「兄さん、おかえりなさい!」
「……父さんと母さんはどうした?」 「それが……」 アレンの気まずそうな顔を見てユウは眉を顰めた。日曜の夕食前のこの時間は父母ともに家にいるはずだが、二人の姿がどこにも見当たらない。 リビングへ行き、泊まりに持って行った荷物を整理していると、アレンが漸く口を開く。 「お母さんがおじいちゃんの家に行ってしまって、お父さんはお母さんを連れ戻しに行きました」 「は?」 ソファに座るアレンをじっと見つめると、アレンは困ったようにユウから目を反らして再び言葉を発する。 「兄さんが泊まりに行っている間、兄さんがお父さんの知り合いの人と暮らすってことで口論になって、お母さんがこれ以上話したくないって言っておじいちゃんとおばあちゃんの家に…」 「それ、いつの話だ?」 「今朝です。朝起きたら母さんがいなくて、車もなくて」 「………」 母親のまさかの行動に言葉が出てこなかった。 自分に分の悪い話し合いを放棄して実家に帰ったのだ。アレンの言うとおりこれ以上話したくないと思ったからか、或いは、実家にいれば例え話し合いになっても祖父母が味方になって良いアドバイスをくれると判断したのかもしれない。 「さっきお父さんからは連絡があって、今日は二人とも帰れなそうだって」 「わかった」 ユウは二人の話し合いが拗れるのも仕方のないことだとわかっているが、アレンは何故母親がここまでユウが家を出ることに反対するのかわかっていない為、戸惑いしかないだろう。 ユウが夕食前に家に帰ってきたのはアレンが早く帰ってきてほしいと言うメールをしてきたからだが、余程不安だったのだろうと納得できる。 兎に角荷物を片づけようとアレンから目を話して鞄の中身をしまう為に動きまわっていると、後ろにくっついているアレンの腹から大きな音がした。 「……お前、飯は?」 「実は、お昼から食べてなくて」 恥ずかしそうにお腹を押さえ、顔を赤くするアレンを見てぽかんと口を開ける。 「お前が、何も食わなかったのか?」 「だって、料理しようにも何を使ったらいいのか、」 「何をって、野菜でも肉でもあるもの使えばいいだろ」 「でも、使っちゃいけないものがあるかも……」 アレンも料理の手伝いをしていたはずだ。何故料理をするのにそこまで変な事を考えるのかとユウは不思議に思ったが、ふと思い返すと、アレンは料理の手伝いの中でも“味見係”と“洗い係”だったことに気付いた。 「…ったく、だったら何か買いに行け」 最後に鞄をしまい、アレンの腹の虫を何とかしてやろうとキッチンへ向かう。どの道そろそろ夕食を作らなければいけない時間なので、丁度いい。 「お前は動かねぇでソファにでも座ってろ」 「すみません、片付けは手伝います」 腹の虫の音が遠ざかり、ユウはやれやれと肩を竦めて冷蔵庫を開けた。野菜も肉も魚も、調味料も、どんな料理も作れるとは言い切れないが、アレンが満足するだけの量はある。 「適当に炒め物でも作りゃあいいのに」 とりあえず洋食を―ユウは和食が得意だが、アレンは洋食の方が好きだ。―作ってやろうと決めて腕まくりをする。 玄関の戸を開ける前まではティキとの夕食予定を台無しにしたアレンに文句の一つでも言ってやろうと思っていたのだが、いざ家に帰って『早く帰ってきてください』というメールを送ってきた訳を知ると、怒りよりも申し訳なさが強くなってしまった。今回の夫婦喧嘩はユウが原因であり、アレンは巻き込まれてしまったのだ。 「………」 母親を説得することは無理なのかもしれない。そんな考えがユウの頭に浮かぶ。 母親がどうしてここまでユウがティキと暮らすことに反対するのかわからないが、母親はティキを、幼い体に消えない傷を付ける位に嫌っていたのだ。否、今でもその気持ちは変わっていないだろう。 母親が何故ティキを嫌うのかもわからないが、その感情が消えない限り、母親は今回の件を許しそうにない。 