「何かあったか?」
「え、いいえ…」 腕組みをしてこちらを見てくるクロスと目を合わせないようにして、ユウは皿洗いを続けた。 久しぶりに帰ってきたクロスと食事を終え―ティキは珍しく残業だった―皿洗いをしていると、普段はリビングで寛いでいるクロスが突然キッチンへやって来てユウにクロスの出張中に何かあったのかと尋ねてきた。 「どうしてそんなこと聞くんですか?」 「…何、少し気になっただけだ」 クロスの言っていることが分からないと、言っていることに心当たりのないフリをして話しを続けたが、クロスは確実に怪しんでいるようだ。 「…そう言えば、風邪を引いて」 「風邪?」 「はい。それで、ティキさんに看病をして貰いました」 「体を見られは?」 「してないです。家事を代わってもらっただけで、」 「それならいい」 納得したわけではないのだろうが、クロスがキッチンから出て行った。 クロスの足音が遠のいたのを確認して溜息を吐く。 「そんなにわかりやすい顔してるのかよ、俺は」 普段クロスが帰ってきた通りの接し方をしていたのに、クロスにはユウの僅かな変化を見破られてしまった。 お湯を止め、洗ったばかりの皿を拭きながら、クロスが出張していた間のことを思い返す。 全ての原因は、ティキの告白にあった。 無理矢理な、半ば脅迫とも言える告白はなかったことになり、反省したティキの希望通り、お互い今までどおりの接し方をするということで落ち着いたのだが……。 告白されたことで、妙にティキを意識するようになってしまったのだ。 普段の接し方をと思いつつも、ティキの動作一つ一つが気になって、ついつい目をやってしまう。だが、ティキと目が合うと何だか恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。 男子として情けないことだが、同性とはいえ告白されたのはこれが初めだった。クロスは論外だ。会って十分も経たないうちに両親に「息子さんを頂きに来ました」などと言うものは告白ではない。 「もう少ししたらティキさんが帰ってくるんだ」 クロスの前でティキのことを意識していたら、確実にクロスはユウがティキを意識していることに気づくだろう。そうなれば、ティキにユウの性別が知られていることにも気付かれる可能性がある。それだけは避けたい。 「ただいま」 皿を片付け終え、しっかりしなければと少し濡れた手で頬を叩くと、タイミングを見計らったかのようにティキが帰ってきた。 「おかえりなさい、お疲れ様です」 「残り物かなんかあるか?帰りに飯食い損ねた」 「そうなんですか?準備するので、着替えて来てください」 「悪い」 あまりキッチンから動くことなくティキに声をかけ、ティキの後姿を見て大丈夫そうだと胸を撫で下ろす。 遠くでクロスとティキの声が聞こえたが、ユウは残り物だけでなく、簡単に食べられるものでもと冷蔵庫を開けた。 「帰ったか」 クロスに声をかけられ、ティキは素通りする予定だったリビングで足を止めた。 「アンタこそ。本当は明後日帰ってくる予定だったのが珍しいことで」 悠々と本を呼んでいるクロスにどうして早く帰ってきたのかと尋ねる。クロスは予定より早く仕事が終わっても、余った時間を豪遊に費やする為に早く帰ってくるということはない。それが、今回はどういう訳か、朝になって「今日帰る」と連絡してきたのだ。 「ふん、虫の知らせと言うやつだ」 「はぁ?」 「お前がユウに良くないことをする気がしたからな」 「……ハッ、馬鹿馬鹿しい」 何を言うかと思えば。良くないことをしそうにはなったが、全てなかったことになった。 さっさと着替えてこようと足を一歩前へ動かしたティキだったが、再びクロスに話しかけられて面倒だと思いながらももう一度クロスを見る。 「風邪引いたユウを看病したそうじゃないか」 「それがどうした」 「今までの母親にはしたことなかっただろ」 見透かすようなクロスの目に苛立ちながらも、ティキは真っ直ぐにクロスの目を見て答えた。 「ユウは、今までの母親と違って母親らしいことをしてくれる。風邪引いた時は息子なら看病くらいするだろ」 「どうだかな」 「どうだかなって、どういうことだよ」 「自分で考えろ」 「…チッ」 自分から話しかけておいて、肝心の答えははぐらかすのかと苛立ちを感じたが、これ以上クロスの戯言に付き合っているのも嫌だと部屋に入った。 「怪しまれるようなことにはなってねぇよ」 部屋に入り、鞄を置いてぽつりと呟く。 クロスはティキがユウに手を出すことを危惧しているようだが、ティキは自らそのチャンスを捨ててしまったのだ。 忘れてくれなど言わず、ティキがユウを好いていることだけは心のどこかに留めておいてほしいと言っておくべきだったと今更ながら思う。 少し目を逸らされるようになったか?とは思うが、あんなおかしなことを言われれば、忘れてくれとは言われてもほんの僅かでも嫌悪感が残るのは当然だ。それ以外には普通の態度を取ってくれるのだからありがたいと思わなければならない。 「ティキさん」 コンコン、とドアが叩かれ、ティキが声をかけるとユウが顔を覗かせた。 「夕食の準備出来ました。あの、すぐ食べられますか?シャワーするようだったら、まだ盛らないでおきますけど」 「食う。悪いな、わざわざ」 「いいえ」 部屋から出て、ユウと一緒にキッチンへ向かう。途中、クロスが二人一緒にいるのを見て眉間に皺を寄せたが、ティキは気づかないフリをした。 「あれ、もしかして作ってくれた?」 「一品だけです。あとは全部、夕食の残り物で、」 「全部残り物でいいのに」 「すぐに出来るものだったので」 ユウが更に持ってくれたものをダイニングへ運び、椅子に座って大人しく食べる。ユウもティキの正面に座り、ティキが食事を終わらせるのを待っているようだったが、ティキはリビングに行くようユウに声をかけた。 「でも、」 「片付けは俺がやっておく。久々に旦那が帰ってきたんだ、旦那の方に行ってやれよ」 「…じゃあ、お願いします」 旦那、と言われてユウは少し微妙な顔をしたが―当然だ。ユウも男なのだから、旦那、妻という言い方は不自然に感じるだろう―ティキの意見を受け入れてリビングへ行ってしまった。 自分で言っておきながら、少し寂しいと感じてしまったが、クロスに目を付けられるよりは良い。ティキが目を付けられるだけならばいいが、それがユウにまで及んでしまったら、ユウがここで生活しにくくなるだろう。 「…家出ることも考えるか」 理由はわからないが、クロスがやけにティキとユウの関係を気にするようになってきたようだ。元々、自分の女に対する独占欲は強い男なので、ティキのユウへの感情の変化に気づいたのかもしれない。今までの母親への態度とユウへの態度が違いすぎることも、クロスが危惧している原因の一つではあるだろうが、きっと、クロスはティキがユウを好いていることに気づき、確信を持っている。だからこそ、クロスは予定を早めて今日帰ってきたのだ。 (けど、コレで出張の回数が減ったら笑いもんだな) 今まで、多くの女と付き合い、ティキを苛立たせてきた男が、今度はティキの行動に苛立ち焦っているということになるのだから。 もっとも、苛立ち、焦ったとしても、それを仕事に影響させるほど表に出させる男ではないのだが。だからこそ、今回の出張も、仕事だけはしっかり終わらせて帰ってきた。 「ゴチソーサマ」 食べ終わり、空になった食器を重ねてキッチンへ行くと、ティキは遠くで聞こえる夫婦の会話に耳を傾けながら皿洗いを始めた。 |