「何で怒ってるんですか」
「別に」 次の日、早朝にティキは帰ってしまい、昼過ぎにアレンが大量の荷物とともに祖父母の家へやってきた。 アレンは数時間前までティキが使っていた部屋に荷物を置くと、すぐに勉強しているユウに話しかけてきた。お前の所為でティキと一緒に過ごせる時間が減ってしまったと恨みのこもった目でアレンを見、上記の会話に至る。 「別に、じゃないでしょ。怒ってるじゃないですか」 「勉強の邪魔だ」 「勉強くらい、いつでも出来ますって。ちょっと散歩行きましょうよ、兄さん」 「いい。昨日行った」 「散歩は何回行ってもいいんです!わかってないなぁ……」 やれやれ、と溜息を吐くアレンに対しユウは盛大に舌打ちをし、異常なまでにアレンがはしゃいでいる原因を考えた。普段も祖父母の家に来た時は楽しそうにしているが、今回はその比ではない。 「兄さんの気分転換を手伝ってあげようって言ってるのに」 「無理矢理気分転換させようとしたって意味ねぇだろ」 大体、気分転換は手伝ってもらうようなものではないだろうと言ってもアレンは聞かず、ユウの腕を引っ張り机から引き離そうとしてくる。 「おい、やめろ!」 「いいじゃないですか、五分十分くらい!久々に会ったんですから」 「久々っつったって、修学旅行行ってたのと同じくらいだろ、」 再会を喜ばせろとアレンは言うが、ユウが祖父母の家へやってきたのはほんの数日前だ。アレンの態度はまるで数カ月会ってなかったかのようなもので、大げさすぎる。 「その修学旅行と同じ期間、僕がどれだけ寂しい思いをしたか……!!!」 「は?」 「お母さんの手伝いをして食卓に兄さんの分の食器まで出してしまったり、夜無駄に兄さんの部屋側の壁を叩いてしまったり!責任とって僕と遊んでください」 くっ…と目尻に涙を浮かばせ、拳に力を込めて力説するアレンを見てユウの体からがくんと力が抜ける。くだらな過ぎる。 「お前、そんな奴だったか……?」 「僕だって、こんなに兄さんのこと好きだったなんて、自分で自分にびっくりですよ。だけど、ここ最近はずっと兄さん僕に構ってくれてたし、それがぱっとなくなると、どうも不安で……」 構ってくれていたというが、実際のところは話しかけられたり、部屋に訪問されたり、とユウは受け身で、自分からアレンを構おうとこうどうしたことは一度もない。 「だから、父さん達と一緒に行かないでここにやってきたわけですよ」 「………」 大分落ち着いたと言うアレンの頭を殴り、勉強の邪魔だと無理矢理アレンを部屋から押し出した。追い出されたアレンは不満げだったが、ユウがどうやってもアレンを部屋に入れないのを感じたのか、夕飯を食べ終わったら遊べと言って自室に戻っていった。 「ふん、」 これで少しは静かになったと再び机に向かい、シャープペンシルを持つ。アレンは、ユウがここに一人で泊りに来た表向きの目的を忘れている。ユウは、一応勉強に集中したいからという理由で、一人祖父母の家にやってきたのだ。それが頭にあれば、合流早々散歩に行こうなどとは言わないだろう。 「…同じか、」 だが、ここに来た本当の理由を考えると、自分はアレンに何も言えないとユウは思った。 祖母の提案で午前中は勉強をすることになっていたが、日程通りティキと過ごせていれば午後は勉強せず、ティキと一緒に過ごしていたはずだ。 アレンを部屋から追い出したのは、結局のところ勉強したいからではなく、ティキとの時間を潰された悔しさの為だ。勿論、アレンが海外旅行へ行くのを渋った理由がユウに会いたかったからだけではないことは知っているし、ティキが泊りに来ていたことをアレンは知らなかったのだから、アレンを責めるのは間違っている。 そう分かっているのだが、やはり、「お前は同じ家で生活しているんだから、こういう時くらいは遠慮しろ」と思ってしまう。 机を離れ、持って来た鞄の中から携帯を取り出すと、ティキからメールがきていた。 【今回は残念だったけど、また今度会おうな】 「今度っていつだよ、」 夏休みはもう会う時間がないだろうし、授業が始まったら模試や校内テストで一気に時間がなくなる。ティキだって、普段から忙しそうにしているし、会える時間があるようには思えない。 【ティキにぃの家に――】 泊りたかった。と書こうとしたが、ふと指を止め、その一文を削除した。ユウが昔のことを思い出したのは、ティキが側にいたからということの他に、ティキと一緒に過ごしたことがある祖父母の家だからというのもあるかもしれない。だとしたら、ティキの家に泊っても、確かに邪魔が入らず楽しかっただろうが、昔のことを思い出せなかっただろう。 それならば、祖父母の家で過ごした短い時間でも、結果的に良かったと言える。 【今度はティキにぃの家に泊まりたい】 今回の不満をぶつけるより、次に会えるかどうかの不安を打ち明けるより、前向きに次に会う日の事を考えようと文を打つ。あまり打ち直す前と変わっていないように感じるが、“泊りたかった”と“泊りたい”では大きな違いがある。 【冬休みとか】 ティキは理由はあまり分からないがユウを家に泊らせたくないようなので、どうせ曖昧な言葉で誤魔化されてしまうのだろうと思ったが、とりあえず伺いを立てる。 