my... 32


「いらっしゃい」

 ティキが玄関の鍵を開けてユウの為にドアを開けてやると、ユウは面白そうに笑って中に入り、ティキを振り返った。

「どうした?」
「初めてティキにぃの家に来た時も、ティキにぃそんなことしてたから」
「そうだっけ?」

 ユウをマンションの部屋に入れたのはもうだいぶ前のことで、あまり覚えていない。ソファの上に洋服を広げっぱなしにしていたのは覚えているが、自然にとった行動など忘れてしまう。

「鞄はとりあえずリビングに置いとくからな。それで、ユウの部屋はここ」

 洋服で埋まっていないソファの上にユウの宿泊用荷物の入ったカバンを置き、手招きをしてユウをこれからユウが使うことになる部屋へと案内する。

「ティキにぃ、ここいくらするんだ?結構高いよな?」

 リビングの奥にあるドアを開けると、そこには廊下が続いていた。ティキには慣れた光景だったが、これからここに住もうというユウにとっては広さが気になるらしい。
 ユウに尋ねられて少し考えたティキだったが、これから一緒に暮らすのならどうせいつかは知ることになるのかと口を開いた。

「十八万」
「じっ、」

 ティキはユウが金額を知ることで気を使うようになってしまうのではないかと危惧していたのだが、案の定、ユウはポンポンと叩いていた壁からバッと手を離し、固まってしまった。そこまで驚く額ではないはずなのだが、初めてユウと会話した時にユウは一人暮らしのことを言っていたので、ユウなりにアパートの相場について調べていたのだろう。
 確かに、十八万と言うのは親の金に余裕がない限り大学生が住む部屋の額ではない。

「元は高級マンションとかで売りに出されてたらしいけど、不景気であまり部屋が埋まらなかったらしい。で、うちの会社が買い取って、今は社員寮。家族も住めるけどな」

 ユウの肩を押して歩かせ、一番奥にある部屋の前まで移動する。

「…ティキにぃ、給料いくら貰ってんだよ……二十六なのに十八万の家賃って、」
「それは秘密。そのうちな。ここが、ユウの部屋」

 ドアを開けて電気を点けると、ユウが目を瞬きさせ、そして眉を顰めた。

「角部屋だから窓二つ。収納スペースねぇのはちょっと面倒かもしれねぇけど、広さは十畳あるし、何とかしてくれ。入りきらないようだったら言ってくれれば、他の部屋も掃除して―――」
「平気だ。今の俺の部屋より広いから。それに、俺あまり物買わないから」

 どうやら、眉を顰めたのは今の自分の部屋と今目の前に広がる部屋の広さを比べたからのようだ。家具の置いてある部屋と何も置かれていない部屋を比べれば何も置かれていない部屋を広く感じるのは当然なのだが、間取りの面でも確かにユウの家の部屋よりも広いらしい。

「ティキにぃ、こんな広い家に一人暮らししてたのか…」
「何言ってんだ、前もこの廊下通っただろ?トイレあるし」
「そうだけど、それ以外の部屋見なかったから、…その、寂しくなかったのか?」
「寂しい……か。最初はそんなこと想ってたかもしれねぇけど、慣れちまったな。別段、傍にいてほしいって思う奴もいなかったし」
「……そっか、」

 何だか切なそうに俯くユウの背を叩き、部屋の案内は終わったからとリビングへ向かわせる。

「何であんな表情するんだか」

 ユウがリビングへ入り、自分もリビングへ行こうと部屋の電気を消そうとスイッチに手を伸ばす。ふとまだカーテンも付いていない窓に目をやると、いつも通りのティキの顔があった。特に悲しそうな表情をしているわけでもない。

「………」

 考えていてもわかるわけがないと肩を竦ませて電気を消すと、ティキはユウが待っているであろうリビングへ戻った。









「悪いな、後片付け手伝ってもらって」
「いい。飯全部作ってもらったんだから、片付けくらい手伝わせろ」

 ティキが洗った皿をユウが拭き、カウンターの上に置く。以前ユウがマンションにやってきた時も手伝ってもらったわけだが、やはり二人でやると作業が早い。

「全部作ったって言えば、俺の料理ちゃんと食えたか?」

 ユウと会話をしつつ明日の朝は何を作ってやるかなどと考えていたティキだったが、ふと、ユウが特に今日の夕食について何も言ってこなかったことが気になり、思い切って聞いてみた。

「皿空になったのにそんなこと聞くのか?」

 きょとんとしたユウが言うように、確かに、ユウはティキが作った料理を全部、食べカスもないくらい奇麗に食べてくれた。だが、それを素直に美味かったと受け取っていいのか、無理をさせてしまったのか、あまり人に料理を食べさせたことがないティキには自信がないのだ。

「俺の飯食ったのなんか、ガキの頃以来だろ。前来た時はユウに味付け任せてたし」
「なんか、悔しいくらい美味かった。もっと男の料理とかそういうの期待してたのに」
「何だそれ」
「油にそのまま食材投げ込むとか。一人暮らし続けてれば料理くらいできるようになるよな」

