※※※


 窓から下を見れば、先程まで部屋に荷物を運びこんでいた引っ越し業者が帰るところだった。作業中、今日はもう二件依頼があるのだと言っていた彼らは慌ただしく車に乗り込み、少し速すぎやしないかと思うスピードで遠ざかる。

「…さて、」

 引っ越し業者の車が見えなくなったところでティキは後ろを振り返り、部屋の中心に積まれたダンボールを見た。

「どれから手、付けるか……」

 生活に最低限必要なものを選んだはずなのだが、開けるのが少し面倒だと思ってしまう程度の数はある。
 会社へ行く為に必要なものはティキ自身が車で持ってきた為、スーツが皺になったりするかもしれないという心配はない。

 とりあえず水回りのものから出していくかとダンボールの側面に描いた文字を確認していくと、ティキのものではない文字で『キッチン』と書かれてあるダンボールがあった。

「これ、」

 眉を顰めてそのダンボールを開けてみると、中にはダンボールにぴったり入るサイズの発泡スチロールの箱があり、それを開けると小分けされた料理がぎっしり詰まっていた。
 発泡スチロールがどうやってもダンボールから抜けなかったのでダンボールを無理矢理解体すると、B5サイズのメモが入っていた。

「はー……すげ、」

 メモには発泡スチロールの中の料理について、これは早く食べた方がいい、これは冷凍保存できる、これはひと手間加えればこんな料理にもできる等々、細かく書かれていた。恐らくはティキが会社へ行っている間にやったのだろうが、よくここまでやろうと思えるものだと感心してしまう。朝ティキが確認した時にはなかったはずなので、恐らくは引っ越し業者が来た時に業者に直接渡したのだろう。ユウにはこういったことはしなくていいと言っておいたのだが。
 冷蔵庫はあらかじめ使えるようにしておいたので、メモを見つつ料理を冷蔵室と冷凍室に入れる。空っぽだった冷蔵庫がそれなりに埋まるのを見ると、いらないと断っていた好意ではあるがありがたいと思う。当分は料理をしなくても食べ物がある。
 冷蔵庫にものを入れきり、バスルームと書かれたダンボールを開けていると、鞄の中に入っている携帯が鳴った。

「……何だよ」

 画面に出た名前を見て珍しいと思いながらも通話ボタンを押して携帯に耳を当てると、不機嫌な声が聞こえてきた。

『勝手に引っ越すとは感心しねぇな』
「アンタに話さなきゃいけねぇ理由を思いつかなかったからな」
『俺はお前の親だぞ』
「ハッ、俺に何も言わずにいきなりお前の母親だとか言って女連れてくる奴がよく言う」

 確かにクロスには引っ越しをすることについては何も言っていなかった。ティキはめったにクロスと顔を合せなかったし、ユウが言っていると思っていたのだ。

「今日引っ越した。これでいいかよ」
『あぁ?』
 相変わらず不機嫌そうな声が聞こえてきたので、ティキもイライラしてきたが、この男相手に腹を立てるのは馬鹿げたことだと理解しているので冷静に声を出す。
「アンタにとってはいいことだろ。俺は邪魔者だったんだろ?」
『何がだ』
「何が、じゃねぇよ。アンタらしくもなく嫉妬してたクセに」
『ああ、そのことか。確かに邪魔だったな』

 まるで言われてみて気づいたとでも言わんばかりの言葉に舌打ちするが、クロスは特に気にすることもなく話を続ける。

『邪魔には違いないが、出張から帰ってきてみりゃユウ一人。寂しそうな顔してソファに座ってりゃ驚くだろうが』
「で、電話してきたってか?まさか、帰って来いとでも?」
『いいや?』
「じゃあ、何で電話してきたんだよ。俺はまだ片づけが終わってねぇんだ。用がないなら切るぞ」
『逃げるわけか』
「……は?」
『テメェの欲から逃げるってわけだ』

