「兄貴に向かって馬鹿はないだろ、ユウ……」
「人が真剣に相談してんのに真面目に聞いてくれないからだろ」 「聞いてるって。けど、俺とユウじゃ体つきが違い過ぎるから、アドバイスしようにも難しいんだよ」 枕で叩かれた頭を摩りつつ、ティキが困ったような目でユウを見る。 「運動らしい運動なんてしてねぇし、それに、俺だって筋肉ちゃんと付いてるってわけじゃ、」 「付きすぎも嫌だ。丁度いいくらいがいい。ティキにぃくらいのがいい」 枕を放り投げ、片足をティキの足の上に上げたまま、再びティキの腕を掴む。見れば見るほど健康的で、男らしくて、腹が立ってくる。完全に血の繋がった兄弟なのに、父親に似るか母親に似るかでこうも違うとは……。 「ティキにぃ、足」 自分の足をどかしてティキの足を叩くと、ティキは苦笑しつつも胡坐を解き、ユウが見やすいように足を延ばしてくれた。ユウがティキの足首を掴み、自分の足首と真剣に比較している様子を、缶に口を付けつつ面白そうに見ている。 「足首からもう違う……」 「皆同じになったら個性も何もなくなるだろ」 ティキの指摘に「そうだけど、」と言葉を濁しつつ、先程ティキがやったように足首から股関節へと手を動かしていく。じっくりゆっくりとティキの足を観察したところで、ユウは悔しさの籠った溜息を吐いた。 ティキの体つきを丹念に調べたところで、ユウの体つきが変わるわけではない。 「ティキにぃ、成長期に何食べたんだよ」 「色々。けど、ユウのほうがいいもの食べてる」 「……こうやって俺は兄弟の中で一番小さくなるんだな」 「小さくって、身長はまだ抜かれてないんだろ?」 「でも、もう169センチだ。抜かれるまで10センチ切ってるんだぞ」 「…あれ、ユウ、身長いくつだ?」 「177センチ」 素直に自分の身長を教えたユウだったが、ティキがぽかんとしてしまったのを見て、誕生日の時のようにまた何か言ってはいけないことを言ってしまったのかとぎくりとする。 だが、ユウの心配を余所にティキはすぐに苦笑いし、「もう少し低いと思った」と言った。 「はっ?」 「いや、170ちょっとだと思ってた。体型って重要だな」 華奢だから小さく見えたと言われ、この短い間に中性的だのスカート穿いても男だと気づかれないだのと色々からかわれ、また馬鹿にされた。カッとなってさっき放り投げた枕を掴んでティキを叩こうとしたが、枕を振り下ろす前にティキががっちりとユウの腕を掴んだ。 「もう体型の話はしない。ユウには禁句だな」 「……別に、禁句ってわけじゃ、」 華奢と言われてむっとするから手が出るのであって、禁句と言うわけではない。 誕生日という大きな禁句を抱えているティキに言われたくないと言い返そうとしたが、また固まってしまっては面倒だとぐっと口を閉じる。 ユウが頭の中で色々と考えているうちにティキが立ち上がり、缶を部屋の隅に置いた。布団の上に戻る途中にユウが枕を取る際に飛んでしまったシャツを回収し、さっと袖を通す。どうやら、飲み終わり、汗も渇いたらしい。 「そろそろ寝るか?」 「まだ全然話してないのに」 「じゃあ、明日早起きでもして、散歩とかどうだ?その時に話そう」 まあ、今日はもう身長た体型のことで頭がごちゃごちゃしてティキと楽しく話を出来そうにないので、ユウはティキの提案にのることにした。 ティキが枕を直したところで、二人の間に沈黙が走る。 「……ユウ、戻らないんだ?」 「一緒に寝る」 ティキが「え?」という表情でユウを見る。兄弟とはいえ、一人は社会人、もう一人は高校三年。どちらも一緒に寝る年齢はもう過ぎているだろう。 