my... 31


「じゃあ、日曜の九時までには返しますから!」
「ユウのことよろしくね」
「はい。行こう、ユウ」

金曜日、学校から帰り、宿泊用の荷造りをしたユウは、にこやかにほほ笑む母親を睨むような目で見た。
二月も終わりに近づき、そろそろ家具を揃えなければ不味いだろうと言うことで、ユウは漸くティキの家に泊まりに行けることになった。しかし、家までユウを迎えに来たのはティキではなく、アルマ。これには、単純で、そして複雑な理由がある。
ユウの外泊については、今日までにフロワが何度も母親の説得を試みてくれていたのだが、母親はユウがティキの家に泊まりに行くことを許さず、結局「予定を変更してアルマの家に泊まりに行くことになった」と言ってやっと外泊の許可を得ることができたのだ。すぐに嘘だとわかりそうなものだが、母親にとっての判断基準は、ティキの名前が出てくるかどうからしい。
大学も終わり、暇なアルマに向かいに来てもらい、家を出る。後ろからアレンの羨ましそうな声が聞こえたが、気にせずアルマの後を追った。アレンに話すと言う話が白紙に戻ってから、アレンはティキのことについて何も言わなくなった。勿論、心の中ではティキのことを知りたいと思っているのだろうが、最近の家族の様子を見てそんな場合ではないと感じているようだ。今、両親の間ではユウのこれからの生活についてのことで、不穏な空気が流れている。

「何か、小母さんの様子おかしいね」

家から少し離れたところで、アルマがちらっとユウの家を振り返り、肩を竦めてそんなことを言いだした。

「わかるのか?」

最近アルマはユウの家に遊びに来ていなかったので、母親に違和感を覚えることもないだろうと思っていたのだが、小さい頃から母親のことを知っているアルマにはユウの母親の変化が分かったらしい。

「だって、作り笑顔だった」

前は、本当に奇麗な笑顔をしていたのにと言うアルマの言葉に曖昧な返事をし、ユウは自分が原因なのだと話した。

「え、まだ話し合い終わってないの?」
「母さんが話を聞こうとしないんだよ。ちょっとでもティキにぃの話が出ると、すぐ話題逸らすんだ」

アルマには以前にもユウがティキの家に住むことを母親が反対していると言ったのだが、アルマはそれがまだ続いているとは思っていなかったらしい。話し合いが終わっていないのかと言うアルマの問いに対しユウが深く頷くと、目をぱちぱちと瞬きさせた。

「結構頑固だね、小母さん…」
「頑固どころじゃねぇ。絶対カウンセラーとか必要なレベルだ」
「そこまで?」
「最近なんて、ティキにぃのこと『私からユウを引き離す悪魔だ』って」
「うわー……それは、ちょっと……兄ちゃんだって、小母さんの子じゃん…」

ユウの母親が言ったという言葉を聞いて、アルマが眉を顰める。

「何でそんな風になっちゃったのさ」
「知るか」

そんなこと、ユウが聞きたいくらいだ。
昔から母親は頑固で自分の思い通りにならないと怒ったりするところはあったが、最近は怒るよりヒステリックに叫ぶことが多くなった。

「あの人、子供みたいだ」
「あ、それわかるかも。あと、子離れできてない感じがする。あとあと、愛息子が結婚することになった母親」
「最後の何だ?」

子離れができていないと言うのは何となく理解できたが、最後の例えは理解ができない。
首を傾げてユウが問うと、アルマは「テレビで見たんだけど」と例えの内容を詳しく説明してくれた。

「息子を大事に育ててきた母親にとって、息子のお嫁さんって自分から息子を奪う敵なんだって。で、許せなくて嫁いびりしたりとかするらしいよ。あ、一部の母親の話だからね」
「それくらい言われなくてもわかる」
「あ、そう。小母さん、そんな感じしない?兄ちゃんを悪魔とか言ってるあたり」
「ティキにぃは嫁か?」
「例えだってば。小母さんにとって、十四年間もまともに顔合わせないでいた兄ちゃんは、実の子だとしても、溺愛するユウを奪うなら毛嫌いする対象になるんじゃないかってこと」

