「おい、聞いたか」
「何をだ?」 「東にある国の聖女の話だよ」 「なんだそりゃ、聞いたことないぞ」 「朝、新聞を買った時に鳥が教えてくれたんだけどよ、何でも十日ほど前に国の流行り病を静める為にその国の王女が生贄になったんだと」 「そんなもんで流行り病が治まりゃ医者はいらねぇよ」 「それが、治っちまったんだ。王女が死んだ日の夜、王女の亡骸があった場所から光が国を包んだかと思うと、あっという間に病気だったもんが健康な体に戻ったそうだぜ」 「はぁー、じゃあ、もしこの国で流行り病がでたら、王女様を生贄にすりゃいいのか」 「そう言う訳でもねぇだろうよ。何でも、その王女様はいつも欠かさず教会へ行って神に祈ってたらしいからな」 仕事のない男達が朝から酒を飲みながら世間話をしている。話題は今朝鳥―この国の情報屋の通称だ―から仕入れたと言う東国の聖女の話だ。 聖女の話をしているのはこの男達だけでなく、街を歩けば聖女や王女という言葉を聞かない程にその国ではまだ情報屋が持ってきて間もない情報が広まっていた。 まあ、一人の信心深い女を生贄に捧げたら国の流行り病が消えたなどと言う話、誰しもが興味を持って当然だろう。流行り病は決して他人事ではなく、いつこの平和な国が流行り病の脅威にさらされるかわからないのだから。 「おう、兄ちゃん!」 と、仲間から話を聞いていた男が突然道を歩く青年に声をかけた。青年は訝しげな表情をしているが、男の呼びかけに対し足を止め、「何か?」と男に用件を尋ねてくる。 「アンタ、最近ずっとここ通ってるな」 「宿からカフェへ行く道で一番近いので」 「宿ってぇと、アンタ旅人かい?」 「そのようなものです」 「じゃあ、東の国の聖女の話、知ってるか?東の国で流行り病が――」 「聖女などいません」 得意気に男が話そうとした途端、青年は顔を不快げに歪めてその場を離れてしまった。 「なんだい、その国のこと知らねぇか聞こうと思ってたのによ」 男の残念そうな呟きは青年の耳に届くことはなかった。 何が聖女だ。 宿泊している部屋に戻ると、リンクはカフェから貰ってきた二人分の食事が入った紙袋をテーブルに置いて窓辺に置かれた椅子に座るユウを見た。 「気分はどうですか」 「………」 リンクの問いかけに対しユウは何も答えず、ぼんやりと外の景色を眺めている。否、目は外へ向けられているが、その目には何も映っていないように感じられる。 ユウが何も答えないことに唇を噛みしめたリンクだったが、すぐに何事もなかったかのように表情を冷静な普段の彼の表情へと戻し、紙袋からパンとスープの入った水筒を二つ出してユウに近づいてその白い手を取る。 「食事を持ってきました。こちらへ」 リンクが軽く手を引っ張ると、ユウは大人しく椅子から立ち上がってテーブルの前まで動く。そして、リンクが椅子を引けばその椅子に静かに座った。 「食べて下さい」 ユウの手がパンに伸び、食事を始める。 その様子を確認すると、リンクは自分もパンに手を伸ばした。 言われればその通りの行動を取るが、自分から動くことはない。今のユウはまるで人形のようだ。 (言われたとおりにしたはず……間違っていないはずなのに、) 何か間違っていたのだろうかと何度思い返しても、リンクにはユウがこのようになってしまった原因がわからなかった。 十二日前、ユウが神に捧げられた日、リンクはユウが死ぬことを認めらず、書庫にある魔術の本を読み漁っていた。神にユウの命を捧げると言うのなら、悪魔の力を使ってでもユウの命を奪い返してやろうと思ったのだ。 神や悪魔とは人々の信仰の対象であり、実際に存在するものではない。日頃はそのように考えているリンクだったが、あの時は何か少しでもユウを助けられる可能性があるものにかけたかった。 しかし、どの書物を見ても火刑にされた人間を蘇らせる方法は見つからず、いよいよユウが城を出て広場へ向かう時間がやって来てしまった。 自分の無力さを呪い、力強く握りしめた拳を壁に叩きつけた時、リンクの背後から声がした。 「愛しい人を助けたいか?」 振り返れば、そこにはリンクが城で見たことのない男が立っていた。否、もしかすると知った顔だったのかもしれないが、それは定かではない。男の肩より上は暗闇で見えなかったのだから。少なくとも声は聞いたことのない声だったので、知らない男だと判断した。 「お前なら、あの王女を助けられる」 書庫の古びた扉が開く音もさせず、リンクにも気付かせずその場に現れた男。