「ティキ、行ってしまった?」
「…そうじゃなかったら、何で俺一人で戻ってきたんだよ」 「そ、そうね」 ティキを見送って両親の元へ戻ったユウは、母親の問いに対し苛立ち気味で返答し、静かに先程まで座っていた場所に座りなおした。隣から伝わる熱が無く、少しばかり肌寒く感じる。 「ティキにぃ、食事代四人分払ってた」 「おや、それは悪いことをしてしまったね……連絡先知っているんだっけ?」 「ええ」 「じゃあ、後で連絡を取ってお返しをしようか」 ティキがいなくなったことで聊か空気が和んだようだ。母親は目に見えてほっとしているし、普段は何事にも動じないくらいのんびりとした父親も、ティキがいた時は緊張していたのかもしれない。ティキがいた時よりも箸をよく動かしている。 「…母さん、どうするんだよ」 「え、何?」 「アレンに話すかどうか」 そちらに任せると言われ、母親はどういった判断を下すのかと聞くと、少し目を泳がせた後、母親は「話さないわよ」と答えた。 「任せるってことは、私達の好きにしていいと言うことでしょう?だったら、話さなくていいじゃない。アレンは私とこの人の子だもの。あの子は関係ないわ」 「………」 「ユウも、内緒にしていてよね。家族なんだもの、協力してくれるでしょ?」 「…家族だったら、隠し事はするべきじゃない」 協力してと言われて素直に頷けるほどユウはこの件に関して母親に従おうという気はなかった。 「俺は、アレンに聞かれたら正直にティキにぃのこと話す」 「ユウ、」 「それが嫌だったら、母さん達の口から、アレンに本当のこと話せよ。俺とアレンは、父親が違う兄弟だって。俺の他に、ティキって言う兄がいるって」 「ティキは好きにしていいって――」 「ティキにぃは、」 母親が何か言おうとしたがその前に口を開き、邪魔をする。 「母さんは言わないって思ってる。言ってほしいとは思ってるだろうけど」 「じゃあ良いじゃない」 「ティキにぃは、母さんの子じゃないのか?」 「まさか。ティキだって私がお腹を痛めて産んだ私の子よ」 「だったら、どうしてティキにぃのこと隠すんだ?」 「それは……だって、知られたら、ユウとアレンは血の繋がりが無いって知られてしまうから、」 今までずっと両親が一緒の兄弟だと信じてきたのにそれが突然違うと言われたらショックを受けるに違いない。母親はそう言うが、ユウはそれが一番の理由ではないと気付いていた。 「母さんは自分が悪者になるのが怖いんだろ」 「ユー君、」 父親に窘められ口を閉じたが、ユウの言葉は母親にショックを与えるには十分なものだったらしい。 自分が被害者でありたいから。その言葉一つで、ティキの存在が今まで隠されていたことが何故か言えてしまうのだから凄いものだ。 ティキを引き取らなかったのは、金銭の余裕ではなく今の父親との再婚が決まっていると、つまりは浮気をしていたと知られたくなかったから。さらに言えば、ティキは父親に似ていたから、いずれティエドールとの間に子供ができたら、その子に気付かれると思ったのだろう。 ユウに隠したのだって、ティキにとても懐いていたユウに親の事情で会えなくなったと言って嫌われるのが嫌だったからだ。 「母さん、ティキにぃに関係を隠して俺の相談に乗ってやってくれって言ったんだろ。ティキにぃのことなんだと思ってるんだよ」 「……ご飯、食べてしまいましょう」 「質問に答えろよっ」 「あなた、帰りにスーパーでお買いものしたいんだけど」 「良いけど……話は、良いのかい?」 「ティキは好きにしろって言ったのよ。だから、言わなくていいの」 無表情になった母親に対し声を荒げて質問に答えるよう言うが、母親はユウを無視して父親に話しかける。ユウのことが気になるらしい父親が尋ねても、母親は話さなくていいと言うばかりで会話が続かない。 「…ティキにぃが可哀相だ」 「可哀相?私に内緒でユウと会って、可哀相も何もないでしょう?私に黙って会っていればよかったのに、アレンに話してくれないかなんて、自分勝手じゃない」 「……一番自分勝手なのは誰だよ」 徐々に母親の顔が無表情から怒りの表情へと変わっていき、キッとしてユウを睨んだ。 「私は今幸せなの。あの子は私が不幸だった時の子。今の私の生活にいなくていいのよ。