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城を囲むように造られた街、その街を守るようにぐるりと造られた壁。壁には東西南北の四方向に門があり、その中の一つ、東門からそう離れていないところにそのテントはあった。
門番から警戒の目を向けられる中、サーカスの団員たちはテント内外でサーカス開演に向けて練習をしていた。
殆どの団員達が忙しなく動いている中、唯一人だけ、テントから少し離れた馬車の荷台で歌を口ずさんでいる男がいた。
男は真っ白な髪をしているが、その顔立ちはまだ幼く、少年と言った方が正しいのかもしれない。
きっと、親から売られたに違いない。少年を見る者は皆、そう思うはずだ。
整った顔立ちをしている少年ではあったが、彼の顔の左半分には妙な傷があり、それが人を遠ざける。さらに、シャツからのぞく左腕も赤く、人ならざる手をしていた。普通の生活を送るには難しく、サーカスの見世物としてはうってつけの体だ。
少年は両腕で箱の中に入ったネズミ達を弄っていた。小さなネズミは少年の手から逃げるように箱の中を動き回っている。そんなネズミ達の様子を見て、少年の目が楽しげに細められる。

「おい、アレン!」

少年が歌を口ずさみ、一匹のネズミを掴んだところでテントから走るようにやってきた男が声をかけた。

「またそんなところでネズミと遊んでるのか!玉乗りの練習はどうした?」
「ああ、ごめんなさい団長。すぐにやります」
「全く…」

団長が少年―アレンと言う名前らしい―の返事に肩を竦めてテントへ戻っていき、それを確認したアレンは左手でネズミを掴んだままもう一方の手を洋服のポケットに入れた。中から出てきたのは針のない注射器だった。注射器にはすでに何やら青い液体が入れられている。

「さあ、仕事だよ」

アレンはネズミの口に注射器の先を押しこむと、少しだけ液体をネズミの口内へ流し込んでネズミを野へ放った。放たれたネズミは草の上でぶるりと毛を震わせたが、その後何事もなかったかのように街へと駆けていった。

「アレン!」
「はい」

暫くアレンはネズミの消えていった方向を見ていたが、団長に呼ばれると名残惜しそうにしながらも残ったネズミを箱から持ち手の付いた檻の中へと移し、檻を持ってテントへと足を進めた。









夕方、リンクが食事を取りに行っている間に、ユウのもとへ王が顔を出した。王がユウの顔を見に来たのは十日ぶりだ。以前は頻繁に足を運んでいたが、最近は間隔を開けてくるようになった。日に日に弱っていく息子の様子を見るのに、勇気がいるらしい。

「王女、気分はどうだい?」
「良いです」
「それは良かった」

王の顔を見て、王に嘘を吐いたことがバレていると知る。まあ、当然だとユウは思った。
ベッドから起き上がれず、己の手を握っている王の手を握り返す力もない。かろうじて首だけ動かせるような状態で、気分が良いも何もないだろう。

「リンクから聞いているかな?今、街の外にサーカスが来ているんだよ」
「聞いています。民の殆どが観に行っている程の盛況ぶりだとか」
「サーカスが来ることなんて滅多にないからね、皆楽しんでいるようだ」

そう言う王としては、色々複雑な心境のようだ。ユウの容体が悪化しているという噂がサーカスという娯楽によって薄れるのは良いことではあるが、王非公式のサーカスに長居されるのは問題だ。
公式のサーカスは外壁の中にテントを建てる為に持ちこむ物にも制限をかけているが、非公式のサーカスは外壁の外にテントを建てる為そのような制限がない。仮に、公演に使う以上の火薬を持ち込んだとしても、確認する術がないのだ。

「城のメイドたちも観に行っているそうですよ。リンクが言ってしました」
「おや、それは困ったね…城に仕える立場の人間が、王非公式のサーカスを見てしまうなんて」
「罰しますか?」
「……いや、今は皆不安なはずだ。その不安を解消してやれない私に、彼らを罰する資格はない」
「俺の体が、良くならないからですか」
「いいや。王女の所為じゃないよ。私が王として頼りないんだろう」
「……何か、用が?」

苦笑して私が頼りない所為だと言う王を見て、ユウは少し妙だと思った。見舞いに来ただけではないような、ユウに何か話したいことがあるように思ったのだ。
ユウの考えが当たっていたらしく、ユウに問われた王は表情を強張らせ、ユウの手を握る己の手を震わせた。ユウに話さなければいけないが、今話していいのかどうか迷っているように見える。