本来ならば、リンクは異様以外の何ものでもないその男の正体を明かさせ、警備に報告しなければならなかったが、リンクはそれよりも男の話すことに耳を傾けた。 男は、ユウを助けることができると言ったのだ。 リンクが助けたいと言うと、男は一枚の札を取り出してリンクに渡した。 「王女には術師の呪いがかかっていた。その呪いを解くには、その肉体の全てを灰にし、再生させなければならない。幸いなことに王女は自ら火に焼かれることを望んだ。火に焼かれた体は骨も残らず灰と化すだろう。その灰にその札を乗せ、強く思いを込めて名前を呼べ。そうすれば、お前の望む結果が待っている」 男はそう言うとふと姿を消してしまったが、リンクは男の正体を疑問に思う余裕もなく書庫を出た。書庫を出て広場へ行くと、そこには大勢の民がおり、中心に設けられた祭壇には火に包まれたユウが横たわっていた。 「貴方を助けます。必ず」 ユウとリンクの間には大勢の民がいた。聞こえるはずもないのだが、ユウはそう呟いたリンクに対し、驚きの表情を浮かべ、そして火に飲まれた。 ユウは確かに蘇った。今もこうして食事をし、触れれば温かみを感じる。 しかし……。 (私はこんな王女を望んでいない…!) 男は確かに、リンク望む結果が待っていると言っていた。だが、実際はどうだろうか? リンクの望んでいたのは、我儘で、生意気で、リンクの言うことを全く聞いてくれないユウであり、喋りもせずリンクの言うことに大人しく従うユウの姿をした人形ではない。 幾度かもう少し聞きわけの良い王女であったら…と思ったことはあるが、リンクが好ましいと思っていたのは常に瞳に強い輝きを宿していた王女なのだ。それは間違いない。 「…食べ終わったのでしたら、また窓辺で外の様子でも眺めていてください」 リンクが考え事をしているうちにユウは食べ終えており、リンクがそのことに気付いた頃にはユウはぼんやりと宙を見ていた。 部屋の中で宙を眺められるよりは窓の外を眺めていてくれた方が、結果的に何も見ていないのだとしても、何かを見ているかもしれないという救いがある。 (蘇らせることができたのだから、何か方法があるはずだ) ゆっくりと、だが一人で窓辺の椅子へと移動するユウを見ながら、リンクは水筒を握る手に力を込めた。 まるで夢を見ているようだとユウは思った。 今までユウが生活していた空間とは大違いの小さな部屋で、少し動けば軋む椅子に座り、窓から外の様子を眺める。 体はユウの意思では動かなかったが、ユウはそれで満足していた。 「少し外を見てきます。大人しくしていてください」 リンクがそう言い残して部屋から出ていく。ユウはそれに答えることなくぼんやりと外を見続ける。 うっすらとユウの目に入ってくる景色はユウの見たことがないものばかりで、なかなか楽しい。服もユウの知っているモノとは違うし、聞こえてくる言葉のなまりも、ユウの慣れ親しんだものではない。 「お前は、それで満足か?」 「………」 突然、背後からリンクのものでない声が聞こえ、ユウの体が振り返る。振り返った先にいたのは、ユウの知った顔の男だった。景色はぼやけているのに、男の姿だけははっきりと見える。 「ティキ」 ユウの体が勝手に男の名前を呼ぶ。すると、ティキと呼ばれた男は笑ってユウの頭を撫でる。 「俺をそう呼ぶ人間を探してた」 「………」 ユウの前に回り込んだ男が膝に置かれたユウの手に己の手を重ね、恭しくユウの滑らかな手に口づける。 「俺はネア。ノアの体を持つ者だ」 「…ネア」 「そう。俺は顔を持たない。ノアの心に触れた人間にのみ、その対象の顔を見せる。お前は、ノアの快楽の心に触れたから、俺の顔がそう見える」 「………」 男、ネアの言っている意味がわからず唯そのティキにしか見えない顔を見ていると、ネアは再びユウの後ろへ動き、ユウの耳元に顔を近づけてきた。 「お前はノアに選ばれた。再生された体は対象のノアの心を殺す力を持つ。そして、ノアの心を殺せば、お前は望む未来を得るだろう」 「心を……」 「この顔を持つ男を殺せ。それが、今のお前の存在理由。殺せ。この顔を持つ男は、お前にしか殺せない」 「………」 耳元で聞こえていたネアの声が離れ、ユウの視界が男の手で塞がれる。 「さあ、目覚める時間だ」 ネアの手が離れ、ぼやけていた視界がはっきりと映る。ユウの意思で瞬きができる。 「おはよう、ユウ」 「っ、」 ユウが立ち上がり、振り返った時には部屋にはユウ以外誰もいなかった。 |