今にも鳴りそうな腹を押さえてと何を食べようかと街中を歩く。日本にいた頃には見たことのないピザのファストフード店やジェラート屋は沢山あるが、ユウ好みのあっさりしたものがある店は見当たらない。まあ、日本語の通じない土地で和食が食べたいというのは無理があるのだろう。テレビで海外進出している日本料理店の特集を見たことがあったが、この国のものは見たことがなかった。
仕方がないのでどこか適当な店に入ろうとガラス越しに中の様子を窺いつつ、どの店も―当たり前だが―日本人らしき人がいないと溜息を吐いていると、誰かに肩を叩かれた。 「やっぱりそうだ」 びくりと肩を跳ねさせて振り返えると、ユウの目に見慣れた男の顔が映る。ユウの肩を叩いたのはティキだった。 「ティキさん、」 「こんなところで何してんだ?」 「絵画展を見に……あ、今は昼食の店選びですけど……。ティキさんはどうしてここに?」 「あ?ああ、俺の会社、この近くにあるんだよ。二時まで昼休憩」 「二時って、長いですね」 「そうか?」 二時まで休憩だと言われて、もしかしてもう一時過ぎなのかと―ユウの偏見では社会人の休憩時間は一時間なのだ―時計を確認したが、時計はまだ十二時を少し過ぎたところだ。 そんなに休憩の長い会社もあるのかと驚いていると、「ここら辺じゃ当たり前だけど」という答えが返ってきた。 「俺のとこは短い方だぜ?他は三時間くらいだろ」 「そんなに、」 「ま、休憩が短い分俺の会社は早く帰れるけどな」 昼休憩が長いところは帰宅時間が遅くなる。それを聞いてユウはティキの休憩が短いことにホッとした。夜遅くまで起きているのはあまり得意でないので、連日遅く帰ってこられるとティキの帰りを待ってから食事をするのが辛くなる。 「折角だ、一緒に飯食うか」 「はい」 「俺がよく行く店でいい?」 「それでいいです。どこに入ろうか迷っていたので」 ユウが会話でき、現地に詳しい人物が一緒なら、どの店に入ろうが構わない。先程自分と同じ日本人の姿を探していたのは、一人で店に入るのが不安だったからだ。 ティキの隣を歩いていると、さっきまでの不安が嘘のようになくなってしまった。 クロスから一人でも出かけられるようにと絵画展のチケットを渡され、そして一人で絵画展を見たわけだが、今こうして知り合いと一緒にいると一人で出かける勇気などなくなってしまいそうだ。大体、日本にいた時でも―田舎で娯楽が何もなかったと言うのもあるが―殆ど出かけることなく家の手伝いをして過ごしていたので、一人家で過ごしている時に「よし、出かけるか」と思うことなど無い。家事をしていればそれなりに暇潰しにはなるし、今は言葉を勉強しなければいけないので出かけなくとも一日は終わってしまう。 「この店」 「あ、はい」 今日みたいに何か理由を付けて外出させられることがあるのだろうかと、ぼんやり考えていたら、突然ティキが立ち止まって一つの建物を指さした。 「まあ、ここなら軽めのサンドウィッチもあるし、アンタも食えるんじゃねぇかな?ピザ、パスタより良いだろ?」 「…そうですね」 確かに、ピザはあまり食べたことがないので得意でない。パスタはまあ食べられるが、同じ麺なら蕎麦を食べたい。サンドウィッチならまあ、あっさりしている方だろう。 「おう、ティキ」 「よ、飯食いに来た」 店内に入ると、カウンターにいる男性が肩手を挙げてティキに挨拶をしてきた。よく行く店だけあって店員も顔を知っているのだろう。 ユウにカウンター近くの席に座っているよう指示すると、ティキは注文してくると言ってすぐに席を離れてしまった。メニューを見せてくれないのかと少しむっとしたユウだったが、常連のティキなら何がおいしいのかも知っているのだろうと椅子に深く座り直す。 カウンターにいる男性は目の下にくっきりとした隈のある疲れた顔をしており、倒れやしないかと心配になる。ティキと会話している彼の表情はとても笑顔なのだが、その笑顔にもはっきりと疲労が見て取れるのだ。 「お前、最近寝てるか?また、マッドサイエンティストの手伝いしてんじゃねぇだろうな?」 「そう言うな、あの人あれでもその道で有名なんだぞ。俺もまあ、ああいう仕事は好きだしな、手伝えって言われたら手伝うさ」 ティキも彼の目の隈が気になったのか体調を気にする言葉をかけたが、男性はそれには反応せずその後のマッドサイエンティストと言う単語に反応した。聞き耳を立てているユウにはそれが誰の事だかわからないが、どうやら男性はその人の手伝いをしている為に目の下に隈があるらしい。 「好きな仕事でも体壊したら元も子もねぇよ。それとも、好きな事して体壊せりゃ本望ってか?」 