向かう途中でユウと出会えた。 色々と話を聞くことができ、連絡先を教えることができたのはなかなかの成果だろう。援助交際をしている為に、ユウにそこまで不信感がなかったのも、まあプラスに繋がった。 後の課題はどうやってユウとの距離を縮めていくか、だ。 連絡先は教えたが、ユウが連絡してくるとは限らない。一度は、タクシー代やホテル代などで礼のメールが来るだろうが、それで途切れる可能性が高い。何とかして、この細く、今にも切れてしまいそうな繋がりを確かなものにしていかなければいけない。 ♪〜 突然、滅多に鳴らないティキの私用携帯が鳴り、首を傾げつつポケットから携帯を取り出す。ティキの私用のアドレスを知っているのは大学の頃の友人だけだが、彼らがこの時間に連絡してくることは、まず無い。彼らも同じように社会人であり、会社にいる時は絶対に携帯を弄らないという真面目人間ばかり。そこでふと、もう一人、昨日ティキが私用のアドレスを教えていた人物を思い出し、期待に胸を膨らませつつ受信箱を確認した。 知らないアドレスから来たメールは、間違いなくユウのものだった。 【昨日、公園で世話になった者です。昨日はありがとうございました。タクシー代とホテル代返したいので、今日、良ければ時間を割いてもらえませんか】 昨日、ティキは名前を名乗ったが、ユウは名前を名乗らないままだったのでこんな書き方をしたのだろう。礼だけでなく、金を返すためとはいえもう一度会いたいというのだから、これを逃す手はない。直ぐに返信し、会社が終わる時間を教える。数分もしないうちにまたユウからメールが来、駅で待ち合わせしたいから、都合の良い駅を教えてほしいと書かれていた。 待ち合わせ時間と駅が決まると、【また後で連絡します】というメールを最後にユウからのメールは途絶えた。 とても事務的なメールだったが、浮かれずにはいられない。これで、もう一度ユウと会えることが決まったのだ。母親からは、ユウとの進展があった時はちょくちょく連絡をしてほしいと言われ、電話番号を教えられていたが、まだ連絡する気はない。ユウと再会したことも教えていないが、母親がティキとユウの関係をユウに秘密にしたまま何とかしてほしいという自分勝手な願いを持っているのだから、ティキだって少しくらい自分勝手になってもいいだろう。ティキとしては、ユウに兄なのだと真実を告げたいのだから。昨日、警察に何と言ったのかとユウが尋ねた時、兄弟という単語を出したのはほんの少しでもいいからユウに気づいてもらえないかと思ったからだ。まあ、嘘を吐いたと言ってしまったので、ユウは嘘と受け取ってしまっているだろうが。 【駅に着きました。南口の改札前にいます】 約束した時間の十分前。待ち合わせの駅近くの駐車場に車を駐車したところで再びユウからメールがあった。ティキが今いる場所から駅までは五分少しなので、少し待たせてしまうなと頭を掻きつつ返信をする。ティキの計画では、ユウより先に待ち合わせ場所にいるつもりだった。 小走りで駅まで行くと、改札口近くの柱に寄りかかるユウを見つけた。ティキが電車で来ると思っているらしく、改札を通る人々の中からティキを探そうとしているようだ。 「すまない、遅れた」 「っ、電車で来ると思った」 「車で来た。会社に置いてくるわけにもいかないから」 「…えっと、これ、」 これ以上話を広げても無意味だと判断したのか、ユウが鞄から封筒を取り出してティキに差し出してきた。 これを受け取れば終わってしまう。折角会えたのだから、もう少し一緒にいたい。 「…折角だから、どこかで話をしないか?」 ティキの提案に少し戸惑ったようだが、こくっと頷いたのを確認して近くのレストランに入る。 「そうだ、俺は君のことを何て呼んだらいい?」 「…ユウ」 「ユウ、わかった」 本名を教えてきたのには驚いたが助かった。仮に偽名を教えられていたのに本名で呼んでしまったら、言い訳できない。 適当に注文をして、待ってる間に今日、別れるまでに達成させる目標を考える。とりあえず、次に会う約束を取り付けるか、確実にメールのやり取りをできるくらいに近づきたい。 「えっと……今日は、学校は?」 「創立記念日で休み」 「そうか。………」 会話が続かない。昨日吐きだして楽になったのかユウは何も喋ろうとしないし、かといってティキが自分のことを喋れば、襤褸を出してしまいそうだ。嘘を吐くのはそこまで得意ではない。 「…あの、な、ユウ。その、昨日話を聞いて思ったんだが、援助交際をするというのは、どうかと……」 「…けど、まだ大学に行く資金が貯まってない」 「だからといって、このまま続けるのは良くないだろ?昨日みたいなことがあったらどうする?食事をするだけってことで、あまり自覚がないのかもしれないが、一歩間違えば本当に危ないんだぞ」 「……そうだけど」 「いきなり止めろって言うのは無理かもしれない。だけど、少しずつ人数を減らした方がいい。何人客がいるのか知らないが、一人二人じゃないな?」 ユウが素直に頷いたので頭が痛くなる。 「…あんたって、カウンセラー?」 「ティキだよ。カウンセラーじゃない。ただの会社員」 「………」 「何でもない奴にこんなこと言われて、不満か?」 「…別に。助けてもらったし」 「じゃあ、良いな」 「どうして、こんなに俺のこと、その……気にかけてくれるんだ?」 「……年の離れた弟がいる。放っておけない」 嘘は言っていない。 「俺が、弟みたいだって?」 「ああ」 「弟も、俺みたいなことしてるのか?」 「……弟は、やめたよ。相手に襲われそうになってから」 「………じゃあ、俺もやめる」 ユウの口から出た言葉にポカンとする。少しずつやめさせていけばいいと思っていたので、こうも簡単にやめると言うなんて思わなかった。 「親に、受験のこと言ってみる」 「それが、いい…と、思う」 やめると言ってくれたのは嬉しいが、これはこれでティキにとっては問題だ。ティキの役目は、ユウに援助交際をやめさせることで、それが終わったらお役御免になってしまう。そうなったら、ユウに会えなくなってしまう。しかし、ここでまた会いたいなんて言ってしまえば、ユウに「あんたも結局それ目当てか」と言われそうで、何も言えない。 「あんたみたいな兄ちゃんがいたら良かったのに」 「…それは、光栄だ」 「父さんにはあまり相談したくないし、母さんに相談するのも嫌だ。弟になんて、言えるわけないし…」 「また、困ったことがあったら、いつでもメールしてくれ」 「ん、ありがと、…ティキ、さん」 ユウは何かあったらメールすると言ってくれたが、その表情はとても晴れ晴れとしていて、悩みを抱えそうにない。 どうやら、ユウと会話できるのは今日が最後のようだ。あっという間に終わった弟との触れ合いに、ティキはがっくりと肩を落とした。 |