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「……え?」

ティキの言ったことが理解できず、ユウは二三度瞬きして改めてティキにそれはどういう意味かと聞いた。

「あの、恋人としてって…?」
「そのままの意味だろ。単語の意味わかんねぇのか?」
「わかりますけど、その、俺は一応貴方の母親で、」
「で?」
「………」

ティキの親で恋人にはなれないと言おうとしたのに、ティキはそれがどうしたと言わんばかりの表情をしており、ユウはそれ以上言葉を続けることができず口を噤む。

「まあ、別に恋人って言っても今までとそこまで変わらねぇよ。一緒に買い物、映画、食事、それにセックスが入るってくらい」
「セッ…!」
「何驚いてんだ。クロスとはシてんだから驚く必要ねぇだろ?」
「だからって、俺と貴方は――」
「親子だって言いたいのか?」

ユウの言いたいことが分かっていたらしく、ティキが呆れたような顔をして聞いてくる。その言葉に何度も肯定するように首を縦に振ると、ティキが溜息を吐いてユウの顎を掴み、無理矢理ティキの方を向かせた。

「血の繋がりもねぇ、“母親”じゃねぇ。そんなお前と俺が、親子?」
「っ、」

ティキの言葉についカッとなってしまい、ユウは思い切り自分の顎を掴むティキの手を振りほどいた。ソファから立ち上がり、ティキを見下ろすような形で声を張り上げる。

「俺が三カ月どれだけ必死で女のフリして、アンタの母親になろうとしたと思ってんだよ!俺が……」

きょとんとするティキの表情を見て、ユウは今自分が丁寧な言葉遣いを忘れていたことに気付いた。砕けた言葉遣いはティキと会話をしているうちに聞いて何となく身に付いていたのだが、母親と言う立場上そんな言葉遣いをしては駄目だと今までは意識して教科書通りの言葉で喋っていた。意識しなければならなかったのは、それほどに砕けた言葉遣いが日常にあふれていた為だ。ティキだけでない。買い物に行っても聞こえてくるのは教科書には載ることのないラフな会話だった。
しかし、今はその言葉遣いをしていい時ではない。何せ、今ユウは圧倒的不利な状況にあり、ティキに口答えできる立場ではなかったからだ。

「…すみません」

小さな声で謝ってそのまま部屋に戻ろうとすると、後ろからクロスが帰ってくるまで答えは待つと言う言葉がユウを追いかけてきた。
それに答えることなく部屋に入ると、ユウは何とも言えない惨めな気持ちでベッドに座り込んだ。自室はリビングと違ってひんやりとしていたが、頭を冷やして落ち着いて考えるには丁度いい。

「俺、三か月も何やってたんだよ…」

男と知られたことは勿論ショックだったが、ユウにとってそれよりもティキのその後の態度の方が辛かった。
三ヶ月間、ユウはティキの母親として炊事、洗濯、掃除と頑張ってやってきたというのに、ユウが男だと知った途端にティキは無茶苦茶な要求を突き付けてきた。つまり、ユウはティキにとって家事をしてくれる都合のいい存在にすぎず、母親や家族にはなれなかったということだ。家政婦程度に思っていたのかもしれない。

「…これからどうしたらいいんだよ」









次の日、ユウは具合の悪さと共に目を覚ました。視界がぼんやりとしていてよく見えない。時計を見ようとして上体を起こし、手に取った時計を見るととっくにティキの出勤する時間を過ぎていた。

「ヤベェ…」

今はティキを怒らせるような行動をすべきではないと言うのに、さっそく寝坊して朝食を作らなかった。己の失態に何も言えず、頭を抱える。
ティキはクロスが帰ってくるまで待つと言っていたが、この調子では心象の悪さでユウの答えに関係なくクロスにユウが男だと知ったことを言われてしまいそうだ。

「何だ、起きたのか」

どうせティキは出かけてしまったのだし、もう一度寝てしまおうかと時計を置くと、ほぼ同時にティキが入ってきた。手には深めの器と水の入ったグラス、薬が乗った盆を持っている。その表情には安堵と、そして何やら緊張のようなものを感じた。

「……会社、」

色々と言いたいことはあったが、まず会社に行っているはずのティキが何故ここにいるのかと眉を顰める。

「会社は休んだ。俺が家のことやるから、ユウは休んでろ」
「…俺、」
「夜ここに来たら、布団かけねぇで寝てたんだよ。暖房もついてなかったし、布団かけたけど朝様子見にきたら熱出てた」
「………」
「どうした?」
「…酒飲んだわけじゃないのに覚えがなくて」

どこか抜けた答えに聞こえたのか、ティキが苦笑いして時計の隣に盆を置く。昨日は二日酔いの薬が置かれていた場所だ。そして、ティキは背もたれの付いた椅子をベッドのすぐ傍に置くと、そこに座って器を手に取った。

