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「今日はありがとう。これはお礼だよ」
「いいえ」

ユウはスーツを着た男性から封筒を受け取って、適当な作り笑いを浮かべた。
男性が見えなくなったのを確認してから封筒の中身を確認する。

「へぇ、悪くねぇな」

くたびれたスーツを着ていたから、スーツを新調する余裕もないほどの金周りかと思っていたのだが、違うらしい。 封筒の中には、今までユウが相手をしてきた客の中では上等と言える額の金が入っていた。なかなか良いカモになりそうだ。
今度連絡が来ることがあったら他の客より優先して相手をしてやろうと決め、携帯の電話帳に登録してある男の名前の隣に優先順位を書いておく。 久しぶりに一桁の順位が入れ替わった。

(……帰るか)

客の姿はもう見えないし、大丈夫なはずだ。 以前、客の一人に後をつけられて危うく家を知られそうになった為、それ以来、ユウは客の姿が見えなくなったのを確認してから帰るように注意している。
親はユウが見ず知らずの人間に付き合って金をもらっているなんて知らないし、知られたくない。

鞄から定期券を取り出して電車に乗る。携帯を取り出し、電話帳を弄っていた時には既に受信していたメールを確認すると、父親からのユウの遅い帰りを心配するメールだった。遅いといっても、まだ7時を少し過ぎた時間なのだが。 いつもの通り友達と勉強していたと返信し、携帯をしまって溜息を吐く。

父親はユウが心配で仕方がないらしいが、ユウにとっては迷惑でしかない。本当の父親ではないのに、父親ぶって、と。

14年前、ユウが3歳の時、ユウの母親は離婚した。父親の浮気が原因だったと祖母は言っているが、本当のところはユウにはわからない。何せ、当時のことは殆ど覚えていないのだ。 離婚した直後に今の父親と結婚、子供を授かっているから、もしかしたら母親が浮気をしていたのかもしれない。

最寄駅で降りて10分程歩くと、一つだけ周りの民家から飛び出している家が見えてくる。それがユウが家族と一緒に住んでいる家だ。母親と父親、ユウに弟の四人家族だが地下一階地上三階建ての無駄に広い家で、掃除するのが大変だと母親がいつもぼやいている。

「兄さん」

突然後ろから声をかけられ振り返ると、学ランを着た白髪に近い髪の少年が立っており、ユウは思わず舌打ちをしてしまった。弟のアレンだ。

「僕、今日委員会があったんです。会議が長引いちゃって……兄さんは?」
「……お前には関係ない」
「兄弟なのに、関係ないってことはないでしょう」
「ふん、」

無視することにしてアレンに背を向け、再び足を動かす。後ろから小走り気味の足音が近づいてきて隣までやってきたが、そちらに目をやることなく歩き続けると、一言も話しかけてこなかった。

「おかえりなさい」
「ただいま、お母さん」
「二人とも、ご飯食べるでしょう?」
「うん、お腹空いたなぁ」
「良かった。食べないで待っていたのよ。ユウも、」
「いらない」
「ユウ!」

家に着くと母親が笑顔で迎えてくれたが、ユウはそれを無視して自分の部屋に入って鍵を閉めた。食事はもう客と一緒に済ませていたし、家族と一緒に食事をするのが嫌だったのだ。

当時のことを殆ど覚えていないと言ったように、ユウには今の父親を本当の父親だと思い込んでいた時期がある。その頃は生まれたばかりの弟ともよく遊び、父親とも会話していたのだが、ある日、母親の実家に遊びに行った際に母親と祖母の会話を聞いてしまってから、自分と家族の間に壁を感じるようになってしまった。

俺は母親としか血が繋がっていないのに、弟のアレンは両方と血が繋がっている。

そう思うようになってからと言うもの、父親と母親が注いでくれる愛情を偽りのものだと、弟の笑顔を憐みの顔だと感じるようになってしまった。何度も、両親は心から愛してくれているのだ、弟は自分を慕ってくれているのだと、心の闇を消し去ろうと試みたが、その度に闇は大きくなり、もうユウの力ではどうにも出来ないほど大きなものとなってユウの心に棲み続けている。

