「……う、」
カーテンの隙間から射し込んで来る日に気付いて目を開ける。一瞬、寝坊してしまったという焦りが生じたが、デジタル時計の日付を見て今日ティキは休みだったことを思い出してほっと息を吐く。休日はティキも仕事疲れで遅くまで寝ているのでこれ位の寝坊なら―デジタル時計の表示は八時。いつもより二時間遅い―問題ない。 寒さからまだ温かい布団に入っていたいと抵抗する体を心の中で叱咤してベッドから起き上がり、着替えをする為にクロゼットを開け、パジャマを脱いだところでユウは何かがおかしいことに気付いた。 「…俺、いつパジャマ着たんだ?」 朝の習慣で自然にパジャマを脱いでしまったが、昨晩パジャマに着替えた記憶が無い。通常ならば夜風呂に入った時に着替えるのだが、いつ風呂に入ったかも思い出せない。 下着も変わっているので風呂に入らなかったということはないはず…と辺りを見回したところで、ユウはデジタル時計の隣にミネラルウォーターのペットボトルと錠剤の瓶が置かれているのを見つけた。時計にばかり意識を集中させていたので起きたばかりの頭では気付かなかったようだ。 「…これ、」 錠剤の瓶の下にはメモが置かれており『二日酔いで頭が痛かったらどうぞ』とティキの文字で書かれていた。 「二日酔い?」 酔い潰れて帰ってきたクロスに気を利かせたのかと見当違いなことを考えるユウだったが、すぐにクロスの出張スケジュールを思い出して帰ってくるわけがないと思いなおす。第一、帰ってきたのなら眠っているユウを起こすだろう。 「そう言えば昨日、ティキさんに付きあって酒飲んだな……」 クロスの為でないのならば―まあ、普段の言動から考えればクロスが家にいるときでもティキはこんな気遣いをしないと思うが―自分の為かと首を傾げ、よくよく考えると昨晩ティキの晩酌に付きあって生まれて初めて酒を飲んだことを思い出した。 特に頭が痛いわけでもないのでミネラルウォーターだけ飲み、錠剤は後で返そうと着替えに戻る。クロゼットから適当な服を引っ張り出して細身のジーンズに足を通し、冷えてしまった上半身を厚手の洋服で隠す。 今日の朝食は何を作ろうかと考えながら長い髪を纏めて寝室から出ると、ユウの鼻を焼けたベーコンの匂いが掠めた。 まさかと慌ててキッチンへ行くと、ティキがコンロの前に立ってベーコンを焼いているところだった。カウンターには二人分のサラダに目玉焼き、パンの入ったバスケットが置かれており、起きないユウの代わりにティキが朝食を作ってくれていたのだと申し訳なく思う。 「よ、おはよう」 「おはようございます、すみません準備してもらって、」 「…いや、別にいいけど。二日酔いにはなってないみたいだな」 一瞬ティキが不思議そうに首を傾げたが、ユウが不思議に思う間もなくティキが焼けたベーコンを皿に移し、ユウにテーブルまで運んでほしいと頼んできた。 快く頷いて皿を運ぶユウの後ろで、ティキが困ったように頭を掻いたが、ユウはそれに気付かなかった。 いつ話を切り出したものか。 ティキは朝食を食べながら、恐ろしいまでにいつも通りの反応をするユウを見て困り果てていた。 昨日、ユウが男であることを知り、今日朝食を作りながら慌てるユウを宥めてじっくり話を聞いてやろうと思っていたのだが、キッチンへやってきたユウは酒を飲んだこは覚えているもののティキと話した記憶がいくらか抜けているらしく、ティキに着替えさせてもらったことを忘れているらしい。忘れていると言うよりも、ユウ自身が酔っ払っても日課として風呂に入り着替えたのだと結論付けてしまったようだ。 クロスとセックスはしているようなので、クロスを騙そうとして性別を偽っているわけではない。ゲイのカップルであることを誤魔化す為かとも思ったが、それはそれで納得がいかない。同性愛者に寛容なこの国では日中から手を繋いで歩く同性のカップルが当たり前のようにいる。 「あの、どうかしましたか?」 「あ?ああ、いや、何でもねぇ」 「昼食は軽めのものを作りますね」 「頼む」 正直、ここまで自然に接されてしまうと、昨日見たものは嘘だったのではないかと思ってしまう。ティキ自身も度数の高い酒を飲んだので、無自覚に酔っていて幻を見た可能性もある。普段あの程度で酔うことはないので考えにくくはあるが。 