ユウの卒業式はもう間近に迫り、ティキのマンションへ引っ越す日も近づいてきた。 ティキは、両親の意見がバラバラの状態で、ユウがマンションへ引っ越すことを許してくれるだろうか? 「……俺が考えてどうにかなるものじゃないんだよな」 調理の手が止まっていることに気付き、小さく首を振って手を動かす。 ユウが言ってどうにかなるものならば、去年話し合いをした時点で母親は折れている。今は、夫であるフロワが上手く説得してくれることを願うしかない。 『それは申し訳ないことをしたな』 夜、風呂にも入って後は寝るだけという状態になったところでユウはティキに電話をかけてみた。何度もコールしないうちにティキの声が聞こえ、ユウが連絡してくるのを待っていたのかもしれないと思う。 ユウが自室で他に誰もいない状況であると聞くと、ティキはすぐにユウが帰ってからの母親の様子を聞いてきた。恐らくは、ユウがアルマの家に泊まりに行ったという嘘がばれているかどうかの確認だったのだろう。 その質問に対し嘘を吐く理由もなかったので正直に母親が実家に帰ってしまったと告げると、ティキはユウ同様にアレンにすまないことをしたと思ったらしく、少し沈んだ声がユウの耳に入ってきた。 「別に、ティキにぃの所為じゃない。話し合いから逃げた母さんが悪いんだ」 『これは、ユウが卒業するまでに解決するのは無理そうだな』 「……多分」 『まあ、無理だったとしてもユウは俺と一緒に暮らすだろ?ティエドールさんも、母さんが何と言おうとユウが俺と住むことに変わりはないと言っていたしな』 「うん」 あからさまにほっとした声を出してしまったらしく、ティキが笑う。 『家具まで決めたのに、そんなに不安だったのか?』 「だって、ティキにぃ、前母さんが反対したってだけで俺の携帯からアドレス消したんだぞ」 『悪かったよ、』 父親が連絡してくれなければ、ユウは怖くてティキと連絡を取れないまま今日まで来ていたはずだ。それを思うと、母親の反対を受けてのティキの行動は注意しなければならない。 『だけど、今度は本当に、母さんが何と言おうと俺はユウと暮らさせてもらう』 「絶対だからな。やっぱり駄目だとか言うなよ」 『じゃあ、そんなに不安だったら、何か罰でも決めるか?もし、俺がユウの名前を契約書から消したら』 「…そこまで信用してないわけじゃ、」 『信用してるんだったら、軽い罰にすればいい。そうじゃなかったら、重い罰にすればいい。ほら、どうする?』 「…それなら、もし名前消したら、ティキにぃ持ちで、一緒に父さんに会いに行く」 『……父さんっていうと、電話で話した方の?』 「そう」 『軽い罰なのか重い罰なのか微妙なとこだな、』 電話の向こうで苦笑いをしているティキの顔が容易に想像できる。ティキのマンションに泊まりに行った初日、父親の話が出た時に「機会があったら」とティキは言っていたので、そのうちユウを父親に会わせる気でいたのだろう。その方法が父親を来させるか、こちらがポルトガルへ行くのかは分からないが。 「観光代もティキにぃ持ちだからな。俺、すごく高い土産買うからな」 『わかったわかった』 少しでも罰を重く感じさせてやろうと言葉を付けたしたのだが、ユウの考えとは裏腹にティキの声に含み笑いが混じる。 「笑うな、ティキにぃ」 『悪い、ユウが言う高い土産って何だろうなって想像したら面白かった』 「…本当に高いやつ選ぶからな!」 ユウに高い買い物ができるわけがない。そんなティキの考えをひしひしと感じ、ユウがむっとして声を出しても、ティキの楽しそうな声は変わらない。正直なところ、ユウもわかっているのだ。普段物を欲しがらない自分が買い物をしても、それほど高価なものを手に取らないと言うことを。 『ま、ユウが選べなかったら、俺が何かいいやつをプレゼントしてやるよ。それこそ、給料三か月分くらいのやつ』 「……指輪?」 |