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ティキが家を出た次の日、ユウは少しだけ物足りなさを感じながら朝食の準備をしていた。朝食は二人分あるが、今までと違うのはその食事を食べるのがユウと、クロスだということだ。
 クロスは家にいないことが多かったし、出張の時も大抵の場合早くに家を出てしまうので、ユウはクロスの為に朝食を作る機会があまりなかった。あったとしてもその時はティキがいることが殆どだったので、今日のようなことは本当に珍しい。

(けど、これが当たり前になるんだな)

 今までのクロスの仕事パターンを考えると、下手をしたら自分一人の為の朝食を作ることになることの方が多いかもしれない。

 何とも言えない寂しさを感じながらサラダを作り終え、ふと手を休める。静かにして耳を澄ませてみると、小さく音がした。

(起きた)

 それがクロスの起きた音だとすぐにわかったので、コーヒーメーカーに粉を設置し、コーヒーを淹れる準備をしてテーブルに料理を並べる。

「おはようございます」
「ああ」

 すでにスーツに着替えたクロスがダイニングへ入ってきてテーブルに並べられた料理を見る。

「……」
「何か?」
「そうだったな、お前の作る朝食はこういうやつだった」
「はあ、」

 クロスの言いたいことが理解できず眉間に皺を寄せると、クロスが苦笑して椅子に座った。

「久々にお前の朝食を見たからな、違うものを想像していた。よくよく考えてみれば、お前がそんなものを作るはずがなかったな」

 ユウがクロスの対面の椅子に座ると、それを確認したクロスが食事を始める。
 待っていてくれたことに驚きながらも、やはり気になったことをそのままにはできず、ユウは食事に手を付ける前に口を開いた。

「あの、そんなものって何ですか?」
「消し炭だ」 「……けし、」
「あれは料理とは呼べん物体だったな。今思うと、よくあんな料理を作る女に家を任せていたと思う」

 そこまで言われて、以前ティキが自分の知っている母親はすべてホームヘルパーにさせるような女だったと言っていたことを思い出した。恐らくは、母親らしく朝食を作ってみたら大変なものを作り出してしまったためにヘルパーを雇ったのだろう。

(……ん?)
「どうした」
「あ、いえ、何でもないです」

 ユウが変な表情をしたことに気付いたクロスが声をかけてくるが、ユウは何でもないと誤魔化して今にも質問が飛び出てしまいそうな口にサラダを詰め込んだ。

「だったらいいが」

 何でもないと言われればそれ以上問い詰める気は起きないのか、家を出る時間が近づいてきているクロスも食事に集中し始める。

(……違う気がする。消し炭料理作った人と、ホームヘルパー雇った人)

 ティキの言葉を思い出したときはそれで納得したのだが、よくよく考えてみるとティキはその後あった会話の中で「女共」という言葉を使った。つまり、最低二人は、否、三人はユウの前にこの家に母親として住んでいた女性がいる。

(前、ティキさんは連れてきた女共が嫌な女ばかりって言ってた。つまり、物心ついてから何人か母親が変わってるってことだ。だから、ティキさんに声かけてきた人と、そのほかに家事はヘルパー任せの人、あとは、ティキさんの実の母親。三人は絶対にいる)

 一度何でもないとは言ったが、そこまで考えると聞かずにはいられなかった。

「すみません、やっぱりあります」

 ユウが食事の手を止めて声を出すと、クロスが食事を続けながら尋ねる。

「何だ」
「俺って、何人目ですか?」
「何が」
「クロスさんの恋人というか、ティキさんの母親というか、そんな存在」

 ティキの言葉を考えればきっと三人以上いるだろう。そんなことを考えながらクロスの返答を待っていたが、クロスはスープを口に含んだまま何やら考え込むように眉間に皺を寄せてしまった。

「覚えてねぇな」

 暫くの沈黙の後、スープを飲みこんだクロスから出てきたのは明確な人数ではなく、だが誤魔化しているわけでもないと言ったしっかりした口調の言葉だった。

「は?」
「十人以上は覚えてねぇ。……二十?いや、もっといたかもしれん」
「……は?」
「俺は家にいないことが多かったからな。ティキの方がよく知っているだろう」
「あの……二十人?」
「それくらいはいるな」

 それがどうかしたのかとでも言いそうなクロスの顔を見て、ユウは何も言えなくなってしまった。

「……気にしたか」

 ユウが何も言わなくなったのを見て、クロスがぽつりと呟く。

「とりあえず、非難は聞くが」
「えっと……言いたいことはいろいろあるんですけど、なんていうか、言いたいこといろいろありすぎて何から言ったらいいのか……あ、とりあえず会社行ってください。今日、帰ってきますか?」
「そのつもりだ。遅くなるかもしれないが」
「じゃあ、それまでに言うことまとめておくんで、……あ、コーヒー淹れます」

