大晦日、ユウは部屋で一人受験の為の勉強をしていた。
「ユウ、ご飯よ」 母親の呼ぶ声が聞こえる。だが、ユウはその声を無視して問題集を解き続けた。 意気込みが違うからか、最近ではすらすらと問題を解けるようになってきた。第一志望に合格することができればティキと暮らせると決まってからまだ半月も経っていないにもかかわらず大きな進歩だ。 「ユー君、ご飯食べよう」 「はい」 呼んで暫く経ったにも関わらずユウが行かずにいたからか、父親が直接ユウを呼びに来た。そこでようやくユウはシャープペンシルを置き、立ち上がった。 自分の呼びかけに素直に応じたユウに苦笑し、父親が口を開く。 「さっき、返事もしなかったね。お母さんが呼んだから、かな」 「………」 父親の問いに対し否定はしないが、肯定もしない。母親に反抗したいという気持ちがあったのは確かだが、キリの良いところまで問題を解いてしまいたいという気持ちもあった。 話し合いの日以来、ユウの中の母親に対する不信感はどんどん大きくなっていたが、母親の中には、同じ血が繋がっている関係でも兄であるティキより母親である自分の方がユウにとっては大切だという根拠のない自信があるのかもしれない。話し合いの日にユウの前でティキを“不幸だった時の子”と貶したにも関わらず、普段通りユウに接している。幼い頃ティキによく懐き、話し合いの場でもティキの肩を持ったユウを考えれば、その発言でユウがショックを受けたとわかりそうなものなのだが……。 「…まあ、とにかくご飯を食べよう。今日は遅くまで勉強するのかい?」 「そのつもりです」 「無理をし過ぎて体調を崩さないようにするんだよ。センター試験だっけ?それまで一カ月切っているんだろう?」 ユウの体調を心配してくれる父親に「気をつけます」と素直に返事をし、一緒にダイニングへ行く。ユウの実の両親を離婚させた原因である今の父親に対しては、ユウは母親に抱いているような嫌な気持ちを持っていない。ティキのことを良い兄だと褒めてくれたし、ユウとティキが再び離れ離れになってしまわないようにと色々と考えてくれている。血の繋がっていないユウを時には煩わしいと思うくらい可愛がってくれる、良い父親だ。 「あなた、ありがとう。ユウ、早く座って。ご飯が冷めちゃうわ」 ダイニングに着くと母親が笑顔で二人を迎えた。アレンは我慢が出来なかったのか、すでに料理に手をつけている。 「勉強に集中するのはいいけど、返事くらいして頂戴ね」 母親の呼び声を無視したユウを怒らず、返事はするようにとだけ言う母親のその言葉さえもも無視をして席に付いた。 「ユウ」 「まあまあ、勉強で疲れているんだよ」 「……仕方ないわね、じゃあ、頂きましょう」 食器に橋がぶつかる音や、咀嚼の音、母親の話声しかしない。アレンは大晦日の御馳走に夢中になっているし、父親はゆっくりと食べ物を噛みながら母親の話に頷くだけ。ユウはと言えば、自分の目の前に置かれた料理にだけ意識を集中させている。 「それでね、なかなかいい物件を見つけたんだけど」 「……でも、家の近くでも意味がないじゃないか」 「あら、十分よ。だって、ユウは一人暮らしがしたいんでしょ?家の近くで一人暮らしをしてくれれば何かあった時に私たちがすぐに駆け付けられるし」 「いや、言ったじゃないか。第一志望校へ行くのに便利な場所に住んでいる知人が近くにいるって。彼はとても信頼できる人だし、ユウ君も彼と一緒に暮らすって言ってるんだよ」 父親が知人というと、母親の顔が曇った。恐らく、母親にはその知人が誰なのか話しているのだろう。今はアレンの目の前だから誤魔化しているだけで。 「だから、何回も言っているけど第一志望に受かるかわからないのよ?その人の場所からは第一志望の大学しか行きやすくならないんでしょう?この近くなら、色々な大学へ通いやすいわよ」 「…第一志望以外はね」 やっぱり、母親が納得するわけがない。何とかしてユウを家の近くにすませようと考えているのがよく伝わってくる。 父親はユウに「お母さんとはまだ交渉中だけど、とても穏やかに話し合っているよ」と言っているが、父親が喧嘩嫌いだから喧嘩に発展しないだけで、二人の意見は決して交わっていない。 「お父さんの知人って、誰ですか?」 それまで夢中で食事をしていたアレンが顔を上げて父親に知人に付いて訪ねてきた。 両親がどういう反応をするのか気になってユウも食事の手を止めて両親を見ると、母親がむっとして口を開いた。 「私もよく知らない人なの。だから不安で近くにアパートを借りたらどうかって言っているんだけど…」 「昔私がやっていた絵画教室で生徒をやっていた人の息子さんでね、とても礼儀正しい人なんだよ」 「へぇー」 父親は嘘は吐いていない。ユウは上手く誤魔化したものだと父親に感心したが、代わりに母親の言葉が信じられなくなる。 「……御馳走様」 「あら、ユウ。もういらないの?」 「………」 「ユー君」 「…勉強します。アレン、後全部食っていい」 「えっ、いいんですか?」 食事に殆ど手をつけていなかったが、この空気の中で食べる気がしなかった。さっさとダイニングから出て自室へ行くと、ユウは再び勉強机に向かった。 「……八時」 後四時間もしないうちに年が明ける。 