もう少し私に似てくれてもよかったのに、あの人にそっくり。顔を見るたびに嫌になるわ」 恐らくそれが本心だろう。母親の口から出てきた言葉にユウは絶句し、父親ですら何も言えなくなった。 「さあ、ご飯食べちゃって帰りましょう。模試でアレンも疲れているだろうし、御馳走を作ってあげなくちゃ」 「今日は何を作りましょうか。あなた、何が食べたい?」 「何でもいいよ」 「ユウは?」 「……いらない」 「もう、我が儘言わないの」 食事を終えた後、強制的に買い物に付き合わされたユウは、両親と一歩距離を開けて二人の背中を見ていた。偶に心配そうに振り向く父親には安心させるように口元を緩めて見せてやるが、同じことをする母親に対してはユウは冷たく対応していた。 父親には何の恨みもない。いや、母親に子供がいるとわかっていながら母親と付き合っていたのはいただけないが、ユウを心配してくれているし、ティキのことだって「良いお兄さん」だと言ってくれた。 ふと、ポケットに入れていた携帯が鳴り、アルマからの着信を告げる。 「アルマ?」 『あ、ユウ?良かったー出てくれて。あのさあ、兄ちゃんのアドレス転送してもらっていい?』 「いいけど、どうした?」 『ついさっき兄ちゃんがうちに来たんだけど、携帯からアドレス消されちゃってさぁ……携帯忘れたから貸してくれって言うから貸したのに、酷いよな』 アルマがどういうつもりなんだろうとユウに聞いてきたが、ユウはそれに答えることができないほどに鼓動が早まるのを感じていた。 ユウも、ティキに携帯を貸した。結局何もせず返したように見えたから気にしていなかったが、まさか……? 「…悪い、かけ直す」 『うん、別に良いけど…じゃあ、後で』 通話を終え、胸騒ぎのする心を落ち着かせつつアドレス帳を見ると、そこにはティキの名前が無かった。 「っ、」 メールの受信箱や送信箱、さらには電話の着信履歴に発信履歴まで、ティキに関するデータが全て削除されている。 「何、で…っ」 「ユー君?」 ユウの震える声が聞こえたのか、父親が話しかけてきた。母親は相変わらず鼻歌交じりでカートを押しつつ食材を選んでいる。 「顔色が悪い。大丈夫かい?」 「ティキにぃが、ティキにぃのアドレス消して、何もっ、残ってな…っ、」 何も残ってない。そう言おうとしたが、言葉にすることで一層胸が苦しくなり、視界がぼやける。 「お母さん、ユー君が気分悪いそうだから、ちょっと車へ連れて行くよ」 「ええ」 「行こう、ユー君」 父親に肩を支えられてスーパーから出、車に入ると、堪え切れなくなった涙が出てきた。 以前にもティキのアドレスがユウの携帯から無くなったことがあったが、その時はユウ自ら消したのであって、ティキが消したのではない。 ティキが何を考えてアドレスを消したのかはわからないが、まるでティキに拒絶されたような気がして、辛かった。 「アドレス、覚えてないのかい?覚えていたら、本人に聞いてみればいいじゃないか」 「……電話番号は、…でも、番号消されて、」 もし、ユウを拒絶することが目的だとしたら、直接本人の口から聞きたくない。 怖くて聞けないと言うと、父親は優しくユウの頭を撫で、震えるユウの手を押さえた。 「私に番号を教えてくれるかな?」 ユウが番号を教えると、父親は自らの携帯を取り出して電話をし始めた。 「どういうつもりなのか、聞いてみよう。聞かなきゃわからないからね」 静かな車内に携帯の発信音が響く。そこまで大きくないはずの音だが、ユウの耳にはそれが頭が痛くなるほど大きな音量に聞こえた。 「ああ、もしもし。ティキ・ミックさんの携帯であってるかな?」 『…ええ。ティエドールさんですね』 発信音の代わりに携帯から聞こえてきた声に、思わず耳を塞ぐ。しかし、耳を塞ぐ手は父親によって外されてしまった。 「ユー君がね、携帯から君のアドレスが消えてしまったと言っているんだけど、君が消したのかい?」 『そうです。ユウに携帯を借りた時に』 「…わざと、と受け取っていいのかな?」 『はい』 「どうしてなのか、理由を教えてもらっていいかい?」 『…母が教えないと判断するからです。母がそう決めるのなら、俺はユウと連絡を取るべきじゃない。ユウは弟さんと仲が良いようなので、携帯を見て知られる可能性もあるでしょう』 やはり、母親が教えないと言うのをわかっていたのだ。 