「俺のことで、何かありましたか?」
「…いや、そうじゃないんだが……今ね、少しずつだが街で感染症が広がり始めているんだ」
「感染症…」
「原因はわからない。最初は外にいるサーカスが原因かと思って、実は一度公演終了後に調べたんだ。だが、団員も、連れている動物たちにも街で流行っている感染症の症状はなかった」
「治療は?」
「…今のところ、方法がない」

罹ったら死ぬしかない感染症が流行している。そんな国の状態に、ユウは男が言っていた砂漠の国を重ねた。国が滅ぼうとしている。

「とりあえずは症状が出た患者を隔離して治療の手段を探しているが、隔離できる場所がなくなるのも時間の問題だと医者からは言われている」
「…人柱はいかがですか」
「………」

ただ状況しか話さない王に痺れを切らし、ユウは自ら王が言わんとしていることの核心を言葉にしてやった。

「その為の聖女なんでしょう」
「王女、」
「女でない俺が神に命を捧げたところで神が願いを聞き届けるとは思いませんが、時間稼ぎ程度にはなるはずです」
「私はそんなつもりは、」

己の子供を殺すつもりはないという王を睨み、ユウは言葉を続ける。

「大半の民が病に冒されたら、そんなことを言っている場合ではないでしょう?……それに、民の暴動が起こる前に、俺が女でないと知られる前に俺は死ぬべきだ」

王の言葉だけではどれだけの民が病に罹っているかはわからないが、国中に病が蔓延したらそれを阻止できなかった王に責任がいってしまう。暴動が起こり、ユウが公衆の面前に晒されることになったら、男であることが民に知られ、聖“女”だと偽っていた王はただ殺されるだけでは済まないはずだ。

「俺を殺して下さい。聖女ではない俺の命と引き換えに民が助かるとは思ってない。でも、そんな俺の命でも時間稼ぎになるのなら、その為に使いたい」
「王女…ユウ、」
「男としても、女としても国に仕えられない俺にとって、国に命を捧げることはとても名誉なことではないですか。お願いします。俺に衰弱死などという不名誉な死を与えないでください。どうか、殺す時は体を燃やしてこの惨めな姿を民の目に晒さぬようにしてください。体が残れば、民は俺が何もせずとも神の許へ行く定めであったと気付くはずです。そうなれば、民は俺が弱っていたという事実を隠す為に俺を殺したのだと気づいてしまう」

女とされている為に戦争や政治の中心には入れない。しかし、体は男である為に世継を産むこともできない。そんなユウが生まれ育ったこの国にしてやれることは唯一つだ。

「……聖女としての立場に納得していなかったのに、何故そんなことを言うんだい?」
「納得していなかったんじゃない。今も納得していません。男として生きられなかった不満も、男として生きさせてくれなかった貴方への怒りもあります。…それでも俺は、貴方の子供ですから」

自分の所為で父を殺すことになるのならば、その原因を作る前に死にたい。それがユウの出した結論だった。

「王女、食事を……王、いらしたのですか」

王が何か言おうとしたところで、タイミング悪くリンクが入って来てしまった。
リンクのいる場でこの話は不味いと王が立ち上がり、リンクに挨拶をして部屋から出ていく。

「王とどのような話を?」
「…外のサーカスについてだ」
「そうですか。そのサーカスですが、そろそろ次の街へ移るそうですよ。メイドたちが話していました」
「へぇ…長居し過ぎて客足が遠のいたか」
「そのようですね。公演料もそれなりにするようですし、毎日足を運ぶようなものでもありませんから」

サーカスが移動するということは、いよいよ娯楽のなくなった国民が王に不信を抱き始めるだろう。
リンクに体を起こされ、いつものように味気ない粥を口に入れられるが、飲みこむことも難しい。危うく喉に痞えそうになり、心配したリンクがユウの背を撫でる。

「観てみたかったんですか?サーカス」
「…そうだな、一度くらいは観てみたかったかもしれない」

本当にサーカスを見たいと思っていて出た言葉なのか、それは発したユウ本人にもわからなかった。



その翌日、『感染病から国を守る為、来る満月の夜に聖女を神に捧げる儀を行う』という御触れが出た。