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「王女、祈りの時間です」
「…ああ」

男がいなくなって三日。ユウの生活は男がいなくなった頃に戻った。
リンクに起こされ、体を清めて教会へ行き、国の平和と国民の健康を祈る。それが終わった後は王女としての授業を受け、一日を終える。
唯一つ違うのは、ユウの行くところ全てにマリアンがいるということだった。ユウが中庭にいれば中庭に、王と食事をしていれば広間にやってくる。ユウに話しかけてくることは無いが、マリアンの視線はユウにとってとても不快なものだった。警戒を強めたリンクが今まで以上にユウの側にいるようになったのも、一人でいられる時間が減って嫌だ。

「おはよう、王女」
「…おはようございます」

教会へ行くと、扉の前にマリアンが立っていた。ユウの姿を見つけて挨拶をしてきたが、ユウの返した挨拶が警戒を含んでいたのとリンクが袖の内側から投げナイフを出したのを見て眉を顰める。

「そこまで警戒されるようなことをした覚えは無いんだが?」
「得体の知れぬ術師が聖女の行くところに現れれば、警戒するのは当然では?」

返事に迷っていたユウに変わって、リンクがきっぱりとマリアンに警戒する理由を告げた。
リンクの言葉を受けマリアンが溜息を吐き、煙草に火を点ける。

「教会の前だ」
「教会など、何を祭っていようが所詮ハリボテだろうが。中に神はいねぇよ。国を出る前に、王女が二度とおかしな目に遭わないようまじないでもしてやろうと二人きりになれる機会を窺っていたが……その世話係がいる限り無理なようだな。では、王女」

マリアンが恭しく頭を下げ、ユウの側を通り過ぎる。

「夜、教会に」
「っ!」

すれ違い様にマリアンが呟いた言葉に驚いて振り向くが、マリアンは振り返ることなく朝市の人ごみに消えた。

「王女、どうかしましたか?」
「…いや、何でもない」
「でしたら、教会の中にお入りください。いつまでもここに立っていては人目を引きます」
「わかってる」

リンクに扉を開けてもらって中に入り、祭壇の前に跪いて祈りの言葉を唱える。国の平和に国民の健康、そして、あの男の無事を心の中で思い、目を閉じる。
十五分程かけて祈りを終えて立ち上がると、リンクが徐に口を開いた。

「男がいなくなってからは随分と真面目に祈るようになりましたね」
「それがどうした」
「いいえ。良いことだと思います」

言葉には出していないが、ユウにはリンクが「どうせあの男のことを思っているのでしょう?」と考えているのがよくわかる。ユウにもわかりやすいような良い方なので、意図的に嫌みを言ったのは明らかだ。もしユウに知られたくないのなら、リンクはもっと違った言い方をする。

「では王女、昼食までは歌劇の勉強です」
「面倒だ」
「歌劇は他国との交流の際に――」
「最も有用な手段なんだろ。何度も聞いてる」
「覚えているのでしたら、口答えせずに大人しく王女としての勤めを果たしてください」
「………」
「行きますよ」

歌劇の授業はユウにとって退屈なものでしかない。教師は盲目の音楽家なのだが、ユウがこっそりと部屋から逃げ出そうとするとどういうわけか気付かれる。

「リンク」
「なんですか」

教会から出て後ろを歩くリンクに声をかける。

「もし俺がいなくなったらどうする?」
「探します」
「…じゃあ、俺が死んだらどうする?」
「死因は?」

ぼんやりと思い浮かんだことを質問しただけだったので、リンクから質問を返されたことに驚く。振り返ると、リンクは普段通りの真面目な顔をしていた。

「…誰かに殺されるとか」
「殺されることが原因でしたら、残念ながらどうもできません。私は、貴方が殺される前に貴方を守って死にますから。病死でしたら、貴方が死ぬ前にできることをします。血でも肉でも使えるものならば何でも差し出します」
「……気分が悪い」
「自分で質問しておいてそれですか。私の役目は貴方の世話、そして貴方を守ることです。貴方を生かすためなら手段は選びません」

戸惑うわけでもなく平然とユウの為に自分の命を捨てる選択をしたリンクに怒りを覚える。特定の答えを望んでいたわけではないが、自らの命を差し出す答えは絶対に聞きたくなかった。
「お前はそれで良いのか?」
「何がです?」
「俺は、お前の命を犠牲にしてまで生きる価値のある人間じゃない。そんな人間の為に死んで、それで良いのか?」
「ええ、勿論」
「何で」