「何故、ユー君に黙って消しちゃったんだい?」 『ユウに教えたら、反対すると思ったので』 「それはそうだろう。君は大切なお兄さんなんだから」 『ユウに代わってもらえますか?そこにいますよね』 「ああ、うん」 携帯を渡され耳に当てると、「ユウ」と優しい声が聞こえてきた。 「にぃ、」 『ごめんな、不安にさせて』 「何で、」 『母さんが話さないと決める以上、俺は、ユウと連絡をとっちゃいけないと思ったんだ』 「…寂しい…ティキにぃがいないと嫌だ…もっと話したい…会いたい…っ」 『勿論。二度と会わないようにするなんて思ってない。ユウが受験終わったらうちに泊まりに来る約束も、ちゃんと守る。ただ、今だけは、お互い我慢しよう。な?』 「やだぁ……っ、く、…」 我慢しようと言われてはい、わかりましたと簡単に頷けるわけがない。泣きすぎてしゃっくりが出始め、必死にそれを堪えつつティキに会いたいと、せめて連絡だけでも取りたいと訴える。 「もう、遠くへ、行かな、いって、言っ…ふ、っ…ひっく、言った…」 『ああ。遠くへは行かない。それは約束する』 「連絡、したい」 『受験が終わったら、うちに来ていくらでも話そう。それまで我慢』 遠くへは行かないと言うが、連絡を取るなと言うのは辛い。口では側にいると言っておきながら、ユウの知らないうちにどこかへ行ってしまうかもしれない。 それから母親が戻ってくるまで、ユウはずっとティキに連絡を取りたいと訴え続けたが、ティキはユウの望む答えをくれなかった。 家に戻り、母親が機嫌良く夕食の準備をしている間、ユウは部屋で携帯の画面を見つめていた。携帯の番号を押しては待ち受けに戻り、空になった受信箱を見てじわりと滲む涙を拭う。 女々しいと思われてもいい。ティキのことに関しては、ユウは自分がまだ幼い子供のようになってしまうのを自覚していた。ユウの中でのティキとの時間は、最近動き出したばかりなのだ。当時のユウの中のティキは絶対的な存在であり、絶対に失ってはならないものだった。そして、全ての記憶があるわけではないが当時の感情を思い出した今、ユウにとってのティキはあの時と同じく絶対的な存在だ。 そんなティキと再び離れ離れになってしまうかもしれない不安に押しつぶされそうだった。 「ユー君、入っていいかな」 コンコン、と小さな音とともに父親の声がした。ユウがどうぞと声を出すと、穏やかな顔をした父親が部屋の中に入ってきて、ベッドに座って携帯を握っているユウを見て苦笑した。 「お兄さんのことが、大好きなんだねぇ」 優しい声が辛くて枕を掴んで顔を埋めつつ籠った声で答える。 「…まだ、お母さんとはまだ相談してないんだけどね、ユー君」 「…何ですか」 「大学へ行ったら、家を出る気はないかな?」 「……一人、暮らしするって、ことですか」 突然何を言い出すのかと枕から少しだけ顔を上げて父親を見ると、父親はにこ、と笑ってユウの携帯を見た。 「いや、大学生と入っても、まだ君は成人していないからね。親心としては、君を守ってくれる誰かと一緒に住んでもらいたいなぁ。例えば、君のお兄さんとか」 「っ、」 「さっき、番号を教えてもらったからね。帰って来てからちょっとお兄さんに電話をして、話をしてみたんだ。お兄さんの住んでいる場所が来年の三月で契約更新の時期らしくてねぇ。その時に、同居人として誰かの名前を書く気はあるかと聞いたら、君の名前だったら喜んでと言っていたよ」 「ティキにぃの、うち」 「そう。お母さんがお兄さんに偶に手紙を送るのは知っていたからね、お兄さんの家の住所は知っているんだ。それでね、調べてみたんだけど、ユー君の第一志望校の場所がお兄さんのマンションから通った方が通いやすいみたいなんだよ。朝の混雑とか、そう言うのを考えてね。だから、どうかと思ったんだけど、」 「住むっ、…ティキにぃと、一緒に、」 「ただし、第一志望校に受からないと駄目だからね?」 もっと勉強を頑張らないといけないよと言われ、ユウは何度も頷いた。ティキと一緒に住めるのなら、勉強だって苦ではない。 「けど、母さんは、」 「お母さんは、私が何とか説得するから心配しなくていいよ。ユー君は、勉強に集中して、第一志望合格を目指して頑張ること。良いね」 |