送信して暫くすると、携帯が震えてメールの着信を告げた。 【冬は駄目だ。センター試験まで一カ月切ってるだろ。ユウが志望校に合格できたら、いつでもおいで】 確かに、冬休みはセンター試験へ向けて対策をしている時期で、その時期にティキの家へ行くと言うのは、受験を諦めるというのに等しいかもしれない。 「…志望校合格、か」 ユウが希望している進学先は、ユウの学力では行けるかどうかのギリギリのラインの為、合格するにはより一層努力しなければいけない。 もしかしてティキは自分が合格できないのを前提にいつでもおいでと言っているのかと思ったが、その疑問をメールで尋ねることはしなかった。どうせ、尋ねたところで【そんなことはない】と嘘か本当か分からない返事が来るだけだ。 【わかった。頑張る】 下手に文句を言わずに勉強に励み、志望校に合格してティキを驚かせようと決め、短い文を返信する。ティキがどう思っていようが関係ない。合格してしまえばいいのだ。そうすれば、ティキはユウが泊りに来るのを拒否できない。 「少しくらい話してくれてもいいのにな…」 ユウの部屋から追い出され、自分の部屋へと戻ってきたアレンは、持って来た荷物の中から飲み物とスナック菓子を取り出しつつ溜息を吐いた。 ユウが祖父母の家へ泊りに行ってから、何となく寂しいという気分がずっと続いていた。友達と遊ぶ気にもなれず、かといって他のことをする気にもなれない。まあ、食事睡眠はしっかりととっていたが。 自分はこんなに兄想いだったかと戸惑っていたが、数日ぶりにユウの顔を見たらそんなことどうでもよくなって一気にテンションが上がってしまった。ウキウキしてユウの部屋へ行ったのに勉強の邪魔だと追い返され、何とも言えない惨めな気分だ。 「あれ、」 二リットルペットボトルに直接口を付けて一気飲みしていたアレンだったが、ふと、部屋の隅に缶が転がっているのを発見し、ペットボトルを置いた。手にとって見ると、祖父も父親も飲まない種類の酒の缶だった。 「何で僕の部屋に?」 アレンが泊まる部屋は客室ではあるが、アレンの私物がぽつぽつと置いてある為、祖母が客が来てもアレン以外は使わないように配慮してくれている。 まさかユウが飲んだのかと眉を顰めたが、すぐにそれはないと頭に浮かんだ考えを打ち消した。最近まであまり宜しくない交際をしていたユウだが、こういうことに関しては決まりを守っているはずだ。 缶を持って部屋から出、家の中をうろうろとしていると、縁側で洗濯物を畳んでいる祖母の姿が見えた。 「お婆ちゃん」 「アー君どうしたの?おやつ?」 「いいえ、あの、僕の部屋にこれがあって……」 話しかけ、首をかしげる祖母に空き缶を見せる。祖母は空き缶を手に取ると少し首を傾げた後、少し顔をこわばらせて缶を床に置いた。 「ごめんなさいね、ちょっと前に知人が泊まりに来たんだけど、人数が多かったものだからアー君とユウの部屋も使ってもらっていたの。掃除したつもりだったんだけど、忘れてたみたいね。ごめんなさいね」 「いえ、元々はお婆ちゃんの家の部屋だから、」 「あとでアー君の部屋を使った人に連絡しておくわ。ちゃんと空き缶は捨てなさいって!」 「はい」 会話はそれで終わったが、特にすることもなかったのでアレンは祖母の隣に座り、庭を見渡した。 「あれ、どうしたんですか?」 「ん?」 アレンが指差した先には盛り上がったブルーシートがあった。前回、アレンが遊びに来た時には無かったものだ。 「居間に置く棚を作ってもらっていたのよ」 「へぇー」 「まあ、お願いしてた人は仕事で帰っちゃったんだけどねぇ」 だから中途半端になってしまったという祖母の声を聞きつつ、普段祖母が庭に出る時に使っているであろうサンダルを履いてブルーシートの前まで行く。シートを捲ってみると、確かに作業途中の棚らしきものが現れた。 「お婆ちゃん、これ、僕が完成させましょうか」 「あら、悪いわよ。ゆっくりしてて」 日陰のない場所で作業をさせるのは悪いと祖母は言うが、アレンは気にせずシートを広げ、作業中の棚と一緒に置いてあった大工道具を手に取った。工作なら得意だ。 「僕、特にやることもないし、兄さんは構ってくれないしで暇なんです。このままここに置きっぱなしにしておくわけにもいかないと思うし、完成させちゃった方がいいですよ」 「……そう?じゃあ、麦わら帽子持ってくるわ。怪我しないように気をつけてね」 「はい」 祖母が麦わら帽子を取りに行っている間に棚の構造を調べ、わかりやすいところから釘を打っていく。誰が作っていたのかは知らないが、大分形はできていたので作業しやすい。 「…お前、」 順調に釘を打っていると、ギシッと縁側の床が鳴った。祖母が戻ってきたのかと振り向くとそこにいたのは祖母ではなくユウで、アレンを見て驚いたような顔をしている。 「あ、音五月蠅いですか?」 「…いや、何やってるんだ」 「棚作ってるんです。中途半端だったから、完成させちゃおうかなーって」 「………」 何か言いたそうな顔をしているにもかかわらず黙っているユウに、アレンは言いたいことがあるなら言ってほしいと思ったが、それを言葉にする前にユウはふっと顔を背けていなくなってしまった。 |