「ふぁ……」
大きな口を開けて欠伸をし、ユウはソファに深く腰掛けた。 丸一日部屋の家具選びをした為に、かなり疲れてしまった。ティキと出かけられたのは楽しかったのだが、気持ちと体力は別問題らしい。 今ティキは遅い夕食作りをしており―外で食べて帰るという方法もあったが、ユウが家で食べたいと頼んだのだ―、ユウはティキが料理を作り終え皿を運んでくれと言うまでやることがない。手伝うと言ったのだが、眠そうなユウを見てティキが首を縦に振ってくれなかった。テレビをつけてみたがどの局もあまり興味をそそられる内容ではなく、今は真っ黒な画面と向かい合っている。 「もう明日帰るのか…」 あと四時間ほどで土曜日が終わり、日曜日が来る。アルマは夜九時までにはユウを家に帰すと母親に言っていたので、夕食はティキと一緒に食べることができるが、夕食後は碌に話す時間もないまま家に帰ることになるだろう。 「このまま、住めたらいいのに」 家に帰ってもどうせフロワと母親の争いを見るだけで楽しいことなど何もない。二人の良い争いの内容がユウのこれからのことであることはわかっているが、二人ともユウを話し合いの場に交えてくれないのでまるで他人事だ。フロワは母親が落ち着いてからきちんとユウも参加させてくれるつもりらしいが、母親は最初からその気がない。 「お、起きてた」 「準備できたのか?」 母親が納得する日など来るのだろうかと気分が重くなっていると、キッチンで料理をしていたティキが顔を出した。ユウが眠っていると思ったのか静かにリビングに入ってきたために、声を掛けられて少し驚いてしまう。 「いや、もうちっとかかるから風呂の準備しといて欲しいなー、って。頼んでいい?」 「わかった」 何もせずソファに寄りかかり暗い気分になるよりはましだろうとティキの頼みに快く頷いてリビングを出る。リビングを出る直前に少しだけ振り返ると、丁度ティキがリビングを出ていくところだった。 「…そう言えば、準備って何すりゃいいんだ?」 脱衣所から浴室の様子を見、首を傾げる。風呂を沸かすことは準備の一つであるとして、風呂掃除は準備に入るのだろうか? 浴室には行って浴槽を覗き込むと、水垢があるわけでもない。 暫く考え込んだ後、結局ユウは脱衣所の棚の中から掃除道具を探し出して浴槽に洗剤を吹きかけた。時間があるというのなら風呂掃除をするのも悪くない。 ティキと一緒に暮らすようになったらこういうことも当番制になるのだろうかと、四月からのことを想像して口元を緩める。家では料理以外の手伝いをあまりしたことがないが―それ以外は母親がユウやアレンが学校に行っている間に済ませている―、できないわけではない。 腕まくりをしてスポンジで浴槽を洗っていると、遠くで電話が鳴る音がした。暫く鳴り続けた音はティキの声と共に停まる。ティキの携帯にかかってきたものらしい。 「誰だ…?」 フロワだろうか?アルマだろうか?それとも会社か? 昼間、食事を食べている最中にも一回ティキの携帯に電話がかかってきたが、それは会社の上司からだった。ティキはあまり話の内容を教えてくれなかったが、受け答えからして午後少しだけ会社に顔を出せないかと言う頼みの電話だったようだ。もしかすると飲みの誘いかもしれないが、詳しい内容がわからないので何に対してティキが「今日は無理です」と言っていたのかは判断できない。とにかくティキはすまなそうな顔をして断っていた。 もしかしてその上司からまた電話がかかってきたのかと肩を竦めて、風呂掃除に意識を集中させる。さっさと掃除を終わらせてティキに誰からの電話だったのか聞いてみようと思ったのだ。話の内容は教えてくれないにしても、誰からの電話かは教えてくれるはずだ。 手早くスポンジを動かして満足のいくところでシャワーを掴む。泡を流して浴槽が奇麗になったことを確認すると、ユウはパネルを操作して風呂の準備を完了し、リビングに戻った。すでにティキはおらず、話声も聞こえない。キッチンの方から音がするので、すでに通話を終えて料理に戻ったようだ。 