 ユウの例えに、一人暮らしを始めたばかりの頃でもそんな豪快な料理はしたことがないと思ったティキだったが、何だかんだでユウはティキの作った料理を喜んでくれたのだと知り、ほっとする。これから一緒に暮らしていくにあたって、一番心配なことが料理だった。

「じゃあ、今度やってやろうか?」
「いい。脂っこい」
「冗談だよ」

 皿を洗い終え、ユウが拭き終え数か揃ったものから順に食器を片づけていく。

「今度食器も買わないとな。ユウ専用のやつ」
「今日使ったのは?」
「ああ、客用だよ。ここに来たばかりの頃は親父が何回か来てたからな。残ってたんだ」
「……父さん」

 ぽつりと小さな声で呟いた後何も言わなくなってしまったユウを振り返り、ティキは溜息を吐いた。

「親父と会ってみたいか?」
「え?」
「親父のこと気になるって顔してるけど」

 気にならないわけがない。ユウは祖父母の家にあるアルバムを見てティキの存在を知ったので、父親の顔はわかっているだろう。だが、父親がどんな人物であったかなどはあまり記憶にないはずだ。

「今、ポルトガルにいる。再婚してるわけでもなくて、祖父さん祖母さんと暮らしてる」
「いい。だって、もう十年以上前のことなんだ。俺のこと忘れてるだろ」
「いや、覚えてる。偶に連絡来ることあるけど、いっつも、ユウはどうなったか聞いてくるよ」
「……でも、いい。今は、ティキにぃと一緒に暮らせるだけでいい」
「…じゃあ、機会があったらな。風呂沸かしてくるよ。リビングで待ってろ」
「ん、」

 ユウがリビングのソファに座ったことを確認してから暗い廊下に出る。
 ユウが父親との再会に抵抗を感じるのも無理はない。何せ、母親のティキに対する態度を見てきたのだ。ユウと一緒に暮らしている母親の態度があれならば、ティキと一緒に暮らしていた父親のユウに対する態度が宜しくないと思うのも仕方がない。
 ティキにしてみれば、母親に比べればまだ良い父親ではないかと思う。母親と離婚して暫くは酒を飲んだり女遊びをしたりという日が続いたが、少しごたごたしたことがあった際にはちゃんとティキのことを思った行動を取ってくれた。それ以降は、酒はほどほどに、女遊びは全くしなくなり、一心不乱に仕事に取り組むようになった。母親と結婚していた時のように仕事ばかりの男に戻ったというべきなのかもしれないが、それでも、仕事から帰ってきたらティキに必ず話しかけてくれたし、休日もなかなかの頻度で遊びに連れて行ってくれた。母親から手紙が来た時はユウの写真を見て一緒に笑ったものだ。
 バスタブを一度シャワーで洗い、栓をした後、脱衣所の操作パネルを起動させて温度を設定し、風呂の沸かし方を思い出しつつパネルを弄る。普段はシャワーばかりなので、バスタブに湯を溜めることは久々だった。
 バスタブに少し熱めのお湯が溜まり始めたことを確認してリビングに戻ると、ユウはソファに座っていたが、ソファ前のテーブルには湯気の立ったお茶が入った湯呑みが二つ置かれていた。

「あれ、」
「淹れといた」
「俺、茶がある場所言ったっけ?」
「さっき手伝ってた時に場所確認した」
「あー、成程。ありがとな」

 もうどこに何があるのか覚えているのかと感心しつつユウが淹れてくれた茶を飲んで一息つく。何となく、ティキが淹れた茶よりも落ち着く気がする。

「ああ、そうだ。ユウ、今日俺の部屋のベッド使っていいから」

 のんびりと茶を飲んでいたティキだったが、そう言えば夜のことについてユウに話をしていなかったと湯呑みを置いて口を開いた。ユウは湯呑みを手に持ったまま話を聞いていたが、自分がベッドを使っていいと言われると首を傾げ、湯呑みを置いた。

「ティキにぃは?一緒に寝るのか?」
「まさか。座敷ならともかく、ベッドじゃ男二人はいらねぇよ。落ちちまう」
「じゃあどこで寝るんだよ?」
「ここ。掛け布団はあるから大丈夫」

 そう言ってティキがソファを叩けば、むっとしたユウが「俺がここで寝る」と言いだす。

「やめとけ、風邪引くから」
「引かない。俺が風邪引くなら、ティキにぃだって風邪引くだろ」
「俺は慣れてるからいいの」

 アルマが来て酒が入った時は、大抵リビングで雑魚寝になる。その時は掛け布団など気にせず寝てしまうし、それでも、風邪を引いたことは殆どない。

「ユウが風邪引いたら、俺じゃなくてアルマの所為になっちまうだろ。折角協力してくれてんのに」
「……けど、」
「ま、俺が風邪引いたらユウに看病してもらうよ」
「わかった。手厚く看病してやる」