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「このままでいいのに」

そう言う男をキッとに睨み、ユウは男の胸囲を測っている召使にさっさと終わらせるよう催促の言葉をかけた。

ガラス玉をまだ多数性器に残されたまま、十日が過ぎようとしている。十日間ずっと男の言いなりになっていたユウだったが、こればかりは我慢できないということがあった。男の衣服についてだ。
男は、ユウの部屋に侵入してからというもの、ずっと襤褸切れのような衣服で過ごしていた。寒さを感じる季節ではない為肌を出していても気にならないのかもしれないが、男を奴隷として所有していることになっているユウとしては体裁が悪い。
ユウの国では奴隷を酷く扱うことを良しとしない風習がある。奴隷の身なりは主人の品格と言われ、奴隷の見た目がそのまま主人の評価に繋がってしまう。男はユウと常に行動を共にしているため、城中を歩き回っている。城内で何か言われているだけならまだいいが、これが城の外にまで広まったらユウの評価ばかりか王の評価まで下がってしまう。

理由はそれだけではない。

寒さを感じない季節、言い換えるのならば少し汗ばみ始める季節の為、男の衣服の臭いが気になりだしたのだ。
離れていればまだいいが、近づくと入浴しているにも関わらず汗の臭いやこびりついた血の臭いがする。城で大切に育てられたユウには我慢できるものではなかった。

「終わりました」
「なるべく早く仕上げろ。刺繍は適当でいい」
「は、はい」

逃げるように衣装屋は部屋から出て行き、男がはぁ、と息を吐く。
「食住だけで、衣は要求してねぇんだけど」
「こっちの都合だ。臭い」

ユウの言葉に男は眉を顰めて採寸の為に脱いだ服を掴み、自分の鼻に近づけた。だが、ユウと男では臭いの認識に差がありすぎたのか、男は首を傾げるだけでユウにどういすることはなかった。

「……まあ、城育ちのお姫様にはきついか」
「衣装屋が持ってきた借り着を着ろ。それはもう着るな、処分する」
「わかったわかった」

肩を竦ませた男が襤褸切れを落とし、衣装屋が服が出来上がるまでの間にと置いて行った借り着を手に取る。

「変な服」
「お前が着ていた服のほうが妙だ」

衣装屋が置いて行った借り着は、真ん中でわかれた前身頃を釦で留めるだけのシンプルな上着とゆったりとしたズボンで、この国の男性服としては一般的なものだ。本当ならば上はさらにベストを着、スカーフを身につけ、下のズボンは足首から脛あたりに布を巻いて広がりを押さえるのだが、必ずしもそうでなければいけないという決まりはない。

「あの服は砂嵐から身を守るのにいいんだよ」

ぶつぶつと文句を言いながらも洋服を着終えて壁際に座る男に近づき、中に入ってしまっていた襟を出す。一歩離れて男の姿を見てみると、肌の色はこの国のものではないが、城にいても不思議ではない程見違えて見えた。

「何?」
「……別に、」

男の変わり様に驚いてついつい凝視してしまっていたようだ。男に何かと尋ねられ、ユウは慌てて視線を逸らした。
「この服が羨ましいとか?」
「は?」

突然のことにキョトンとして聞き返すと、男が首を傾げてユウのドレスの裾を掴んだ。

「こんなヒラヒラしたもん着させられてるから、こういう服が羨ましいんだと思ったんだけど?」
「………」

わざと意識していなかったのに指摘され、ユウは眉間に皺を作って男の服を見た。

「衣装屋に一緒に頼めば良かったのに。王女様の服」
「俺の注文は全部王が見てる。騙せねぇよ」
「ふーん?」

衣装屋に男用の服を用意するよう言ったことはある。だが、何度注文しても、ユウの元に届くのはフリルや豪華な装飾品のついたドレスばかりで、調べてみたらリンクと王によって注文書は監視されていた。今回だって、男のサイズの服より小さいサイズの男性服を頼めば、男の服と、ドレスが届くだろう。

「つーか、ずっと気になってんだけど、何で王女様?男なのに」
「聖女が必要だからだ」
「聖女?」
「この国には、古くから王の第一子が聖女として次の聖女が生まれるまで国の平和を祈らなきゃいけない決まりがある」
「王女様は男だろ」
「今まではずっと、第一子には必ず女が生まれていたんだ」

そこまで聞いて男が「ああ」と頷く。理由がわかったようだ。

「代々それが続いてたら、第一子が男なんて言えねぇよな。不吉だし」
「俺が男だと知ってるのは、王と俺の世話人と専属の衣装屋だけだ。他にも知っているやつはいるのかもしれないが、俺は知らない」

部屋の外で剣の稽古をしていることを考えるとまだまだユウの本当の性別を知っている人間はいるのだろうが、世話人のリンクが何とか対応しているだろう。ユウの耳にはまったく入ってこない。

「まあ、女だって言われたら信じちまうような見た目してるもんなぁ」
「っ、やめろ、」

男の手がユウの手を掴み、一気にユウを男の腕の中へと引き寄せる。

「このまま、お前は外の世界も知らないで、この国に飼われて死ぬんだろうな。それで満足なんだろ?お姫様?」

カッとなって男の頬を叩こうとしたが、ユウの手は男を通り抜け宙を切るだけだった。だが、そのおかげで男の腕の拘束が解け、ユウは男から逃れることができた。

「言うだけ言って逃げるのかっ」
「逃げる?目の前にいるのに逃げるってのは、おかしな表現だ」
「お前に何がわかる?!国の重みなどわからないくせに!女のような外見だというなら、俺に殴られてみればいいっ!!妙な力を使って避けて、逃げてるのと一緒だろ!」