「……はぁ、」

ベッドに座り、蟠りを隠すように溜息を吐き、携帯を手に取って受信箱を見る。電車で確認してから一時間も経っていないというのに、受信箱には既に十数件のメールが溜まっていた。全て客からのメールだ。どのメールもユウの明日の予定を尋ねるもので、ユウが何もないと返信すれば、じゃあお茶でもどうですかと誘うメールが来る。
カチカチとボタンを操作して明日は誰の相手をしようかと品定めするが、今回メールをくれた客にはそこまで羽振りのいい客がおらず、結局全員に忙しいと変身した。
多忙のメールは使いすぎると客が離れていく原因になるが、偶に休まなければやっていられない。頻繁に客と会っているユウだが、できることならこんなことやりたくないと思っている。

こんなことを始めた理由は、大学へ行くための資金を作りたいと思ったからだった。最初は真面目にバイトをしようと思っていたのだが、時給を考えると一日に結構な時間働かなければならず、ユウの学力を考えるとそれはきつい。親に大学へ行きたいと申し出れば学費を出すと言ってくれるのだろうが、親の援助は受けたくない。何か方法はないかと考え、高校二年の秋頃に友人から紹介されたのがこの方法だったのだ。

少し話し相手をしてやれば、数万円貰える。バイトをするよりも効率がいい。

友人の言っていることを世間一般では何と言うのか知っていた。しかし、友人の紹介で相手をした客から受け取った封筒の中身を見た時、世間体という言葉がユウの頭から消え去ってしまった。その客とは一時間ほどカフェで会話をした程度だったと言うのに、封筒には万札が十数枚入っていたのだ。
その客は、ユウを仲間にしようと友人が用意した、特別羽振りの良い客だったわけだが、ユウを惹き込むには十分だった。それ以来、ユウはこの商売から抜け出せずにいる。

「兄さん」

ドア越しにアレンの声が聞こえ、苛立ちつつドアを開ける。

「偶には一緒に夕飯を食べてください。お父さんもお母さんも、兄さんのこと心配してます」

アレンがこんな風に言ってくるのはこれが初めてではない。一週間に一度はこうやってユウの部屋のドアを叩き、ユウに一緒に食事をするように言ってくる。
その度に、ユウは適当にあしらい、追い返していた。会話する気がなくてもドアを開けるのは、ドアを開けて追い返さない限りアレンはいつまでも部屋の前にい続けるからだ。

「勉強の邪魔だ。部屋に戻れ」
「僕、兄さんが放課後何をしてるのか知ってます。知らない男の人と食事してるんでしょう?」
「……んなことしてねぇ。バイトしてるだけだ」

苦い顔をしたアレンの口から出てきた言葉に、無意識に眉が動く。反応したのはほんの一瞬だったが、その一瞬を見逃さなかったアレンは続けて口を動かした。

「お父さんとお母さんには教えていません。だけど、兄さんがこのまま僕たちとの交流を拒み続けるなら、このことを教えます」
「……はっ、教えればいいだろ」
「兄さん!」

胸部を押し、アレンがよろめき後ろに下がった隙にドアを閉める。

「話を聞いてください!今はまだ、それだけで済んでるのかもしれないけど、いつか絶対に取り返しのつかないことになります!そうなったら、傷つくのは兄さんで……」
「俺がどうなろうが俺の自由だろ」
「家族なのにそんな、」

暫くの間、アレンはしつこくドアを叩いてユウにドアを開けるように要求していたが、最後には諦めて隣にある自分の部屋に入った。
アレンがユウがあまり人に言えない商売をしていると知っていたのは予想外だったが、知ったところで何もできない。親に教えると言っていたが、絶対に教えないだろう。ユウのやっていることを知れば、親は酷く悲しみ、ユウを叱り、すぐに商売をやめさせるはずだ。常に変なことをしているのではないかとユウを疑って、ユウの部屋の鍵を壊し、ユウの自由を徹底的に破壊しようとするだろう。そうなれば、アレンが望んでいる家族の団欒は夢と消えるのだから。

「ちっ、」

先程アレンを突き飛ばした方の手が震えていることに気づき、舌打ちしてもう片方の手で震えを押さえた。
震えの原因は何となくわかっている。アレンに知られていたことがショックだったと言うのもあるが、心配してくれているアレンを信じることができずに突き放した自分が許せなかった。