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「大分良くなったみたいだな」

翌朝、ユウの熱は微熱程度まで下がっていた。まだ少し体はだるいが、昨日ほどの苦しさはない。ティキが作ってくれた朝食―今日は雑炊だった。わざわざ作り方を調べて作ってくれたらしい―も全て食べることができた。
体温計を見たティキがほっと息を吐き、ユウをベッドに寝かせる。

「今日は会社行ってくる。家事はしなくていいから休んでろ。昼飯は冷蔵庫に入れておいたから、食べれそうだったらレンジで温めて食えよ」
「…ありがとうございます」

ティキが優しく笑い、空になった器をもって部屋から出ていく。
暫くすると遠くで玄関の扉が開き、そして閉じられた音がした。ティキが出かけたようだ。

「………」

一人になると、ユウはゆっくりとベッドから出て部屋を出た。昨日一日部屋から出なかっただけだというのに、とても新鮮に感じられる。

「…奇麗だ」

何かやることはないかと家中を見てみたが、どこも奇麗に掃除されていてユウのやることはなさそうだ。昨日ユウが「明日やらないと」と思っていた洗濯もきちんと干されていたし、ティキが使ったばかりであろうキッチンも、洗い終えた皿がディッシュラックにあるだけでこれと言って片付けをする必要もない。

「あの人、俺がやらなければ自分で家事出来るんだな…」

以前、ティキが「俺の知ってる母親は全部ホームヘルパーにさせるような奴」と言っていたので、ティキもホームヘルパーに任せていたのだろうと思っていたのだが、そう言う訳でもないらしい。

「…寝るか」

まだ完全に具合が良くなったわけでもないし、やることもない。部屋に戻ったユウは小さく欠伸をしてベッドに入った。









「よ、ティキ。お袋さんの体調大丈夫か?」
「は?」

昼食時、ティキがいつものように馴染みの店―ユウを連れていった店だ―へ行くと、店長のリーバーが声をかけてきた。

「お前がこの間連れてきた人、風邪引いたんだろ?」
「何でお前が知ってんだよ」
「お前の同僚が話してくれたよ。お前が休んで看病してるって」
「ったく…昨日一日寝かせたら大分良くなった」
「ま、そうじゃなきゃ会社に出てこないよな」

苦笑いしたリーバーがサンドウィッチの材料を取り出しててきぱきといつものサンドウィッチを作っていく。リーバーはティキが同じ材料のサンドウィッチしか頼まないのを理解しており、いつの頃からかは忘れたがティキが何も言わなくても同じサンドウィッチを作ってくれるようになった。そして、同じ中身のサンドウィッチでもティキがそろそろこの味に飽きてきたという時に少しソースを変えて工夫をしてくれるので、飽きも来ない。

「しかし珍しいな、お前が看病なんて。今まで看病で会社休んだことなんてなかったんだろ?」
「それも同僚に聞いたのか?」
「ああ」
「…確かに、今までそんな理由で会社休んだことなかったな」
「あんな美人な母親なら、世話したくもなるか。しかも、年下なんだろ?」
「二十歳越えてない」
「そんなに若いのか?!日本人は年いってても若く見えるから、顔はあれでも二十前半くらいだと思ってたな…」

確かに日本人は若く見えると聞いたことはある。

「クロスの年齢考えたらヒデェ話だよな。親と子だ」
「確かに。ティキ、お前ってあの人がいくつの時の子供だったっけ?」
「忘れた。二十くらいじゃねぇ?」
「で、お前が今?」
「二十六」

計算したらしいリーバーがぽかんと口を開け、だがすぐに苦笑いして「あの人なら」と頷いた。リーバーはクロスをティキから聞いた話だけで判断しているわけではない。実際に知っているからこその頷きだ。
リーバーがよく研究の手伝いをしているマッドサイエンティストがクロスの知り合いなのだ。クロスはよくそのマッドサイエンティストの家にやって来て何やら話をしているので、手伝いをするリーバーもクロスと顔を合わせる。そして、二人の会話を聞いてとんでもない男だと思ったわけだ。ちなみに、ティキもリーバーと同様の理由でそのマッドサイエンティストを知っている。