 挑発と取れる言葉に電話を切るかと考えるが、今のタイミングで切ればそれはそれで悔しさが残る。

『まあ、仕方ねぇな。俺のガキだったら』
「……」

 何も言い返せない。恐らくはティキのユウへの気持ちのことを言っているのだが、どんな言葉を返せばいいのかわからない。

『ユウには月に一度は帰るって言ったらしいな。その言葉はちゃんと守れ。いいな』

 返事をする前に電話は切れた。ティキは暫く携帯を耳に当てたままでいたが、はっとすると携帯をソファに置いて片づけの作業を再開した。

「……アイツ、」

 片づけをしながらクロスの言おうとしていたことを考えていると、一つだけティキの頭の中に思い浮かぶものがあった。

「いや、ねぇな」

 だが、そんなはずはないと首を横に振って片づけを続けた。









『もしもし』
「今、平気か?」
『はい。片づけ、終わりましたか?』
「いや、とりあえず必要なもんだけ」

 夜、夕食を終えたティキはユウの携帯に電話をかけた。
 ユウは携帯電話を大抵の場合は私室に置きっぱなしにしているようなので、家にかけた方が良かったかとも思ったが、十五秒ほどでユウが出た。

「クロスはどうした?昼間、いたんだろ?」
『はい。ティキさんが出て行った後に出張から帰ってきて、今は出かけてますよ。少し前に仕事関係の人から電話があって』
「そっか」
『……あの、夕食食べましたか?』

 心配げな声にそういえばユウにそういうものはいらないと言ったことを思い出す。

「ああ。発泡スチロールに入ってたやつ食べた」
『すみません、いらないって言われてたのに』
「いや、何だかんだで助かった。買い物行く時間なかったし。近くに食いに行くのも面倒だったから。ありがとな」
『ティキさんが料理できるのは知ってますけど、手伝いもろくにできなかったので、』

 礼を言われて安心したのか、ユウの声色が明るくなる。
「それにしても結構な量作ったんだな」
『…多すぎましたか?』
「当分料理しなくていいから楽だ」
『誰かに食べさせる料理を作る機会も減りますから。ちょっと気合い入れました』

 確かに、出張などほとんどないティキに比べてクロスは出張ばかり。ユウが一人で食事をする機会が多くなるだろう。

「一人でいるのは不安か?」
『…まあ、そうですね。けど、そのうち慣れると思います』
「……」
『ティキさん?どうかしましたか?』
「ん?ああ、いや……そういえば、昼間にクロスから電話があった」
『何て?』
「月に一度帰るっていう約束は守れってさ。あと、何も言わずに出てったことについて言われたな」
『へぇ……』

 ユウもクロスがそのようなことを言うとは思っていなかったのか、驚いたような、信じがたいと言うような声を出す。

「ま、月に一度は飯食いに帰るから。その時は宜しく」
『待ってます』

 電話の向こうでドアの開く音がして、「お帰りなさい」というユウの声が少し離れて聞こえる。恐らく、電話を離したのだろう。

『もしもし』
「クロス、帰ってきたのか?」
『はい』
「じゃ、そろそろ切るわ。お休み」
『あ、はい。お休みなさい』

 通話を終えると、ティキはベッドサイドに置いた小さなテーブルに携帯を置いてクロスに言われたことを思いかえした。

「アイツと俺は違う。人のモノ奪うようなことしねぇ」

 物心ついた時から、仕事能力以外は尊敬できない人間だと思っていた。父親としても、男としても最低の人間だ。自分はあのような人間にはならないとも思っていた。
 昼間のクロスの発言は「俺の子供なら他人のものを奪おうとしても当たり前だ」という意味にもとれる。一度その考えを否定はしたが、ティキがハイスクールに通っていた頃に同居していた女の恋人が乗り込んできたことを考えるとあながち間違っていない気もするのだ。

「そんなことするか」