 クロスの視線を感じながらも背を向けてキッチンへ行き、すでに落とし終えていたコーヒーをカップに注ぐ。特に考えることもなく、ただ無心での作業だった。

「お待たせしました」
「ああ」

 ユウがコーヒーを手渡すと、すでに食事を終えていたクロスがコーヒーを受け取って一口飲んだ。

「美味いな」
「豆を合わせてみました」
「ほう、」

 飲み終えたクロスがそろそろ仕事へ行くと言うので準備を手伝い、ユウはいつものようにクロスを見送った。
 そして、一人リビングに戻り、中断していた食事を再開してクロスとの会話を思い返す。

「……あの人、ちょっと酷くないか?」

 20人以上と言えば、ユウの年齢よりも多い。ティキに聞けばもっと詳細な数が分かるかもしれないが、今の段階でも一人の女性が平均一年と少ししかこの家にいなかったことになる。

「そりゃ、信用できなくもなるな……」

 クロスの言葉を聞いて、どうしてティキが母親というものを信じられないのかよくわかった。ティキの言葉だけではあまり判断できなかったが、そこまでの数母親が変われば信じようと言う方が無理だろう。
 しかし――とユウは頬杖をついて眉を顰めた。
 こんなことを知ってしまったが、ユウにはどうにかする手段もない。別に聞いたところでここから出て行こうと言う気も、そこまでわかない。動揺はしているが、今まで十分気遣ってくれていたことも知っているので、現在のクロスだけで判断するならばそこまで落ち度がないようにも思える。まあ、家にあまりいないと言うのは人によっては致命的になるのかもしれないが。

「案外、女運がないだけかもしれないし、」

 クロスのことを擁護するわけではないが―流石に二十人以上女が変わっていて原因がないとは思えない―ティキの言う浪費家、ヘルパー任せの女たちにも原因はあったはずだ。
 クロスはユウが来たばかりの時、ユウに好きな家具や道具を買い、住みやすい家を作れと言っていた。その言葉を受けて、本当に自分の好きなものを買いあさった女性はたくさんいるだろう。そんな女性と長く付き合い続けても、家の為にはならない。

「金には全然困らないし、それ目当てに近寄ってくる人も結構いるよな……顔もいいし、」

 同性のユウが見ても嫉妬する気が起きないほどクロスの顔は整っており、それも女性が言い寄ってくる原因の一つだろうと思う。

「で、嫁らしい嫁を迎えたくて連れてきたのが、俺」

 さまざまな女を迎えてことごとく失敗し、最終的に迎えたのが男というのは少し悲しい気もする。叔父やユウの家族にしてみれば、クロスが血迷ったおかげで順調に取引が成立し、家計も助かっているのだが。

「……」









「お帰りなさい」
「ああ」
「食事、もう少しかかるので、先にシャワー浴びてきてください」

 夜、ユウが食事の準備をしているとクロスが帰ってきた。遅くなるかもしれないと言っていたにもかかわらずユウが食事を作っている最中に帰ってきたので、少しは朝の発言を気にしているのだろう。その予想の決定打としてユウが帰ってきたクロスに対し、キッチンから顔を出して声をかけると、クロスの片眉が少しだけ驚いたように上がった。

「わかった」

 クロスがシャワーを浴びている間に調理を終わらせ、皿をテーブルに並べて椅子に座ったところでクロスがダイニングへ戻ってきた。

「あったかいうちに食べてください」
「先に、聞くことがあるんじゃないのか?」

 クロスが自分の方から切り出してくるとは思わず驚いたが、ユウはその発言に対し困ったように眉を顰めた。

「……えっと、考えはしたんです。けど、聞いてどうなるんだって感じもするし」
「……帰ってくる前にティキに確認してみた。お前はアイツが物心ついてから三十八人目だそうだ」
「うわ、」

 倍近く数が増えたことに思わず声を出すと、クロスが溜息を吐く。

「正直、俺もこんなにいるとは思わなかった」
「自分の嫁なのに?」
「……ああ」
「ティキさんの年齢より数が多いって……あ、食べてください」
「……」

 クロスが無言で食べ始め、ユウも食べつつ言おうと思った言葉を続けて話す。

「俺、そういうことよくわからないんですけど、この国だとそういうのが一般的なんですか?」
「俺は多い方だ」

 まあ、そうだろう。予想通りの答えが返ってきたので、呆れることもせずユウが一番言わなければならないと思っていたことを聞く。

「今、浮気は?」
「していない。お前だけだ」
「じゃあ、いいです」

 はっきりと発言してくれたので、ユウはクロスを信じて自身も食事を始めた。それだけわかれば、今はいい。

「していなかったら、いいのか?」
「クロスさん、俺によくしてくれるんで、別にいいです」
「……」
「食事続けてください」

 クロスはまだ何か言うことがありそうだったが、ユウが話題を変えるとそれに合わせてくれた。