問題集を開いたまま携帯に手を伸ばし、ティキの携帯の番号を押す。だが、最後まで押したところで画面を待ち受けに戻した。 ユウの携帯からだということで出てくれなかったら嫌だし、折角電話をかけるなら年が変わるぎりぎりに電話をした方が出てくれる可能性が高い。年越しの挨拶なら、ティキも電話に出てくれるかもしれない。 「十一時半過ぎたら電話するか」 それまでの間は勉強しようと決めて携帯を置き、シャープペンシルを手に取った。 「ねえ、どう思う?」 「何がだい?」 「ユウのことよ。最近、私に冷たくないかしら?」 「それは……」 食後、アレンがクラスの集まりに行ってくると言って出かけ、フロワは母親と一緒に夕食の片づけをしていた。暫くは夕食時の会話などなかったかのように母親はフロワに話しかけていたが、洗い物がなくなりフロワが皿を拭くだけになると拭き終わった食器に手を置いてフロワに話しかけだした。 「受験勉強で疲れているのはわかるけど、母親に対してあの態度はないと思わない?」 「……それだけが原因じゃないって、君もわかっているんじゃないのかな、」 「あら、それ以外に何があるの?」 「…彼の、お兄さんのことだよ」 「その話はもう終わったことじゃない。きちんと話し合いをして、あっちも納得して帰ったんだから」 「納得なんてしていないよ。話したじゃないか、ユー君の携帯のメモリを消したって」 「だから、それはもうユウと関わらないって決めたからなんでしょ。あなたが連絡を取らなければ、それで終わっていたのに」 「家族がね」 食器を片づけていた母親がぴたりととまり、眉を顰めてフロワを見る。 「どういうこと?家族が終わる?」 「ユウ君の信頼を、私たちは失ってしまうところだったんだよ。気づいていないのかい?何も、見ていないのかい?」 「何を見ろっていうの?」 純粋に疑問に思い首を傾げる母親に、フロワは何も言い返すことができなかった。 「どうしたの?」 「……いや、私の思い違いだったみたいだ」 「でしょう?私たち四人は幸せな家族だもの」 彼女には何を行っても無駄だ。それを理解した。ユウの実の父親との離婚原因が夫婦のすれ違いだったからか、それさえなければ何も家族の絆を壊すものがないと思い込んでいる。 「君は幼い少女みたいだね」 「それ、褒めてるのかしら?若々しくいたいとは思うけど」 我儘を言えば何でも聞いてくれると思っている、幼い子供のようだ。母親、と言うには幼い。 「少女でいる前に、母親であることを忘れないでおくれよ…」 「勿論。私はユウとアレンの母親で、あなたの妻よ」 『もしもし』 電話から聞こえてきた優しい声に、ユウはほっと胸を撫で下ろした。電話に出てくれた。 「ティキにぃ」 『我慢って言ったのに』 「年越しくらいいいと思ったから…」 『電話に出た俺も駄目だけどな。今日は仕方ない』 ティキはどうして電話をかけてきたのかと責めず、ただ苦笑してユウが電話をかけたことを許してくれた。 「今一人か?」 『ああ。一緒に過ごす相手もいないしな。会社の飲みには誘われたけど、行く気がしなかった』 「じゃあ、来年は一緒に過ごしたい」 『そうだな。そう思うよ』 ティキの言葉にどこか距離がある気がする。 『ユウ?』 「…何か、元気ないな。何かあったのか?」 電話越しに溜息が聞こえ、ユウの不安を煽る。何か気に障る事でも言ってしまったのだろうか? 『ユウと一緒に暮らせそうだって話を友人にしたんだ』 「うん」 『そうしたら、ユウは今受験で不安定だから、俺を心の拠り所にしてるんじゃないかって言われて、』 「何だそれ」 『まあ、何つーか、本当にそうだったら嫌だなーって思って』 そうだとしたら、受験が終わったらユウが離れてしまうかもしれない。それが不安だと言うティキに、ユウはむっとして携帯電話を握り直して口を開いた。 「そいつ誰だよ、文句言ってやる?」 『いや、それは……まあ、いいだろ』 「良くない。馬鹿にされた気分だ」 ユウの今の気持ちを、受験だからと言う言葉で片付けられて、堪ったものではない。 「俺はティキにぃと一緒に暮らしたい。大学行きたいだけなら、こんなに勉強してない」 『ああ、ごめんな』 「ティキにぃもそれくらいで不安になるな」 『悪かったよ』 それに、そんな言葉で不安になるティキにも腹が立つ。不安なのはわかるが、ユウを信じてほしい。何のために嫌いな勉強を必死になってやっていると思っているのだろうか? 「絶対に合格するからな、ちゃんと掃除しておけよ」 『わかった』 ティキがはっきりと答えてくれたので、ユウはふん、と息を吐いて満足げな笑みを口元に作った。 『お、もう少しで年明けだな』 「こっち、除夜の鐘聞こえるぞ。ティキにぃのとこは聞こえるか?」 『聞こえないな。テレビで音は聞いてるけど』 「そっか」 他愛のない話を続けているうちに時間が過ぎ、徐々に時計の短針と長針が十二の数字へと近づいていく。ティキがチャンネルを変えたのか、電話から聞こえる音が煩くなり、カウントダウンを始めた。 そして、花火のような音と共にティキが「あけましておめでとう」と新年の挨拶を言った。 「あけましておめでとう、ティキにぃ」 『今年もよろしくな、ユウ』 「うん」 |