「とりあえず飯食った方がいい。薬飲んだ方が楽になる。自分で食える?」
「はい、」

ティキが器を差し出してきたので両手で受け取ると、続いてスプーンを渡された。器の中にはリゾットが入っていた。一口食べてみれば味は美味しく、だがユウの胃を気遣ってか薄味で柔らかめに作られているようだ。
ユウが大人しく食事をしていると、それを見ていたティキが背もたれに寄りかかって安心したような息を吐く。

「飯食えるなら何とかなるな。食えねぇくらい体調悪かったらどうしようかと思った」

俺の所為だからと呟かれた言葉に食事の手を休め、ティキを見る。

「…俺の所為?」
「昨日あんなこと言っちまったからな。動揺してなかったらちゃんと暖房点けたし、布団にも入ってただろ?」

言われてみればそうなのだが。だが、はいそうですとティキが原因であることを肯定するわけにもいかず、フォローしようと口を開く。

「でも、暖房点けなかったのは俺だし、布団の上で寝てたのも俺です」
「………」

ティキは複雑そうな顔をしたが、とりあえずフォローはした。
ユウが食事をしている間、ティキは何も言わずにユウの食事を見守っていたが、ユウが食事を終えて器を返すと、薬の瓶の蓋を開けながら口を開いた。

「悪かったな、昨日」
「…何がですか」
「恋人云々ってやつ。その後俺が言ったこと全部」
「………」

ユウが黙ると、ティキは気まずくなったのかユウから目を逸らし、三錠薬を取り出して水と一緒にユウに渡してきた。

「…親子じゃねぇって、思ってたわけじゃねぇんだよ」
「…じゃあ、何であんなこと言ったんですか」
「ユウが男だってわかっちまったから」
「…意味がわからないです」

親子のように思っていてくれたのに、ユウが男だとわかった途端その気持ちが消えて、非難ならばわかるが恋人になるようにという言葉が出てくるのだからわからない。
ユウが言葉の意味を説明してほしいと言うと、ティキは恥ずかしそうに―恐らくは、昨日の自分の言動を思い出しているのだろう―頭を抱えたが、理由を話してくれた。

「俺さ、ユウを見て初めて恋愛ってのを考えたんだよ」
「初めて?」

二十六にもなって初めてなはずがないと言おうとすると、ティキはユウが言葉を続ける前にとりあえず聞いてほしいとユウの口を閉ざさせた。

「今までクロスが家に連れてきた女共が嫌な女ばかりでさ。多分、家族ってのを考えたのも久々だ」
「嫌な女…?」
「家の事は家政婦やら料理人やらに任せきりで、自分はクロスの金で買い物ばっか。ユウの前に家にいた女は、クロスと別れた時に今度は俺に声かけてくるような奴だった」

別れた後に声をかけてくるのならばまだいいではないか。ティキは昨日、現在クロスの恋人であるユウに声をかけたのだ。しかも、弱みを握ってユウが断れないような状況にして。
ユウの言いたいことに気付いたティキが改めて昨日の自身の行いを謝って話を続ける。

「前、ユウがクロスの女じゃなかったらって言ったの覚えてるか?」
「…はい。キーホルダーの時に」
「要するにさ、そんな女ばかり引っ掛けてたクロスにユウみたいな良い女が引っかかったのが納得いかなくて、で、クロスが羨ましかった」
「…それで何で俺が男だと恋人になるんですか」

普段ならばここまで話してもらえればある程度は自分で考えて答えに辿りついたのだろうが、熱があり、更には薬を飲んだ頭では考えるのも面倒だった。

「今でも、一緒に出かけたりして恋人らしいことはしてたけど、結局は親子だろ。けど、ユウが男だった。男ならセックスしようが子供ができる心配がねぇから絶対にバレない。女だと避妊してもできる場合があるからな」
「…えっと?」

「ユウともっと深い関係になりたかった。今までユウが俺に親としてやって来てくれたことを軽んじるつもりはねぇ。感謝してる。……ユウに選択肢がない方法で話をするべきじゃなかった」

頭を抱えているティキの表情はユウからは見えない。
ユウが顔を覗き込もうとすると、その前にティキが顔を上げて―話してすっきりしたのか、ティキの表情は昨日の会話をする前のように優しい―ユウからグラスを受け取り、ユウを横にさせてしっかりと布団をかけると盆を持って椅子から立ち上がった。

「昨日のは出来れば忘れてくれ。最初から、ユウの答えがどうだろうとクロスには言うつもりなかったんだ。また“親子”として付き合ってくれよ。今回のことで懲りたかもしれねぇけど、酒もさ、また一緒に飲もうぜ」
「…ティキさん、」
「おやすみ」

暫く閉じられた扉を見ていたが、徐々に薬の作用で眠気がユウを襲い。眠気に誘われるままにユウは瞼を閉じた。