つまらない。
少しも進まない問題集を乱暴に閉じ、ユウは胡坐を崩し、勢いよく後ろに倒れた。頭が付くと思われる位置にはちゃんと座布団が置かれている為、頭を打って痛みに悶えると言うことはない。 目を閉じれば五月蠅い蝉の鳴き声に交じって金槌で釘を打つ音が聞こえてくる。 祖父母の家に泊りに来て二日目。ユウは早速ティキと遊ぶつもりでいたのだが、それは祖母が許さなかった。 ユウの家族はユウが勉強をする為に祖父母の家に泊りに来ていると信じているので、祖母は、少しはユウに勉強させなければという強い決意の下、午前中は絶対に勉強をしなければティキと遊ばせないという条件を出してきた。 場所を提供してもらっている手前、祖母に逆らうこともできず、ユウはこうして休憩しつつも大人しく勉強している。勉強しているふりで済ませることができればいいのだが、祖母が昼食前にどれくらい進んだかチェックすると言うので、何もせずに寝ているわけにもいかない。 「……チッ」 勉強を始めてまだ一時間も経っていないが、舌打ちするのはこれでもう三度目だ。 昨日、祖母に条件を出された時点では、ティキと遊べなくても、ティキから勉強を教えてもらうことにすれば一緒に過ごせるし、それなら勉強も悪くないと思っていた。だが、実際のところ、ティキは祖母の希望で棚の修理をしており、ユウの勉強を見ている暇がない。先程から聞こえる金槌の音は、ティキが棚を組み立て直している音だ。 「ユウ、ちゃんとやってるかい?」 「っ!はい」 祖母の声に慌てて起き上がり、再び胡坐をかいて机に向かう。問題集を開き、参考書をその上に乗せたところで、すっと障子が開いた。 「差し入れだよ」 そういう祖母は麦茶と、ゼリーが載った盆を持っている。 「どう?はかどってる?」 「暑いです」 「あら、じゃあ扇風機持ってこようか」 「いえ、」 「いらないの?」 「……ティキにぃ、あとどれくらいかかりますか」 「そうねぇ、まだ色々やってもらいたいし、今日は終わらないだろうね」 「………」 ユウが、顔には出さないが内心ぶすっとしたのがわかったらしく、祖母が苦笑しつつ机の空きスペースに麦茶とゼリーを置いた。 「午前中だけよ。午後は、ちゃんと兄弟で過ごさせてあげるから、午前中は、ユウも勉強を頑張りなさいね」 「……ティキにぃに教えてもらおうと思ったのに」 「それは無理だねぇ。ティキは勉強出来ないし、嫌いだから」 「そうなんですか、」 「小さい頃からね、勉強だけは駄目なんだよ」 ユウの中のティキは、何をやらせても完璧なイメージだったのだが、そうでもないらしい。 「お母さんも勉強は駄目だったし、アー君も勉強は苦手だっていうし、そういうもんなのかもね」 「母さんも?」 「そうよ。あの子も、学校から帰ってきたらすぐに遊びに行っちゃって、勉強なんてしてなかったわね。……さ、おやつ食べて、また頑張んなさい。食器はお昼の時に持って来てくれればいいからね」 「はい」 祖母がいなくなり、机に置かれた麦茶とゼリーをじっと見る。ゼリーを一口食べてみたら、顔を顰めたくなる位甘かった。まあ、これが祖母の手作りゼリーの味なのだが、甘い物が苦手なユウとしては少し遠慮したい品だ。他の料理は見た目も味も申し分ないので、どうしてゼリーだけこんなことになってしまうのかわからない。 普段は一口食べ、残りはこのゼリーを好物としているアレンに渡してしまうのだか、そのアレンは今この場にはいない。仕方なく、麦茶を使って流し込むようにゼリーを食べ、再び問題集とにらめっこを始める。いい加減、一問くらい解いておかなければ。 「……はぁ」 解かなければ、とは思うのだが、暑いし気分はのらないしで、問題に集中できない。 昼食まであと三時間程あるが、一問も解けずに終わりそうだ。そんな予想がユウの頭に浮かんだ。 「ユウ、飯だって」 「ん、」 「ちゃんと勉強してんだな」 正午を少し過ぎた頃、金槌の音が止み、ティキがユウを呼びに来た。 何だかんだで二頁進んだ問題集を覗き込み、感心したようにティキが声を出す。 