my... 3


「明日、休みなんだろう?」

そう言われ、頷いたことによって連れてこられたホテル。ユウはしっかりと鍵を閉めたシャワールームで頭を抱えていた。
ラブホテルと呼ばれるたぐいのものでなく、ビジネスホテルのようなものだったが、それでも、四十近くになる男と一緒に泊まるというのは気分の良いものではない。
ただ家に帰りたくないという理由で頷いてしまったが、軽率だったと反省する。

とりあえず頭を冷やしてこれからのことを考えようとシャワーを浴びているわけだが、ちっとも良い案は思い浮かばない。一応、脱衣所にはユウの荷物全てがあるので、急いで逃げれば何とかなるかも知れない。だが、そうすれば、今日の客は確実に離れてしまう。一番金をはずんでくれる客なので、逃したくない。

「まだ出ないかい?」
「…もう少し、」

男が早く出るように催促してきたので、ますます困ってしまう。
自分を買った男と一緒にホテルへ行って一泊。援助交際を教えてくれた友人からこういうこともあると聞いていたが、自分は男だし、大丈夫だと思っていた。だが、ユウを男と知っていて買ったということは、その気があるということで、身の安全を保証するものは何もないのだ。
これ以上浴びていても仕方がないと、ユウは苦い顔をしてシャワールームから出た。体と髪を拭き、自分にはその気はないのだと、男に渡されたバスローブは着ずに制服を着る。

「あれ、制服着たの?」
「……やっぱり、帰ろうと思って」
「どうしてかな?」
「両親が、心配するので、」
「家族を困らせたいと言ってついてきたのは君だよ」

脱衣所から出てきたユウを見て男は眉を顰めたが、ユウが帰りたいというと忍び笑いをしてユウの肩に手を置いた。その瞬間、ユウの方が震えたのに気付いて口の端を上げる。

「いつもは強気な君が、怖がっているのかな?」
「……怖がってるわけじゃ、」
「僕はいつも以上の金を払って、君はそれを受け取った。君は多く受け取った分、僕にサービスしないといけない。そうだろう?」
「……じゃあ、金は返す。また今度……」
「客は僕。君が拒否できるわけないだろ」

少し強い口調で言われ、ユウは鞄の留め具を掴んでいた手をだらりと体の横に下ろした。話し合いで決めることはできなそうだ。

「言っておくが、逃げたら二度と君と会うことはないし、僕が紹介した客にはこのことを言っておく。君は誘うだけ誘って、肝心なことはしないってね」
「もともとは、そっちが茶だけでいいって言ったんだ!」
「茶だけであの金額を払うわけがないだろう?馬鹿か」

呆れたように溜息を吐かれ、唇を噛む。上客だと浮かれていた自分が馬鹿みたいだと思ったのだ。この男は、最終的には体の関係になるつもりでユウを買っていたのだ。それに気づかずに、男が渡す封筒の厚みに喜んでいた。
乱暴に鞄を開け、男から渡された封筒を男に向って投げつける。

「アンタも、アンタが紹介した客も、二度と会わねぇ!」

男の制止を無視して部屋を飛び出し、ホテルの外でタクシーを拾った。家の近くにある公園を目的地として告げ、動き始めて風景に胸を撫で下ろす。
あの男や、あの男が紹介した客以外にも、ユウには沢山、客がいる。皆、今日の男より払う金は少ないが、その分本当に会話目当てだろうと安心できた。それに、少ないと言っても普通にアルバイトをするよりは高い。
今回のようなことがあったからと言って、辞める気は全くない。やりたくないとは思っているが、まだ大学へ行きつつ一人暮らしを出来るような金額を貯めていない。せめて、大学一年を余裕もって過ごせるくらいは蓄えなければ……。

「お客さん、着きましたよ」
「あ……すみません」

考え込んでいたらしく、タクシーが止まっていたことに気づかなかった。一万円札を出して釣りをもらい、タクシーから降りる。タクシーがいなくなった後、ユウはちらっと携帯を見て眉を顰めた。すでに十一時を過ぎている。
両親には友人の家に泊まるとメールしており、どちらからも楽しんでくるようにという返信が来ていた。アレンからはまた援助交際かと非難するメールが来ていたが、それはすぐに消去した。
そんなメールをした以上家に帰るわけにはいかないが、こんな夜遅くに泊めてくれないかと連絡して快く泊めてくれるほど親しい友人はいない。

自分の無計画さに呆れ、遠くから近付いてくる明かりに気づいて公園の中に入る。もし警察の自転車のライトだったら厄介だ。ユウは学生服を着ており、何をしているのかと聞かれるのは目に見えていた。
結局、明かりは公園をすっと通り過ぎて行ったが、これ以上どうする事も出来ない。ブランコに座って俯いていた。








「あれ、」

どれくらいそうしていたのかわからないが、ふと男の声がユウの意味に入ってきた。警察ではないようだが、話しかけられたのは厄介だ。

「こんなところで学生が何してるんだ?」

放っておけばいいものをと苛々して顔を上げると、男は少し驚いたように眉を上げた後、苦笑して「突然話しかけて悪かった」と謝ってきた。
公園の電灯に照らされた男は、長身にスーツをビシッと着た優男だった。ウェーブの入った黒髪に、左目の下には黒子があり、素晴らしい誰もが美形と認めるほど整った容姿をしている。

