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ティキに買い物に付き合ってもらった日の夜、バスルームの大きな鏡の前でユウは溜息を吐いた。
おもむろにシャツを脱げば、スポーツブラのような下着が現れ、ユウの惨めさを誘う。本来ならば、ユウにはこんなもの必要ないと言うのに。
下着を脱ぐと、鏡にはまっ平らな胸が映った。下着の裏にはパッドが縫い付けられており、それが周囲に、ユウにわずかだが胸があるように錯覚させる。
そして、ズボンを脱ぎ、パンツを脱いだユウの股間には、女性にはあるはずがないものがあった。使われたことがあるのか怪しい色形だが、十人に聞けば十人が「男性器だ」と答えるだろう。

当然だ。ユウは女だと間違えられることは多々あれど、女として生まれてきたつもりはないのだから。
ユウは、昔も、そして今も、生物学上は男である。

「お湯は……めんどくせぇな」

バスタブにお湯を張ろうと湯沸かし器に手を伸ばしたユウだったが、ふと見たバスタブの大きさと、昨日湯を張るまでにかかった時間を思い出してシャワーと書かれたボタンを押した。
この家のバスタブは、百七十後半もあるユウが足を延ばしてもつま先がバスタブの壁に付かない。まあ、同居人のクロスとティキの伸長を考えれば当然と言えば当然と言えるが。
ガラスの壁に覆われたシャワールームに入り、蛇口を捻る。すぐに出てきた暖かな湯がユウの髪を濡らし、肌にぴたりと張り付かせた。

「あれ、開かねぇ」
「っ、い、今、使ってます!」
「あー……ああ、悪い」

不意に聞こえた声に慌ててシャワーを止めて返事をし、声の主が遠ざかって行ったのを音で確認して再び蛇口を捻る。

この家に来る前に、クロスはこの家を「ユウにとって住みやすい家にする」と言っていたが、それが実現されているかは怪しいところだ。
ユウの知っている風呂場というのは脱衣所と浴室が分かれており、このバスルームのように洗面台とバスタブ、ガラスに覆われたシャワーがついているものではない。さらに言えば、それらが付いていながらもこんなに広々としているのが腹立たしい。

「いつか、慣れんのかな……女のフリした生活にも」



クロスがユウの前に現れたのは三か月前のことだった。
高校を卒業し、農業を営んでいる親の手伝いで田植えをしていた時に、田圃から見えるユウの家の前に黒塗りの高級車が停まった。
テレビでしか見たことがないような高級車に、両親や手伝いに来ていた親戚が皆固まってしまったのをユウは今でもはっきりと覚えている。
変な族に目をつけられるようなことはしていないはずだが……と両親に親戚が戦々恐々とする中、車から赤毛長身のいかにも、な男が降りてきた。
仮面で顔の半分を隠したその男は、苗を掴んでぽかんとしているユウを見つけると、「お前か」と言ってユウの泥で汚れた手を掴み、ユウの両親に頭を下げた。



ユウは今でも完全には理解できていないのだが、簡単に言うならば叔父の商売に利用されたらしい。
父の弟、ユウに取って叔父にあたる人は、農作業が嫌で、大学進学と同時に家から出て行ってしまった人で、家には滅多に顔を見せない。
クロスは叔父の取引先の中でも特別な相手で、クロスが「嫁らしい嫁を迎えてみたい」と溢したのを聞き、「男ですがちょうど良い相手が」とどういうわけかユウを推薦したのだと言う。
最初は男かと渋っていたクロスもユウの写真を見た途端「男もアリか」と乗り気になってしまったのだ。

クロスが財ある実業家だと知って両親がそこまで反対しなかったというのもある。ユウに対して、クロスがとても優しかったと言うのもある。
あれよあれよというままにユウとクロスの結婚準備は進み、クロスとユウが出会ってから三カ月。ユウはクロスの家にやってきた。
基本的にユウの自由に過ごして良いと言われたが、唯一つ、ユウが男であると言うことは隠し、クロス以外の人の前では女性のように振舞うようにと言われている。いつかバレそうなものだが……むしろ、今気づかれていないのが不思議なものなのだが。