何となくアルマの言っていることが理解できたが、母親とティキが血の繋がった親子であることは変わることのない事実だし、アルマの例えのようにティキのことを考えているのだとしたら、母親は実に愚かだとしか言いようがない。

「まあ、そうだとしても、小母さんの兄ちゃんに対する態度はおかしすぎると思うけどね」
「…ああ」
「ひょっとして、小母さん、何か隠してるんじゃないかな?」
「何を?」
「知らないよ!言ってみただけ」

ユウが知っている以上のことを知っているはずがないと言うアルマに、ユウは確かにそうだと頷いた。アルマはユウが話した以上のことを知らず、憶測でユウと話をしているにすぎないのだ。

「ほら、ユウ、前!」

だが、何か隠しているのでは?というアルマの言葉は何故だかユウの頭にひっ掛った。このところの母親の態度にはユウが理解できる以上のおかしなことが多すぎる。
真剣にそのことを考えていると、突然、アルマがユウの肩を叩いて前方を指さした。パッとそちらを見れば、少し先にユウも乗ったことのあるティキの車が止まっていた。中に人がいるようで、ユウは母親のことなど一瞬で忘れて車へ向かって駈け出す。
ユウが近づくと、ミラー越しにそれが分かったのかティキが車から出てきてユウを迎えてくれた。もう暗いということもあり遠慮なく抱きついてやると、苦笑したティキがユウの頭を撫でる。

「会うのは久しぶりだな」
「ティキにぃ」
「改めて、合格おめでとう、ユウ」
「ありがと、」

久しぶりにティキに頭を撫でられ、満足してティキから離れる。
ユウが離れると、ティキは呆れたような顔でティキとユウを見ているアルマに声をかけ、ユウとアルマに車に乗るよう指示した。いつもなら笑顔でユウよりも先に車に乗り込むアルマが、今日は困ったように笑い、足を動かそうとしない。

「どうしようかな、」
「家寄らないのか?」
「寄って行きたいけど、明日母さん来ることになってさ、部屋の掃除しないといけないんだよね。ちゃんと掃除洗濯してるって言ってるから、部屋が汚れてると不味いんだ」
「そういや、小母さんお前のアパートの近くに住んでるんだよな?」
「そうなのか?」

ユウの口から出た言葉にきょとんとしてティキが尋ねると、アルマが「歩いて行ける距離だよ」と笑った。

「そっか。兄ちゃんに俺と母さんがこっち戻って来てから住んでる家教えてなかったね」
「何でそんな近い距離で一人暮らししてんだ」
「完璧な一人暮らしになる前のリハーサルってとこかな。俺の卒業式終わったら母さんはばあちゃんの介護しに国に帰っちゃうから」

いきなりサポートのない一人暮らしをする前に、四年間だけ身近にサポートがいる一人暮らしをしてある程度慣れておこうという計画らしい。

「小父さんはどうした?」

再会してからと言うものの、アルマの口からは父親の話がちっとも出てこない。
もしかして聞いてはいけなかったのかと、ティキは自分の軽はずみな質問に腹を立てたが、アルマはなんてことないと言ったように肩を竦めた。

「出張ばっかだよ。けど、落ち着いたら母さんの実家に行くことになってる。近くに会社の支部があるんだって。俺はもうちょっと日本にいたいから、こっちで一人暮らし。……心配しなくても、離婚なんてしてないよ。帰ってきた時はほんと仲良し夫婦してるって。電話も結構くるみたいだし」

ティキが考えていたことが分かったのか、アルマがケタケタと笑ってティキの考えを否定する。

「そう言うわけだから、今回はパス。二人でゆっくりしなよ」
「じゃあ、お前の内定祝いは今度だな」
「内定祝い、楽しみだな〜。あ、そうだ。母さん帰る前に兄ちゃん一回母さんと会ってやってね。兄ちゃんの話したら、懐かしそうにしてたからさ」
「わかった」