「驚かせてしまったみたいだな」
「……驚いたわけじゃない。うざいと思っただけだ」
「こんなところで何してるんだ?」
「アンタに教える筋合いはない」
「警察に補導されるぞ」
「…五月蠅い」

こんな男を放っておいて帰れたらどんなに楽か。だが、帰れば親が気づくだろうし、そうなったら友達と何かあったのかと聞かれ、心配させることになる。最悪、援助交際がバレてしまうかもしれない。

「何かに悩んでるのか?」

突然男にそんなことを言われ、ひくりと眉を動かす。

「良かったら、相談に乗る。確かに俺は、君にとっては知らない人間かもしれないが、少なくとも君より人生経験はある。他人だから、君が言ったことを君の知る誰かに話すこともない。どうだ?」

空いているブランコに座り、足を地面につけたままブランコを揺らす男をちらりと見、ユウは再び俯いた。どうしてだかわからないが、この男を心から怪しむ事が出来ない。

「家に帰らないのか?」
「……今日は、家に帰れない」
「どうして?」
「…親に、嘘を吐いてる」
「嘘、か」

男に誘われてユウの口からは次々に言葉が出てきた。一度出てくると、止まらない。

「どうして嘘をつくことになったんだ?」
「援助交際、やってて、今日は、友達の家に泊まるって……でも、本当は、客と一緒にホテルに行って…」

男のブランコがギィ、と音をたてて止まり、ユウが目を向ける中、男の表情が強張る。だが、強張ったのはほんの一瞬で、次の瞬間にはそんなこと何でもないという風にまた口を開いた。

「今ここにいるってことは、最後までやったわけじゃないんだろ?」
「逃げてきた」

やっぱり。と男がほっとしたような表情をし、再びブランコを揺らし始める。

「最後までするのは嫌なのか?」
「当たり前だ!男なのに……食事するだけだ」
「そっか。けど、どうして援助交際なんてしてるんだ?」
「……大学へ行く金と、一人暮らし出来る金が欲しい」
「奨学金制度を使えばいい。それに、いくらか親が援助してくれるんじゃないか?」
「俺、弟がいるんだ。母さんと、父さんの子……だから、金はそっちに使えばいい」
「使えばいいって、親が弟に使うって言ったわけじゃないんだな?」
「俺が大学へ行きたいなら、精一杯援助するとは言ってくれてる」
「じゃあ、親を頼ればいい。まだ学生なんだから」
「けど、」

他人に何を言っているんだろうかと自嘲しそうになったが、他人だからこそ話せるのだと思いなおし、引っ込みかけた言葉を口から出した。

「今の父さん、俺の本当の父さんじゃないんだ。血が繋がってない子供を援助するなんて、」
「……知ってたのか」
「は?」

男がぽつりと呟いた言葉をしっかりと聞きとったユウは、眉を顰めて男を睨む。「知っていたのか」とは妙な表現ではないか?
ユウが不審に思ったことに気づいた男は少し目を泳がせた後、言い訳するかのように自分から口を開いた。

「誤解を招いてしまったかも知れないが、変なつもりで言ったわけじゃないんだ。君はまだ子供だから、普通はそう言うものは知らされないものだと、」
「教えられたわけじゃない。たまたま、会話を聞いて知った」
「成程……」

さらに男が言葉を発しようとしたところで、ユウが一番心配していた警察が二人を見つけてしまった。

「こんな時間にどうしましたか?」

口調は丁寧だが怪しんでいる警察にどう説明したものかとユウが考えていると、隣のブランコに座っていた男が立ち上がり、警察とこそこそと会話し始めた。警察を遠くに連れて行って会話をしている所為で、ユウには何を話しているのかわからない。
暫くすると、警察は小さく頭を下げて立ち去ってしまった。警察を追い返すことに成功した男を驚きの目で見、ブランコから立ち上がって男に近寄る。

「どうして、警察いなくなったんだ?」
「ん?ああ、兄弟だって嘘をついた。家じゃ相談できないことをしてるから、終わったら帰るって」
「…そんなことで騙されるものなのか?」
「ま、今回は騙せたってことかな。けど、もう流石に遅いから、お終いにしよう。俺がよく使ってるビジネスホテルがあるから、そこに泊まるといい。連絡しておく。ああ、今タクシーを呼ぶから」

お終いと言ってからの男の行動は早かった。タクシーを呼び、タクシーが来る間にホテルの予約を取る。そして、タクシーが来ると行先と料金を渡してユウをタクシーに乗せた。

「ああ、そうだ」

扉を閉める直前、男は思いついたように手帳に何かを書いて、そのページを破いてユウに渡してきた。紙には名前と、電話番号、メールアドレスが書いてある。

「ホテルはミックって名前で予約してある。あとこれ、俺の連絡先。もし何か言いたいことがあったら、気軽に連絡してほしい。誰かに言った方が楽になることもあるから」

男の言っていたホテルに着くと、ユウは部屋で掌の小銭とアドレスが書かれた紙を交互に見た。男がタクシーの運転手に渡した金は多すぎて、ホテルに着いたときかなりの金額のつりを受け取ってしまった。最初から、ユウがホテルに泊まる分の金も計算して渡していたらしい。

「ティキ・ミック…」

紙に書かれた名前を呟く。
いまいち目的のわからない妙な男だが、受け取った紙を捨てる気にもなれず、鞄の中にしまった。