とりあえず、ユウがクロスと住んでいる限り、叔父の会社は上手くいき、両親の暮らしも楽になる。それだけは確かだった。









「起きていたか」
「今日帰ってくると聞いていたので」

ユウがクロスとティキの家へやって来て一週間と二日。リビングで一人ソファに座ってお茶を飲みながら過ごしていると、0時を少し過ぎたところでクロスが帰ってきた。

「買い物には行けたか?」
「はい。クロスさんが出かけた日に連れて行ってもらいました」

三か月で基礎だけ叩きこまれた言語でストレスを感じつつクロスの問いに答える。

「そうか。何か困ったことがあったら気安く扱き使ってやれ。お前の息子でもあるからな」
「年上の息子ですか」

クロスの話では、ユウとティキの年は八歳差。ティキの方が八つも上なのだ。息子というには違和感がありすぎる。
年上にあれをしてくれこれをしてくれと言うのは気が引けると言うと、クロスはユウの隣に座ってユウの頭を撫でた。

「あれもお前が年下ということは感じているだろう。その上でお前を母親だとしてるんだ。お前も気にするな」
「あの、どうして母親なんですか?」
「あ?」
「その…別に、母親じゃなくて、恋人として紹介しても、」

ユウがまだ日本にいた時、クロスはユウに対してクロスの住んでいる国は同性愛に一定の理解がある国だと説明していた。つまり、ユウの性別を偽る必要などないのではないかと、ユウは思うのだ。

「お前が女でなければ困ることもあるということだ」
「困る?」
「とにかく、お前は俺以外の前では女として過ごせ。いいな?」
「…はい」

具体的な理由を聞かせてくれてもいいのにとは思うが、聞いたところでユウの納得のいく返答は貰えないだろう。
不満に思いながらも言葉にせず口を閉じていると、クロスがユウの顎を掴み口付けてきた。眉間にしわを寄せながらもクロスの口付けを受け、唇の間を舐めてきたクロスの舌を受け入れる為に口を開く。
男同士で、男なのに、という戸惑いや不快感は未だユウの中にあるのだが、日本から遠い地へやって来てしまった今、ユウはクロスに媚を売るしかないのだろうことを理解していた。
言葉はそれなりに話せるようになったとはいえど、クロスの気に食わないことをしてこの家から追い出されてしまったら、ユウは確実に路頭に迷うことになる。叔父だって、両親だって困るはずだ。

「あ、あのっ」
「どうした」

だが、流石にクロスの手がユウのパジャマの中に入ってこようとしたので、慌ててクロスの口付けから逃げ、クロスの手を掴んだ。

「せめて、寝室で……ここは、その、」
「ティキにいつ見られるかわからないからか?」
「裸になったら誤魔化せません」

リビングなどという場所で行為に及び、もしユウが男だとティキにばれたら、クロスだって困るはずだ。まあ、ユウの本当の理由は、男だと知られてしまったらと言う心配より、情事を見られるのが嫌だからなのだが。性行為などというものは人に見せるものではない。

「誤魔化せそうではあるけどな。まあ、そう言うなら寝室に移動するか」
「自分で歩けます!」

クロスがユウの両脇と両膝の下に手を入れ、ユウの体を軽々と持ち上げる。恥ずかしくてユウが下ろすよう頼んでもクロスはユウを下ろそうとせず、そのままリビングを出てしまう。

「へえ、お熱いことで」

寝室に向かう途中、タイミング悪くティキが部屋から出てきてしまった。
二人の姿を見た瞬間、ティキは二三度目を瞬きさせたが、冷やかすような言葉を発した後キッチンへと歩いて行った。

「見られた……」
「これくらい構わんだろ。両親が仲良くしているのは子にとってもいいことだからな」
「だからって、」

姫抱きをされて寝室へ向かうところを見られ、あんな言葉をかけられたと言うことは、ティキはこれから二人が何をしようとしているのか理解したと言うことではないか。

「そう恥ずかしがることもないだろう?あれも大人だからな。次の日にからかう様な真似はしねぇ」
「…そうだと、いいですけど」

これで明日の朝このことについて何か言われたら、ユウは恥ずかしさで部屋に閉じこもってしまいそうだ。

寝室に到着し、ベッドに下ろされると、すぐにクロスが覆いかぶさってくる。
再びパジャマの下に手が入り込んできたが、ユウは今度はぎゅっと目を瞑り、拒否しなかった。