「………」 何だかつまらなくてリビングから出て奥にある部屋の扉をまだ何も入っていないユウの部屋含めて片っ端から開けていく。どの部屋も特に気になる物は無く、ティキの寝室を見たところでリビングに戻ろうと踵を返す。だが、足を踏み出した瞬間カサ、と何か踏んでしまったような音がしてはっとして下を向いた。ティキの大切なものを踏んでしまったかと顔が青くなる。 「何だこれ、」 下を向いたユウは同じ紙が十枚ほど散らばっていることに気づき、さらにはその紙に書かれた文字が母親のものと似ていることに眉を顰めた。一枚手にとって見てみれば、ティキを非難する言葉がびっしりと書かれている。慌てて他の紙も集めて確認すると、どれも同じくティキを非難する言葉ばかりが書かれていた。 「これ、いつ…」 ユウが朝起きた時には無かったはずだ。いつの間にこんな手紙が、と考えたユウだったが、朝、ユウがキッチンに立っている間にティキが一人でいる時間があったことを思い出した。それなりに時間があったはずだし、ティキがこの手紙を読んでいても不思議ではない。 「けど、ティキにぃいつもと変わらなかった」 こんな半ば脅迫のような手紙を読んだ直後ならば表情に出てもよさそうなものだが、食事中のティキはいつも通りの優しい笑みを浮かべていた。ティキの表情に関しては細かいことまで読み取れる自信があるので、ユウが気付けなかったわけではないはずだ。 「にしても、何でこんな散らばらせたままになってんだよ…」 こんな手紙、早く処分しなければ気分が悪くなるだけだろうと溜息を吐き、びりびりと破いてゴミ箱に捨てる。ユウですら読んで嫌な気分になったのだから、非難の対象であるティキの不快感は計り知れない。 「あ、ユウ。ここにいたのか。飯できたから食おう」 「ティキにぃ、」 全ての手紙を破いてゴミ箱に捨てたところで丁度ティキがやってきた。ゴミ箱の前に立っているユウに対しておいでと手招きし、それに応じて近づいたユウの頭を撫でてくれる。 「どうした?」 「…何でもない」 手紙のことを聞こうかとも思ったが、ティキが嫌な気分になるだけだとユウは言葉を飲みこんだ。 「さっきの電話、」 「ん?」 リビングに戻ると、ユウは先程何でもないと言ったにもかかわらずそう言えばあれ以外にも質問したいことがあったのだと口を開いた。電話のことならば聞いてもいいはずだ。 「俺が風呂掃除してる時、電話あっただろ。誰からだったんだ?」 「会社の同僚。飲みに来ないかってさ、偶にあるんだよな」 「行かなくていいのか?」 「家で飲んだ方が気楽だからな、あまり行かないよ。…嫌な思いもしたし」 ぼそっとティキが呟いた言葉に反応し、じっとティキの目を見る。 「嫌な思い?」 「何、気になる?」 「なる」 ティキが本当に苦々しい顔をしたので言葉通り嫌な思いをしたのだろうが、言葉に出したということは聞いても構わないことと言うことだ。そう考えて教えてほしいと言うと、ティキは苦笑いした後飲みの席で押し倒されたことを白状した。 「押し倒されたって、」 「ああいう席での女は怖いな、ホント。危うく服全部脱がされるとこだった」 「ある程度は脱がされたのか?」 「シャツは脱がされた。下は死守したけど。俺も嫌な思いしたけど、押し倒した奴らも酔った勢いだったからな、次の日の仕事場で謝られて、それで終わり」 「抵抗しろよ、危ない」 「抵抗して相手の体に傷つけたらそれこそ怖いだろ。責任取れなんて言われても取れねぇし」 確かに、と納得してしまい、ティキの会社の同僚との付き合いに少し同情し、そして同僚の女に対して嫉妬したユウだったが―彼女でもないのにティキの上裸を見るなんて腹が立つ―、その後ティキの口から出てきた言葉に思い切りティキの頭を叩いた。 「ユウも大学の新歓コンパとか誘われたら、男に脱がされないように気をつけろよ。女と違ってホント強いだろうから」 「はっ?!」 「ヤバいと思ったらトイレの個室に逃げ込むこと。いいな?」 「っ!馬鹿にぃ!!」 |