「王女様、お食事の時間でございます」
王の世話係の女が食事を運んできたのを見てユウは溜息を吐いた。 「…リンクは書庫に?」 「はい」 質問してみれば世話係の口からは予想していた答えが返って来て、再びユウの口から溜息が洩れる。 ユウの命を神に捧げるという触書きが出た日から、リンクはユウに何も言わずにユウの世話を放棄して書庫に籠るようになった。あまりに突然いなくなったもので一日目はちょっとした騒動になったのだが、それにもかかわらずリンクは毎日朝から晩まで書庫に入り浸っている。食事は取っているらしいが、ユウはここ数日隣の部屋の扉が開く音を聞いていない。 他人に迷惑をかけないよう心がけているリンクにはあるまじき行動だ。 「もういい、下がれ」 「失礼いたしました」 まだ粥を一口分しか食べていないが、世話係はユウが下がれと言うとすぐに粥を片付けて部屋から出ていった。リンクは無理矢理にでもユウに食べさせようとしていたが、大体の世話係はこんなものだ。 王族に対し何かをさせるということは、例えそれが相手を気遣うものだとしても死を覚悟しなければならないことなのだ。ユウの国と親しい国ではそのような話は聞かないが、遠く離れた国の世話係は重い病にかかった王女に有名な薬剤師の薬を飲んでもらおうとして死刑になったらしい。王女が薬を飲んだところまでは良かったが、その薬が苦かった為に首を刎ねられたという。苦い薬を飲んだ王女はその後あっという間に治ったが、自分の命令で首を刎ねられてしまった世話係に感謝することなく、もっと甘い薬を持ってくれば首を刎ねられずに済んだのにと世話係の頭の悪さに呆れるだけだった。 勿論ユウはそのようなことはしないが、他国でそのような例があれば自然と世話人になる人間は死を恐れるようになる。 「…あいつ、何やってんだか」 世話係が部屋から出ていくと、ユウはぽつりと書庫にいるであろうリンクのことを呟いた。 ユウの食事を運んでくる世話係を見ていれば早く王の世話係に戻りたいと思っていることなどすぐにわかる。死を目前にした人間の世話ほど辛いものはない。 リンクはユウの世話係であり、リンクへの命令権はユウにある。ユウがリンクに強く世話係の仕事をするようにと言えば、リンクは書庫から出てくるしかないのだが、ユウは世話係のことを気にしつつもリンクに仕事に戻るよう命令するつもりはなかった。 何せ、初めてのことだったのだ。いつもユウを守ろうとしていたリンクが、ユウの傍を離れ、一日のうちの少しも顔を見せないというのは。 初めてリンクの行動の意図が分からず、ユウにはそれが少し寂しく、だが嬉しくもあった。 恐らくはユウがリンクの意に反して自ら死を選んだことに腹を立てているのだろうが、それでも、ユウがいない時間を過ごすと言うのはリンクにとってとても重要なことになるはずだ。ユウが死んだら、リンクは国に仕えることになるだろう。元々政に関わることを希望しているようなので、そちらの役職に就くに違いない。いざそうなった時にユウのことが頭に残っていたら仕事に支障が出てしまうではないか。 散々迷惑をかけてきた彼が、少しでも幸せになってくれればいい。ユウはそう思っていた。 満月の日、辺りが暗くなり始め、城と教会では聖女を神に捧げる為の準備が進められていた。城中の人間が漆黒の服に身を包み、召使いたちの噂話も聞こえない。 「喜んではいけないことはわかっているけど、やはり君がそうやって起き上がっているのを見ると嬉しいと思ってしまうね」 「俺自身の力ではありませんが」 王の苦笑を含んだ声にユウも苦笑いし、ベッドに座って目の前にある鏡を見る。王がそう言うのも無理はない。ユウだって、頬のこけていない己の顔を見るのは久しぶりだ。 儀式は教会で行われ、教会までの道のりをユウは誰にも支えられず己の力で歩かなければならない。その為、魔術師を招いてユウの体に一時的に健康な状態を取り戻させる術をかけさせたのだ。今のユウは誰が見ても健常な体に見え、少し前まで呼吸するのにも苦しんでいた人間と同一人物には見えない。 城の人間とは対照的に真っ白なドレスを着たユウを王は複雑そうな表情で見つめ、そしてすまなそうに口を開いた。 「リンクはやはり書庫から出てこなかったよ」 「いいです。