「しかし、そう思うと、お前はあの人の子にしちゃ彼女も作らねぇし、おかしいよな」
「うるせぇ。ガキの頃から女の嫌な部分ばかり見てたらそうなるんだよ」
「そういうものか?」
「つーか、女いないのはお前も一緒だろうが。同い年だろうが」

リーバーの浮いた話を一度も聞いたことがない。そのことを指摘してやると、リーバーは肩を竦めた。

「はは、やることがいっぱいあってな。彼女作る暇もない」
「そういや、あのマッドサイエンティスト、妹居るんだろ?それなら――」
「馬鹿言うな、殺される」

完成したサンドウィッチがカウンターに置かれ、ティキは椅子に座ることなくその場でサンドウィッチを食べ始めた。どうせ他に客はいない。

「コーヒーは?」
「貰う」
「濃くていいんだよな?」
「ああ」
「今日は早めに帰ったりするのか?」
「そうしねぇと夕飯作ってそうだからな。完全に良くなるまでは面倒見るつもりだ」
「へぇー……それじゃ、良くなったらまた連れて来てくれよ。今度は、自慢のベーグルサンドを食ってもらうかな」
「はっ、誰が食わせるか。あんな不味いもん」
「おい!」









「おかえりなさい」
「……まだ寝てていいのに」
「もう大分良くなりましたから」

夜ティキが家に帰ると、早めに帰ってきたにもかかわらずユウがキッチンに立って料理を作っていた。

「今日、早いんですね」
「夕飯作る気でいたからな。…着替えてくる」

休んでいろと言いたかったが、ユウの顔色は明らかに良くなっていたので最後までユウに任せようと決めてキッチンを出る。

「はい。もう少しかかるので、ゆっくりしていてください」

ユウの声に片手を上げて応え、部屋に入る。部屋着に着替えてリビングへ行くと、テレビを付けてソファに座った。ザッピングして粗方の番組を確認するが、面白そうなものはやっていない。

「こんなことならもう少し遅く帰ってくりゃ良かったか、」

夕食を作る気で仕事を残して帰って来てしまったが、これならば仕事を終わらせてもよかったのではと思う。

「…ハァ、」

帰ってきたティキを迎えたユウの反応は普通だった。普段通りのユウと言うべきだろうか?
ティキが思いを告げたことがなかったかのようにいつも通りの反応をしている。
確かに忘れてくれとは言ったが、ここまで何事もなかったかのような態度を取られると複雑だ。

(…これで、元通りか)

ティキの告白はなかったことになり、ユウとの関係は親子のまま。

「ティキさん、出来た料理運んでもらって良いですか?」
「ああ」

手伝ってほしいと呼びに来たユウに答え、立ち上がってキッチンへ向かう。

「今日はシチューか」
「はい。ボルシチを作ってみました。初めてなので味の保証はできませんけど」
「ユウの作ったもんなら美味いだろ」
「ありがとうございます」

ユウが少し恥ずかしそうに笑い、ティキもそれを見て表情を緩める。すると、ユウがぱっとティキから顔を逸らしてシチュー用の深皿を手に取った。

「じゃあ、お願いします」

トレーに二人分の皿が載せられ、ユウが顔を俯かせたままそれをティキに渡す。

「どうした?体調悪いか?」
「大丈夫です。お願いします」
「…良いけど」

いきなりぎこちなくなった―気がする―ユウの態度を気にしつつ料理を運ぶと、次いでユウがカツレツを運んできた。

「今日はロシア料理なんだな」
「ウクライナです」
「…どっちでもいいけどさ。てか、病み上がりなのにこんなの食って平気か?」
「大丈夫だと思います。家にいた時はそんなものでしたから」
「ふーん」

その後、ライスが運ばれてきて食事が始まると、ティキはその料理の美味さに頬を緩め、ユウを褒めたのだが、ユウは照れくさそうに笑った後すぐに俯いてしまった。