my... extra 3


「はい」
「ありがとう」

 小さな手が持つには重いであろうキャベツ一玉を受け取って冷蔵庫にしまうと、ティキは溜息を吐いた。

「にぃー、おとーさんどこいったの?」

 空になった買い物袋を不器用に畳みながらユウがティキに尋ねてくるが、残念ながらティキはユウの質問に対し答えることはできなかった。ティキにも、父親がどこへ行ったのかはわからない。
 今日は母親が絵画教室へ行っている為に仕事が休みである父親がティキとユウの面倒を見ていた。昼食を食べて休憩した後に夕食の材料を買いに出かけたのだが――買い物途中で突然父親の機嫌が悪くなり、買い物から帰った途端、ティキとユウを家に置いて再び車でどこかへ行ってしまった。

「ゆうあそびたいなー」

 ユウの遊びたいという言葉に普段なら快く頷くところだが、今日は素直に頷けない。正直、遊ぶ気分ではなかった。
 出て行った父親は何だか怒っているような気がしたし、いつ帰ってくるかも知らされていない。今日、母親は友人の家に泊まると言っていたし、その友人宅の連絡先も知らないので連絡もできない。父親が帰ってくるのを待つしかないが、いつ帰ってくるのだろうか?あと二時間もすれば夕食の時間だ。

「にぃ?」
「……いいよ、何して遊ぼうか」
「おえかきしたい!」

 だが、ここでティキが普段と違う行動をとれば、今度はユウが不安になってしまう。ユウにティキの不安を知られないようにするためには普段通りの行動を取るしかない。
 一緒に部屋へユウの絵描き道具を取りに行って、自分が持ちたいと言うユウにクレヨンを持たせてティキ自身は大きなスケッチブックを持つ。リビングに戻ると、スケッチブックをテーブルに置いて新しいページを広げた。

「何描く?」
「ねこさん。にぃはあおいねこさんかいてね」
「いいよ」

 ユウから青色のクレヨンを渡され、スケッチブックの隅に絵を描き始める。ユウが遊びたいと言ってからお絵描きと言った時は一緒に絵を描きたいと言う意味だ。一人で絵を描いていたい時はお絵描きしたいなどと言わずに一人でクレヨンを取りに行ってリビングにあるチラシに絵を描き始める。前にどうしてスケッチブックに描かないのかと聞いたら、スケッチブックはティキと一緒に絵を描く為のものだという答えが返ってきた。

「できた!にぃは?」
「まだ」
「じゃあ、ゆう、きいろのねこさんかいてるね」

 ピンク色のねこらしきものを描き終えたユウが、ティキの描き途中の絵を見て黄色いクレヨンを手に取る。いつもなら先に絵を完成させてしまうティキよりも先に絵を完成させた事が嬉しいのか、ユウは歌を歌いながら絵を描き始めた。

「……はぁ、」
「う?」
「ああ、ごめん。何でもないよ……次は何色のねこがいい?」
「えっとー……これ」

 丁度絵を描き終えたのでユウにクレヨンを渡して次のクレヨンを受け取る。渡されたクレヨンは黄緑色だった。
 ユウの歌を聞きながらふと手を止めて時計を確認すると、普段なら父親か母親がキッチンへ向かっている時間になっていた。しかし、今はまだ二人とも帰ってきていないので、キッチンには誰もいない。

「にぃー」
「ああ、ごめん。何?」
「ねむくなってきちゃった」
「……そっか、じゃあ昼寝しようか。俺も少し寝るよ」

 夕食の時間が近づいているこの時間にユウが眠気を訴えるのは珍しい。どうしてだろうかと首を傾げたが、すぐに今日はまだ昼寝をしていなかったことを思い出した。いつもならばユウは昼食後昼寝をするのだが、今日は昼寝せずに遊んでいた。その為今になって眠くなってしまったのだろう。
 普段と違う時間に寝かせるのはどうだろうかと少し考えたが、どうせ夕食の時間はまだ来ないのだからとクレヨンをしまってスケッチブックを閉じた。いつもならリビングのソファで寝かせるのだが、ティキも一緒に寝ると言ったのでティキの部屋へ行く。
 目を擦っているユウの体を持ち上げてベッドに下ろすと、ユウはすぐに布団の中にもぐった。ティキが隣に横になって少し丸いお腹をポンポンと優しく叩いてやれば、あまり時間が経たないうちに小さな口からは寝息が聞こえるようになった。