だが、朝起きて顔を洗った時、昨日洗濯機に投げ込んだ詰め物がたくさん入ったユウの下着はそのまま洗濯機に入っていたし、現実のはずなのだ。確かに、ユウには胸が無く、股間にはティキと同じものが付いていた。 「……飯食い終わったらちょっと聞きたいことあるんだけどいいか?」 「…?はい」 元々、知ってしまったことの真実を知らずに胸の奥底にしまいこむ性格はしておらず、散々迷った挙句ティキは直接聞いてしまえと結論付けた。これから暫くぎくしゃくするかもしれないが、気まずさを抱えて生活して行くよりはマシだ。 ユウはティキの聞きたいことを本当に理解していないようで不思議そうな顔をしている。 朝食の間に全部思い出してくれるのではと淡い期待を抱いているティキだったが、全ての皿が空になってもユウのティキに対する反応は変わらず、片付けまで手伝ってくれた。 「……さて、」 皿を片づけ、話も長くなるだろうと飲み物を用意してリビングへ行く。先ずティキがソファに座り、ユウが少し間を開けて同じソファに座り、ティキを見る。 「聞きたいことって?」 「……あー……単刀直入に聞くけどさ、何でそんな恰好してんの?」 「……え?」 「もっとわかりやすく言った方がいいか?何で女のフリしてんの?」 「………」 ユウがティキの質問にぽかんとする。その後、口元が引き攣ってリビングから逃げようとしたようだったが、立ち上がったユウの手を素早く掴んでソファに座り直させた。 「黙ってようとも思ったんだけどさ、これから長い付き合いになるだろ?はっきりさせといたほうがいいと思ってさ」 「…い、いつ、気付いて、」 「昨日。覚えてねぇみたいだけど、酔い潰れる直前にユウ、酒溢して洋服濡らしただろ」 「…全然記憶が、」 「俺が着替えろっつったのに寝ようとしてさ、俺が着替えさせるぞって言ったら「どうぞ」って言ったよな?」 「………」 ティキがこれだけ言ってもユウは昨日のことを思い出せないらしく、しかし、混乱しながらもユウの顔は青くなっていく。 「その時に、女物の下着はおかしいことになってるし、それ以前にユウの体に俺と同じモノ付いてるしで……ま、そこまで驚きはしなかったけど」 「…あ、あの、それ、クロスさんには」 「言ってねぇよ。昨日の今日で言うワケないだろ。大体、俺がクロスに電話してまで言うと思うか?つか、何でクロスに言ったら駄目なんだ?アイツ知ってんだろ?」 ティキに手を掴まれ逃げることもできず、顔を青くしたユウが渋々理由を話し始める。 「…クロスさんに、ティキさんには男だと知られるなと言われていて、」 「は?俺に?」 「多分、母親が男なのは…っていう配慮だと思うんですけど、」 「………」 そんなことを気にする男ではないはずだと言いたいが、ユウがまだ何か言いたそうにしていたので何も言わずにユウの次の言葉を待つ。 「……勝手なのはわかってるんですけど、あの、このことは、クロスさんには言わないでください…何でも言うこと聞くので、俺が男だって知ったことは、」 「何でそこまでアイツの言いつけ守るんだよ」 「…元々は俺の叔父が会社の取り引きの賄賂として俺のことをクロスさんに紹介したらしいんですけど、俺がクロスさんと夫婦として暮らしていると農家をしている両親にも、それなりの金額が行くらしくて、」 「アイツと一緒にいるのは家族の為ってことか」 少し憐みを込めてユウを見ると、ユウは少し慌てたようにティキを見て口を開いた。 「そ、それもありますけど、でも、クロスさん、俺に優しくしてくれますし、ティキさんも……優しいので……そんな、嫌だとは思ってなくて……」 ちらっとティキの顔色を気にしたユウを、ティキはキョトン目で見た。そして、そのどこか怯えた姿を観察し、はっとクロスがユウの性別を偽らせていた理由に気付いた。 「……何でも言うこと聞くって言ったよな?」 「はい」 暮らしているうちに幾度か、ユウがクロスの女でなかったらと思った事はあった。要するに、クロスが気にしていたことはそこだったのだ。 ティキはユウが女だと思っていたからこそ、そして、ユウがクロスのことを好いていると思っていたからこそ、ユウの義理の息子と言う立場に甘んじてやっていた。 それが、男だと、クロスのことを愛しているのではないとわかった今、配慮してやる必要はどこにもない。 「じゃあさ、俺と付き合えよ。恋人として」 |