「体壊すほど休みなく手伝ってるわけじゃない。こっちは接客業してるからな、これ以上隈が酷くなると困る。……ほら、いつものやつ」 「サンキュー」 いつの間に注文したのか、男性がサンドウィッチの乗った皿を二つカウンターに置いた。ユウの想像でしかないが、きっとティキはいつも同じものを食べており、男性が勝手に「今日は二人できたからいつものを二人分作ればいいんだろ」と判断したのだろう。 皿を持ったティキがユウの向かいに座り、ユウに食べるよう促す。 「ここの店は、このサンドウィッチが一番美味いんだよ。他はまあ、普通だな。不味いのが二つあるけど」 「おい、」 ティキの言葉が聞こえたのかカウンターにいる男性が声を出した。まあ、店内で不味いメニューがあると言われれば注意するのは当然だろう。 「あ?何か気に障ること言ったか?」 「お前な、店内で不味いとか言うなよ」 「事実だろ。ここの店のベーグル使ったメニューの不味さは。だから、最初は何種類もあったのが二種類だけになってるんだろうが」 「それでも、これが好きだっていうお客もいるんだ」 「へぇ!」 「………」 ティキがカウンターを離れてやっと会話ができると思ったのに、再びカウンターの男性と話を始めてしまった。 ユウがぽかんとして二人の会話を聞いてると、それに気付いた男性が今度はユウに声をかけてきた。 「まだ食べてないみたいだけど、苦手かな?」 「あ、いえ、いただきます」 慌てて口にすると、日本では食べことのない味が口の中に広がった。初めて食べたような味ではあるが、嫌いな味ではない。 「おいしいです」 「よかった。もしかして、日本人?」 「はい」 「ティキ、お前どこでこんな子見つけたんだ?」 「俺じゃねぇ。クロスのコレ」 どれ?とユウが聞く間もなく男性がほぅ、とユウを見て溜息を吐く。 「あの人なら見つけてくるか。どこへでも行く人だもんなぁ……しかし、日本に行けばこんな美人がいるのか」 「び、」 「日本の、田舎にいるらしいぜ」 「田舎か。今度気晴らしに行ってみるかな」 美人と言われて固まるユウを尻目に大人の男二人が大和撫子というものに付いて語り始める。 ユウは自分のことを想像する大和撫子そのものだと言われて、まず撫子と言うには性別が違うと言いたかったが、ティキがいる手前おかしなことを言うこともできず、黙ってサンドウィッチを口に入れた。 そうして暫くの間ユウは二人の会話を聞きつつ静かに食事をしていたのだが、ふと感じた違和に顔を顰める。 「どうした?」 「あ、いえ……」 ユウの異変に気付いたティキが素早く尋ねてきたが、特に体調を崩したわけではない。ユウが感じたのは尿意だった。 「あの、トイレお借りして良いですか?」 「ああ、どうぞ」 カウンターの男性に声をかけると、男性は快く頷いて店の奥を指さした。男性の指の先にはトイレがあり、男性女性と別れている。 男性に礼を言い、トイレの扉の前に立ったところでユウははっとして足を止めた。 (俺、どっちに入ればいいんだ?!) いや、本来ならば男性トイレに入るべきであり、むしろ女性トイレに入ったら不審者または変態扱いされる。 しかしながら、今のユウは―本当に不本意だが―女性として生活しており、クロスとの約束でティキに男だと知られてはいけない。 「…っ!」 そっと後ろを振り返ると、ティキと目があった。不思議そうに首を傾げるティキを見てさっと前を向き、改めて二つの扉と向かい合う。 「……くそ、」 今なら客はティキとユウだけ。カウンターの男性もユウを女性だと誤解している。 ユウが震える手で触れたのは、女性トイレのドアノブだった。 「最悪だ、最悪だ、最悪だ、最悪だ……っ!」 昼食後、ティキと別れて家に帰ってきたユウはリビングのソファに座って、抱えたクッションに顔を埋めて何度も「最悪だ」と呟いていた。 昼食からそれなりに時間は経ったが、何故絵画展の後すぐに用を足しておかなかったのかと後悔してもしきれない。絵画展を出た後すぐにトイレに行っていれば、店で恥をかくこともなかったのに。尤も、ティキも男性もユウが女性トイレに入ることを当たり前のことだと思っているので、ユウが開き直ってしまえばそれで終わるのだが。 午前中、一人でいた時はティキと合流して本当に安心したが、今となっては合流することなく一人で食事をした方がマシだった。寂しさはあっても、本来の性別で全て選択できた。 これからもこんなことがあったらと思うとぞっとする。今回は他にお客がいなかったので助かったが、女性客がいる場で今回のようなことが起こったら……。 「…クロスさんに言おう、帰ってきたら、無理だって言おう……」 |