「ティキにぃ、汗ヤバいな」 「そりゃあ、こんな天気の中で庭で棚直してたら、汗も出るだろ」 家の中は涼しいと言うティキの服は汗で濡れ、色が変わっている。 「着替えた方が良いと思う」 「だよなぁ…けど、飯出来てんだったら、祖父さんと婆さん待たせるのも悪いし。シャワーねぇしな。飯食い終わったらタオル借りて、適当に着替える」 居間へ行くと、配膳し終えた祖母が二人を見、ティキを見て顔をしかめた。 「随分汗かいたわねぇ」 「日陰もないところで作業やらせたのは誰だよ」 「おや、ごめんね」 ティキが非難がましい目を向けても祖母はさらっとそれを流し、二人に座るよう促す。 文句を言うのを諦めたティキが先に座り、ユウもティキの隣に座る。 「沢山食べてね」 「いただきます」 「ティキ、いただきますは?」 「あのな、ガキじゃねぇのに、」 「ガキじゃないなら余計、どうしていただきますって言わないの」 「……いただきます」 ユウはいつもの通りいただきますと言ったが、ティキは言うことなく箸を持った。それが祖母は気になったらしく、テーブルの向いから手を伸ばし、ティキの手を叩いた。 「………」 祖母はティキに対して厳しい気がする。 「お前は、本当、来る度に注意するのに、すぐに忘れちゃうのね」 「一人暮らしだといただきますなんて言うの面倒なんだよ」 「誰かと食べるときくらいは注意しなさい」 「はいはい」 「あの、」 ユウが声を出すと、祖母は厳しい顔を一変させてにこっとユウに笑いかけた。 「おかわり?」 「……いえ、大丈夫です」 「いっぱいあるからね。おかわりしたかったらいつでも言ってちょうだい」 「…何で俺のことは怒らないんですか」 このまま黙ろうかと思ったが、思い切って尋ねてみる。すると、祖母はきょとんとした後、だって、と口を開いた。 「ユウは怒るとこないじゃないの。お行儀良いし」 「……ティキにぃだって、そんな怒るとこないと思います」 「……ユウはティキに甘いねぇ。この子はね、小さい頃すっごくお行儀が悪くてね、」 「ガキの頃の話だろ」 ティキが頬杖を付きつつ口をはさむと、祖母は再び厳しい顔でティキを見、「食事中でしょ!」とティキの頬杖を指摘した。 「大人になっても、お行儀の悪さは変わってないわ」 「……ふん、」 祖母を無視してティキが頬杖を付いたまま食事を続ける。「ま、」と祖母は呆れたような声を出したが、今度は注意せず、開いた口にご飯を詰め込んだ。 (案外、子供っぽいんだな……) ティキと会う時は二人きりだったり、もしくはアルマという年下の存在が一緒だったから、大人の一面しか見ることができなかったのかもしれない。 きっと、今回は祖父母というティキよりも大人の存在がいた為に、ティキの子供の面を見ることができたのだ。 午前中は勉強という条件を付けられた時、やはり無理矢理にでもティキの家に泊まりたいと思っていたが、ティキの家に泊まったら絶対に、今のティキは見ることはできなかっただろう。 そう思うと、勉強で頭を悩ませ、もやもやしていたユウの気分は少しだけ晴れた。 「ご飯食べ終わったら、川にでも行ってきたら?ひと泳ぎすれば、涼しくなるんじゃない?」 「川ねぇ……ユウ、行くか?」 「行きたい」 行ってきたら、と言うことは、祖父母は来ない、ティキと二人きりということだ。 ユウが即答すると、ティキは少しだけ口元を緩ませた後、祖母を見て口を開いた。 「じゃあ、行ってくる」 「ついでに、物置にある釣り竿持って行っていいから、何か釣ってきてちょうだい」 「釣りなんてガキの頃以来したことねぇけど。てか、魚いるか?」 「ちょっと上の方に行けばいるんじゃない?いなかったら、どっかスーパーにでも行って買ってきて」 川へ行く提案をしたのは、夕飯の食材が目当てだったらしい。 祖母の考えていることに気付き、ユウはティキと顔を見合わせ苦笑し、残りの食事を平らげた。 「ごちそうさまでした」 「ごちそうさん」 二人ほぼ同時に声を出し、立ち上がる。今を出る直前に祖父が「夕飯は肉料理か」と祖母に尋ねていたが、ティキもユウも、何も言う気になれなかった。 |