俺が命じなかったのですから」 少しくらい顔を見たかったとはユウも思うが、これから死ぬ者が命あるものの邪魔をしてはいけない。リンクは自分の意思で出てこなかったのだから、それを尊重しなければ。 「しかし、最後の日に…」 「最後の日だからです。死ぬ時をあいつに見られたくない。どうせなら、俺の骨も全て処分されるまで」 「………」 「俺が死んだあとは、どうか彼の望む仕事に就かせてやってください。俺の世話係になってから今日まで、リンクはとても苦労してきましたから」 念の為と、今この場にいないリンクを罰しないように王に釘を刺し、そしてリンクの望むことをさせてほしいと頼む。 「約束しよう」 「ありがとうございます」 王は特に渋ることもなくすぐにユウの頼みを聞き入れ、ユウもそれにホッとして礼を言った。 「王女様、教会の準備が整いました」 話をしているうちに窓からは夕日も差し込まなくなり、辺りは真っ暗になっていた。 王と共にこれが最後になるであろう窓から見える街並みを眺めていると、教会の者がユウを呼びにやってきた。 「わかった」 立ち上がり、誰の力も借りずに聖職者の後ろを歩く。途中、書庫の前を通ったが、扉が開かれることはなかった。 城門が大きく開かれると、そこには多くの民がおり、教会までの道は彼らで埋め尽くされていた。聖女が存在するとはいえ、実際に聖女を神に捧げる儀式をすることはこの国の歴史上ではなかったことだ。皆、興味惹かれて儀式を見ようと外に出てきたのだろう。もしくは、聖女が弱って立てもしないという噂の真偽を確かめようと思ったのかもしれない。 人々が開けた道を通り、教会前にある広場へ向かう。広場に着くと、中心にはユウが希望した火葬用の祭壇が設置されており、祭壇を囲うように人々が広場に集まっていた。 「本物の聖女様だ……」 誰かがポツリと呟き、啜り泣きが聞こえる。本物の、という言葉にユウは少しだけ口の端を釣り上げて笑い、心の中で偽物を使う訳がないと呟いた。何せ、今回の儀式は弱り果てた聖女を消す為に行うものなのだから。 壇上にいる司祭の前で跪き、司祭が神への言葉を唱える。聊か司祭の顔が曇って見えるのは、今ユウの体に魔術が用いられているからだろう。魔術はユウが祭壇に横になり祭壇を覆う藁に火が点けられた段階で解けるようになっているが、仕方がないとはいえど神聖な儀式の場で魔術の存在があるのは宜しくない。 司祭の言葉が終わり、いよいよユウは壇上へ登り、石で造られた祭壇に横になった。司祭から生贄の目印だと言われている葉を渡され、静かに目を閉じる。 「主よ、我らに救いをお与えください」 その言葉を合図に、藁に火が点けられた。火はあっという間に祭壇を取り囲み、ユウの体を取り囲んだ。 「……リンク」 ふと、知った気配を感じて目を開けると、炎の向こう側にリンクの顔が見えた。リンクは何かを決意したかのようなとても強い表情をしており、悲しみの感情を窺うことはできない。 自分との決別の決意をしてきたのかと安心していたユウだったが、リンクの口が動いたのを見て目を見開き、そして、リンクにその真意を確かめることもできず意識を手放した。 深夜、祭壇の火も消え、人々の姿もない広場にリンクは再び姿を現した。見張りの者もいなくなる今この時を待っていたのだ。 迷いもなく壇上に上がり、白い布をかけられた祭壇を見る。白い布は至って滑らかに祭壇を覆っており、布を外せば祭壇には灰しか残っていなかった。その灰が全てユウだ。何らかの呪いによって蝕まれていたユウの体は、火葬によって骨も残らず灰と化したのだ。 リンクは目を細めて灰を撫ぜ、その上に細かな文字の書かれた札を置いた。 「一度全てを灰にし、再生させる……」 札が青白い光を放ち、灰を包みこむ。 数歩祭壇から離れたリンクは、祭壇に向かって手を広げ、青白い光に向かって名を呼んだ。 「ユウ」 その瞬間、青白い光は強い光となって街中を包み込み、リンクも思わず目を閉じる。 光は徐々に弱まり、祭壇の上で人の形を為していき―――― 完全に光が消えた頃、祭壇の上には一糸纏わぬユウの体が横たわっていた。 「今の光は何だ?」 「祭壇の方だ」 祭壇に横たわる体に手を当て、その体の温かさに頬を緩めたリンクだったが、聞こえてきた声に瞬時に表情を変え、ユウの体に掛けられていた布でユウの体を包むと、その体を抱えて広場を――国を脱け出した。 |