アルマが手を振って足早に駅の方へと歩いて行った。車で駅まで送ろうにも駅はもう見える距離にあるので、送る意味はほぼ無いに等しい。

「…行くか」
「うん」

暫く二人でアルマの後姿を見ていたが、少し冷たい風が吹くとティキが体を身震いさせてユウを車の中へ入るよう促した。

「ティキにぃ、コート着てこなかったのか?」
「二人拾ってすぐ家行く予定だったからな」
「まだ寒いのに」
「少しくらい平気だ」
「さっき、ちょっと震えてたのに?」
「あれは風が吹いたから」

車が動き出し、暖かい風がエアコンから出始める。ユウが冷たくなった指をかざして温めると、ティキがくすりと笑った。

「ユウだって、寒かったんだろ?」
「ティキにぃに比べたら寒くなかった」

ティキと違ってユウはしっかりと防寒対策をして外に出てきたのだ。冷たくなったのは外に出ていた指先だけで、他は特に寒さを感じない。

「家に着いたら飲むチョコレート作ってやろうか。会社で結構いいやつ貰ったんだ」
「……それ、もしかしてバレンタイン……」

会社から貰ったものでチョコレート。さらには二月。バレンタインのプレゼントだという結論が出てくるには十分すぎる要素があり、さらにはティキもそのことを否定しなかった。

「他人にやっていいのか?」
「良いんだよ。二月十四日に貰ったわけじゃないから。うちの会社、二月十四日と三月十四日は差し入れ禁止になってるんだ」
「けど、バレンタインのプレゼントなんだろ?」
「どうせ全部上司へのプレゼントってやつだ。義理チョコ。去年貰った手作りチョコに髪の毛入っててさ、それで手作りは苦手って言ったら、今年は皆高いチョコばかりプレゼントしてくれた」

ティキは義理だと言うが、この容姿なら絶対に一人や二人本命チョコを渡した女子社員がいるだろう。上司だからという理由だけで高いチョコを渡すわけがない。

「ユウはチョコ何個貰ったんだ?」

ユウがティキに本命チョコを渡したであろう女子社員達を哀れに思っていると、ティキがそんなことを聞いてきた。その質問に対し、ユウは眉を顰めて首を横に振る。

「貰ってない」
「一つも?」
「俺、作る側だと思われてるんだ」
「は?」

中学までは、ユウもバレンタインデーになると女子から多くのチョコをプレゼントされていた。勿論、告白付きの本命チョコを貰ったこともある。だが、あまりの量の多さに耐えられなくなり、高校一年生の時、「付き合ってる奴がいるからもう貰えない」と嘘を吐いた。女子たちは半狂乱でユウの心を射止めた女子を探そうとしたが、勿論嘘なのだからそんな存在などいるはずがない。ユウの考えでは、ユウの相手は見つからず迷宮入りし、それで終わりのはずだった。
しかし、どういう訳かユウの恋人となる女子が学校内にいなかったことで女子たちの間で誤解が生じ、ユウの交際相手は男で、ユウはチョコを作ってプレゼントする側なのだと勘違いされるようになってしまったのだ。恐らくは、ユウに選ばれなくて悔しかった女子の誰かが「同性愛者ならば仕方がない」と自分を納得させるために言いだしたことなのだろうが、ユウにとっては実に不愉快な話だ。
男同士で手を繋いだり、キスをしたりするなんて冗談ではない。
「……そう思うと不思議だな」
「何が?」
「ティキにぃとなら、手繋げるしキスできるし、一緒に寝れるぞ、俺」

ティキがわけがわからないと言ったような表情でユウをチラッと見る。「作る側だと思われてるんだ」という言葉の意味を話してくれるのかと思えば、ユウの口からは全く違った言葉が出てきた。ティキが混乱するのも無理はない。

「兄弟って凄いな」
「…そうだな」

改めて感じた兄弟と言うものの大切さに感激したような声を出すユウに対し、ティキの口からは何が何だか、と苦笑気味の声が出てきた。