「……早く帰って来てよ、」

 横にはなったものの全く眠気が襲ってこず、ユウを起こさないようにゆっくりと体を起こす。時計を見るとリビングで見た時からそう時間が経っていなかったが、ティキにはもう何時間も経過したように感じられた。









 父親の帰りの心配をしつつもいつの間にか眠ってしまっていたらしい。ティキが目を開けると窓の外は薄暗くなっていた。

「やばい、寝てた、」

 体を起こして隣を見ればユウはまだ眠っており、ティキの服の裾をしっかりと握っている。

「父さん、帰ってきてるかな、」

 ユウを起こさないように少しずつティキの服の裾を握る手を離していき、静かに部屋を出る。
 部屋の外はとても静かだった。そのことから何となく結果はわかっていたが、玄関へ向かって父親の靴を確認する。案の定、父親の靴はまだなかった。

「……はぁ、」

 もう夕食の時間だというのに食事の準備もしていない。

「……だめだ、迷惑かけられない、」

 ふと、アルマの家に電話をしてみようかと思ったがこんな食事時に時間をかけても迷惑以外の何物でもないだろう。

「にぃー、どこー?」
「、」

 ティキの部屋の方からユウの声が聞こえ、ドアの開く音が聞こえる。小さな足音が不安げに動いていたので、そちらの方へ行ってユウの視界にティキの姿を入れてやる。

「にぃ!」

 ティキの姿を見つけたユウはぱっと笑顔になりまっすぐティキの方へと駆け出し、ティキに抱きついた。

「ユウ、お腹すいた?」
「んー……うん、すいた」
「そっか。じゃあ、父さんまだ帰ってきてないみたいだから、俺が作るよ」

 幸いにも、今日はカレーを作るつもりで夕飯の材料を買っていた。カレーならばティキも家庭科の調理実習で習ったので作ることができる。

「じゃあ、おてつだいする」

 ティキがキッチンへ向かうと、ユウが後ろからついてきてニコニコとしながら手伝いたいと言う。

「ユウはリビングで遊んでて。危ないから」
「えー、」

 ユウの申し出はありがたいが、手伝いをすることはあるがティキ一人で食事を作るのはこれが初めて。もし怪我をさせたら怖い。

「お願い」

 ティキが手を合わせてお願いすると、ユウは渋々ながらも「おえかきしてる」と言ってリビングへ向かってくれた。

 キッチンに着くと、冷蔵庫や棚を開けてカレーを作るのに必要な材料をそろえ、包丁を取り出す。タイミングよく父親が返ってこないだろうかと耳を澄ませてみたが、特に玄関から音は聞こえない。
 少し前にやった調理実習を思い出しながら野菜を洗い、誰かが見ていれば心配になる手つきで包丁を動かす。調理実習の時と違うのは、ユウの為に野菜を小さめに切らなければいけないというところくらいだ。
 順調に調理を進め、水に野菜を入れたところでティキはほっと息を吐いた。手順に間違いはあるかもしれないが、ここまでくれば後は沸騰したらウインナーを入れ、少ししたらルーを入れるだけでいい。
 沸騰するのを待つ間に野菜室からサラダに使えそうなものを取り出し、ユウでも食べやすい大きさに切りながら意識は玄関の方へと集中させる。まだ玄関から音は聞こえないし、それ以前に車が止まる音もしない。