国の民のことを思って文句を言いながらも耐えているユウに対し遠慮なく放たれる男の言葉は、ユウを苛立たせるのに十分なものだった。

「国の重みなんてわかんねぇよ。けど、そんなに辛いなら、やめちまえばいいだろ」
「だからっ!」
「王女様が生まれてから何年経ってんだよ?その間、何かあったりしたのか?」

男の胸倉を掴み、今度こそ叩いてやろうと振り上げたユウの手が止まる。

「周りがどう扱おうが、その体が男だってことは変えられない事実だろ。聖“女”じゃねぇ」
「………」

男の正論に言い返す言葉がなく、ただ振り上げていた手を下ろす。確かにその通りだった。ユウが王女ではなく王子だというのは、どうやっても変わらない。聖女らしく振舞うどころか、男物の服を着て剣や武術の稽古をしたりと聖女らしくない行動をとっている。それなのに、国に疫病が流行ったりしたことはない。
周りから女のように扱われ、それが嫌で反抗しているだけだったが、本当に国の栄えを祈る聖女が必要だというのなら何か不吉なことが起こっているはずだ。

「俺は、さっさと国の人間に知らせることを勧めるぜ。いつか王女様が国の政治をやる立場になって、王女様の隣に座る誰かを迎えなきゃいけない時がくる。相手の性別を偽ってやり過ごしてもいいかも知れねぇ。けど、王女様の最初の子供がまた男だったらどうする?自分がやられて辛いと思ったことを子供にやるのか?」
「そう言うわけじゃ、」
「公表して聖女ってのを失くしちまったほうが、楽だと思うけどな。人柱なんて、決めるもんじゃねぇ」

胸倉を掴んだままだったユウの手を解き、男がいつになく優しい声で言う。

「どうして聖女が必要なのか、教えてやろうか?」
「…それは、国の平和を、」
「表向きはそうかもしれねぇ。けど、本当に聖女が必要なのは、国に何かあってからだ」

男が座るように促してきたので、大人しく男の隣に座る。男は少し驚いたように眉を動かし、それを見てユウも男の言う座れとは男の向かいにあるベッドに座れという意味だと気づいたが、ベッドに座りなおすことはしなかった。

「国ってのは、誰かが祈らなくても栄える時は勝手に栄える。だけどな、栄えるだけの国は存在しない。天気に周りの国、色んなものの影響を受けてるだろ?だから、国の豊かさ、平和ってのは、こうやって上がったり下がったりする」

男が波を描くように宙で指を動かし、ユウを見る。それはユウも知っているので口を開くことなくただ頷く。すると、男はニコッと笑って言葉を続けた。

「だけど、今は上がってるところだ、下がってるところだって判断できる奴はあまりいない。大抵は、この波のどこかに横一本線を引いて、この線より上なら国は栄えてる、下なら衰退してると判断するんだ。この横線の位置は、人によって違う。で、聖女が必要になるのは、殆どの人間が今の暮らしは線の下にあるって判断した時」
「…何で必要になるんだ?」
「働いても働いても生活は辛くなる。それどころか家族が何だかわからない病気にかかった。近々戦争があるなんて噂もある。どうしてこんなに苦しい?どうやったら楽になる?……どうしたらいいと思う?」
「それは、王が今の政治を見直して、物や金の流通に手を加えて、」
「病気の特効薬を研究して、険悪な国とはよく話し合って戦争を避ける方法を探す。ま、上の人間はこう考えるだろ。それができれば楽だよな」
「楽も何も、それしかない」

他に何があるのかと尋ねると、男はユウを指差しもう一方の手で己の首を斬る動きをした。

「下の人間は、自分の不満をぶつけられる対象を探すんだよ。国の平和を祈る象徴なんて、いい的だ。聖女の祈りが届いてないんだと嘆くだけならまだいい。聖女に縋る様になったらオシマイ」
「…命と引き換えに、国の平和を祈るのか」
「そう言うこと」

ただ祈るだけではなく、こんなにも国の平和を願っているのだと示さなければいけないのだ。聖女の祈りに対して不安を感じている者を相手に、祈っていますと口で言って信じてもらえるはずがない。

「聖女が死んで国が豊かになればまあ、聖女のお陰だ。豊かにならなくても、聖女の命が神の下に届くまでは少し時間が…とでも言って、暴動までの時間は稼げる」
「………」
「言っとくけど、これはただの聖女の場合だからな。王女様の場合は違う」
「何、」
「最悪の場合、時間稼ぎにもなりゃしねぇ。国は一気に崩壊する」

男はさらっと理由を教えてくれたが、それはユウに周りから聖女として扱われていることの恐怖を教えるには十分だった。

「王女様が男だってことは、国の空気が悪くなれば必ずバレる。そしたら、王女様が男なのに聖女の役目をしているからだと国の人間が怒る。そしたらどうなると思う?最後に待ってるのが死なのは一緒でも、そこにたどり着くまでの過程が変わる。ただの聖女なら、国のために自らの命を神に捧げた、で終わる。王女様の場合は、お前の所為でと散々回りから言われた挙句、死んだことにして実は生かしておくんじゃないかなんて不安の声を受けて公開処刑。王子を聖女にした王も責任が問われる。ほら、国は一気に終わりだ」
「……ハ、随分はっきり言うんだな」
「まあ、極端な例ではあるけどな。信じる信じないは勝手だ。……けど、何かあってから行動しても、もう遅いんだぜ?それを忘れんなよ、王女様」