ユウだって、もう一緒に寝るような年齢ではないとわかっているが、泊りが決まった日からずっと、ティキと一緒に寝ることを考えていた。少しでも長くティキといれば、何か思い出せるのではないかと思ったのだ。 初日の夜は、ティキが祖父母と何やら話をしていたせいで、一緒に寝そこねてしまった。また祖父母がティキを呼び出すかもしれないし、一緒に寝れるときに寝ておきたい。 「一緒に寝る」 もう一度ティキに自分の意思を伝えると、ティキは頷いてユウが入るスペースを開けてくれた。 「狭いのは我慢な」 「ん」 ティキが開けてくれたスペースに横になり、ティキが電気を消して横になるのを待つ。暗くなって暫くすると、隣にティキが横になった気配がし、試しに手を伸ばすとティキの肩があった。 「おやすみ」 「…おやすみ」 「にぃ、にぃ、」 小さな手で一生懸命八歳上の兄の体を揺する。今日の朝は、一緒に散歩をしようと約束していたのだ。 「あとちょっとだけ……」 「…ぅー…にぃ!」 やっと何か喋ったと思ったら、もう少し寝かせてほしいと言うお願い。むっとして兄の体の上に勢いよく乗ってやると、観念したのか兄の目が開いた。 「…ユウ、おっきくなったな……」 「にぃ、おさんぽ」 「うん……」 兄が起きると言うので、体の上からどいてやる。 欠伸をしつつ起き上った兄は箪笥から適当に洋服を引っ張り出し着替えたが、ユウがまだパジャマを着ていることに気付き、「あれ?」と首を傾げた。 「ユウ、洋服は?昨日の夜母さんに出してもらってただろ」 「おばあちゃんかたづけちゃった」 「そっか……えっと、どれ出してたっけ?」 ユウの手を引いて両親が寝ている部屋へ行き、そっと戸を開ける。布団は三組敷かれているが、二つは空いている。空いている布団のひとつはユウで、もうひとつは父親だ。母親は子供たちが入ってきたことに気付かずぐっすり眠っている。 「ユウ、しー、だぞ」 「うん」 足音を立てないように部屋の中へ入ってユウの服が入っている引き出しを開ける。ユウの手が届く位置にあるのだが、重くてユウでは開けられないのだ。 「ユウ、どれ着る?」 「これ」 指差した服は、昨日祖母に片づけられた服で、兄から選んでもらったユウのお気に入りだ。 兄に手伝って貰いつつ服を着替え、脱いだパジャマを空いた布団の上に置いた。 「よし、行こう」 再び兄に手を引かれて外へ行くと、家の敷地を出たところで父親が煙草を吸っていた。二人の姿を見ると少し驚いたように眉を上げ、「母さんは?」と聞いてきた。 「まだ寝てる。散歩しに行く約束してたんだ」 「二人でか?」 「うん」 「まあ、気をつけろよ?あまり遠くに行かないように」 「はーい」 ユウの元気な返事を聞き、父親が機嫌よく笑ってユウの頭を撫でる。 「ティキのことしっかり見てるんだぞ。どっか行かないように」 「おててつなぐの」 「それが良いな」 ユウがぎゅっとティキの手を掴むのを見て父親はふ、と微笑み、今度はティキの方を向いた。 「ティキ、…まあ、楽しんでこい」 「……ん」 父親に見送られて、家の近くの田舎道を歩く。ユウは、祖父母の家の近くが好きだ。緑が沢山あって、花も沢山ある。走り回っても、車も滅多に通らない為怒られない。 「ユウ、」 「なーに?」 「ユウはさ、父さんと母さんどっちが好き?」 「にぃがすき」 「父さんか、母さんだよ」 「にぃがいい」 父親も母親も好きだが、ユウにとっては兄が一番の存在だ。父親は最近はよく遊んでくれるようになったが今まで殆ど遊んでくれなかったし、母親はいつも出かけてばっかり。学校が終わったらすぐユウのことを構ってくれるティキが大好きだった。 「……じゃあ、母さんと父さん、どっちか一人と旅行に行けるとしたら、どっちと行く?」 