「にぃ、ごはんできた?」
「もう少し」

 サラダを作り終え、鍋にルーを加える段階になると、匂いがしたのかユウがクレヨンを持ったままキッチンへやってきた。

「カレーとサラダだけでいいかな、」
「うん」
「もうちょっとかかるからリビングで絵描いてなよ。絵、描いてる途中なんだろ?」
「んーん、ここにいる。あっちさびしいもん。にぃ、しりとりしよ」

 ユウがその場に座ってしまったのでティキは困って頭を掻いたが、もう煮込んでいるだけだから危険はないだろうと鍋の火が確認できる場所に座り、ユウを見た。確かに、リビングで一人絵を描いているのは寂しいかもしれない。

「…わかった。じゃあ、ユウが最初」
「ねこ」
「仔牛」
「し、し…しまうま」
「毬」
「り?り……りんご」
「胡麻」
「ま、……ま?まめ」

 ティキに比べてユウはまだまだ語彙が乏しい。ティキがすらすらと答えていくのに対し、ユウは一生懸命考えながらしりとりを続けていく。

「目隠し」
「またしー?し、し、し……し?」
「“四季”」
「あっ、しき!」

 小さな声でティキが手助けすると、ユウがその言葉をそのまま発する。

「着物」
「の、のー……のり!」
「リス」
「す、す、すいか!」
「亀」
「め……」
「ユウ、一文字でもいいんだよ」
「め!」
「迷路」

 ティキがユウを助けながらなんとかしりとりは続き、どれくらい経ったのかはわからないがカレーはとろみがついて丁度いい具合になっていた。

「先にご飯食べちゃおうか」
「おとーさんまだかえってこないの?」

 買い物をしている時に父親は今日は三人で食事をしようと言っていた。ユウはそのことを気にしているのだろう。

「まだみたいだ。けど、父さん待ってたらユウの寝る時間になっちゃうからさ」

 ティキだって、できることなら父親を待ちたかった。だが、まだ小さいユウのことを考えるとこれ以上待つことは難しい。今の時間はいつもならユウは誰かと一緒に風呂に入っている時間で、食事はもう終わっているはずなのだ。

「リビングで食べよう」
「うん」

 皿にご飯と出来たばかりのカレーを盛り、サラダ、水を注いだグラスと一緒に盆に載せる。ティキがその盆を運ぶ時にユウが手伝いをしたいと言ったので、ユウにはスプーンとフォークを持たせた。

「いただきます」
「いただきます!」

 初めて一人で作ったカレーということで不安ではあったが、一口食べてみてティキはほっと息を吐いた。ちゃんと食べられる味になっている。ユウもおいしいと言ってにこにこと笑いながら食べてくれている。

「ご飯食べ終わったらお風呂だよ」
「にぃと?」
「……多分ね」

 今日は本当ならばユウは父親と一緒に風呂に入るはずだった。だが、この調子だとティキが一緒に入ることになるだろう。

「おもちゃもっていっていい?」
「あまり長湯できないけど、少しだけならね」
「うん、すこしだけ」

 本来、おもちゃは早い時間に風呂に入ることになった時のみ使っていいことになっている。今の時間を考えればティキは「だめ」と言わなければならないのだが、少しでもユウを何かに夢中にさせて、父親も母親もいない現状を不安に思わせないようにしなければいけなかった。

(父さん何やってるんだよ……)
「にぃもあそぼうね」
「……いいよ、遊ぼう」

 不安になっているのはティキだけでいい。ユウは何も知らなくていいのだ。

「おとーさんも、おともだちのおうちいけばいいのにね」
「どうして?」

 いきなり、ユウが今日父親に帰ってきてほしくないと言い出した。いきなりどうしたのかと尋ねれば、ユウはきょとんとした後にこっと笑ってティキに抱き着いた。

「にぃとねたいもん」

ユウの口から出てきた思いがけない言葉にティキは思わず笑ってしまった。ティキが思っているよりもユウは父親の帰りが遅いことを気にしていないらしい。

 結局、希望通りユウはティキと一緒に寝ることができ、父親は翌日まで帰ってこなかった。