「にぃは?」 「俺は、父さんと」 「おとーさん」 兄が父親と一緒に行くのなら、ユウだってそうする。迷わず父親を選ぶと、兄が苦笑いをした。 「ユウはもっと一人で考えられるようにならないと駄目だな。俺がいるから、とか考えないで。…俺がいなくなったら、どうするの?」 「にぃはずっといっしょだよ?」 だからいつも兄と一緒のことをすると言う。すると、兄はぎゅっとユウのことを抱きしめてきた。兄の癖っ毛がくすぐったい。 「ずっと、一緒にいたかったよ……」 「ユウ、ユウ」 「………!!!」 ハッとして起き上がると、そこにはティキの心配そうな顔があった。 「どうした?」 「…夢、見てた」 「へぇ、どんな?」 「……忘れた」 「そっか。散歩、行くだろ?」 「行く。着替えてくる」 すでにティキは着替え終えていたので、ユウは慌てて部屋に戻り、鞄から服を引っ張り出した。 着替えつつ、ついさっきまで見ていた夢のことを考える。ティキには忘れたと言ったが、はっきりと覚えていた。そして、ただの夢ではなく、昔の記憶なのだと、わかっていた。 「……あの後、一緒じゃなくなったんだ…」 夢で見たまだ幼いティキは、離婚を知っていたからあんなことを言っていたのだ。 ―にぃはずっといっしょだよ?― 何も知らない頃だったとはいえ、別れることを知っていたティキにとっては辛い言葉だっただろう。 それとなく離れ離れになると言うことを伝えようとしても、ユウはティキがいなくなるなんてこれっぽっちも思わず、ずっとティキと一緒にいられることを信じていた。 「いつから、俺は……」 あんなに大好きだったのに、いつの間にか忘れていた。顔も、声も、その存在すら。 「ユウー、準備は?」 「お、わった」 鼻がつん、として、視界がぼやける。それでも平然としたふりをして部屋から出ると、ティキが驚いて目を見開いた。 「大丈夫か?」 「…何が」 「泣きそうだ」 ハッとして目を抑えようとしたが、その前にポロッと涙が零れてしまう。 どこか痛いのかと慌てた様子のティキのシャツを掴み、ティキを見る。近くにいるのに、ぼやけてティキの顔が良く見えない。 「俺も、父さんと母さんの離婚、遅らせてほしかったと思う。……違う、そうじゃなくて、」 「ユウ、」 「ずっと、一緒にいたかったっ」 忘れたくなかった。 散歩に行った次の日から、ティキはユウの隣から消えた。父親も、いなくなった。 母親に聞いても、祖父母に聞いても、知らないと答えをはぐらかされた。何を言っているの?と逆に不思議な目で見られたこともある。幼いながらに、ティキのことは話してはいけないことなのだと感じ、誰にもティキの事を言わなくなった。 誰にも言えないティキや父親の事を心の奥に閉じ込めた。閉じ込め鍵をかけ、思い出さないようにしなければ、不意に襲ってくる寂しさに耐えられなかったのだ。 「寂しかった…誰も、ティキにぃのことを知らなくて、変な目で俺のこと見て、いつも、いつも傍にいてくれたのに、突然、いなくなってっ、俺しかっ、にぃのこと、わからなくてっ」 「…思い出したのか?」 信じられない、と呟くティキの手に自分の手を合わせて指を絡め、離すまいと爪の先が白くなる位力を込める。 「俺、にぃの手が大好きだった。母さん達より優しくて、いつも俺のこと引っ張ってくれたから。もう、離したくない、」 もうあんな思いは嫌だと吐き出すと、ユウの握っているティキの手に力が籠り、ティキのもう一方の手がユウの頭をティキの肩へと導いた。ティキの服がユウの涙でジワリと濡れる。 「もう、遠くへは行かない。…思い出してくれて、ありがとな、ユウ」 |