いつも、リンクはユウに対して王女らしくしろ、もっと国のことを考えろと説教をする。それだけ、ユウはリンクを呆れさせているわけだ。それなのに、ユウの為に死ぬと即答できる理由がわからない。
また気分が悪くなる理由なのだろうかと思ったが、あえて聞いてみた。初めてリンクが口籠り、ひくりと眉が動く。

「何でだよ」

もう一度強く尋ねると、リンクを咳払いをして口を開いた。

「貴方を守ることが、私の全てだからです」









「来たか」
「用件を言え」

夜、ユウはリンクの見張りを掻い潜り、教会を訪れた。
教会の扉を開けると、祭壇に最も近い長椅子に長い赤毛の男が座っていた。ユウの場所からは背しか見えないため顔はわからないが、男の顔辺りから立ち上る紫煙でマリアンだとわかる。この教会でタバコを吸うのはマリアンくらいしかいない。
ユウが一歩踏み出し教会の石床に足音を響かせると、マリアンがユウに話しかけてきた。一瞬戻ろうかと考えたユウだったが、ゆっくり呼吸をしてマリアンの斜め後ろまで足を進める。
術中に嵌るまいと強く意思を持ち、強気な態度で用件を聞くと、漸くマリアンが後ろを振り向きユウを見た。

「お前の望みを叶えてやろうと思ってな」
「……何?」
「城から逃げたいんだろう?」

マリアンの口から出てきた言葉に、ユウは目を丸くした。確かにそれはユウの望みだが、マリアンはそれを知らないはずだ。

「お前の部屋を調べたときに記憶を見た」
「そんなことできるわけが無い」
「できるんだよ。方法さえ知っていればな。こっ酷い仕打ちを受けたワリに随分とあの男にご執心だったな?」
「っ、」

ニヤニヤと馬鹿にするように笑うマリアンを見て、確かにマリアンは何らかの手段でユウの部屋であったことを見たのだと知る。

「それだけ、城から出たかったということだろう?」
「……たとえ城から出られたとしても、俺がこの国の王族であることには変わりない。連れ戻されるのがオチだ」

リンクから、ユウは例え城から出ることができてもユウの望む暮らしはおくれないと教えられた。マリアンがどういうつもりで条件を出してきたのかは知らないが、ユウはもう、城から出ても無駄なのだと知っている。

「本当にそうか?」
「…どういう意味だ」

ユウが城から出ないと言っても、マリアンは焦りを見せず、むしろ余裕の表情だ。
目的は何かと眉を顰めて様子を窺うと、マリアンが長椅子から立ち上がり、ユウの前に立った。

「俺には、お前を王女という立場から解放することができる力がある。その上で、お前を城から出してやろう。それなら、どうだ?」
「……お前の条件は何だ」

城から出るという甘い言葉に心が揺れそうではあるが、この男がただでユウの望みを叶えるとは思えなかった。
マリアンの条件を尋ねれば、案の定マリアンが口の端を吊り上げ口を開く。

「ジョイドを俺の前につれて来い。それだけでいい」
「…だったら、いい。俺はこの城から出ない」

城から出たいとは思うが、それがあの男を苦しめることになるのならば誘いには乗らない。
ユウの答えを聞いてマリアンは肩を竦め、タバコを足で潰した。

「それなら仕方がない。国の為に命を落とすことになっても良いんだな?」
「良い」
「わかった」

マリアンがユウの肩を叩き、教会の出口へと歩いていく。

「では、お前が死んだ時にまた来るとしよう。精々、一日も長く生きられるよう祈るといい、王女よ」

マリアンがいなくなり、ユウ一人が教会に取り残される。

「いた…っ、」

もうここにいる意味はないと、ユウも教会から出ようと扉へと靴の先を向けたのだが、不意にマリアンに叩かれた左肩に痛みを感じ、倒れこむように教会の椅子に寄りかかった。
左肩から何かがユウの中へと入り込んで、根を張っているようだ。体の内を抉られていく痛みに息が引き攣る。
もしや、マリアンが何かを仕組んだのかとドレスの首もとを肌蹴させ、左肩を確認するが、白い肌が現れただけでこれといった変化は見られない。
何かが心臓まで達し、一番の激痛をユウに与えたところで魔法のように痛みが消えた。

「…気の、せい、」

ドレスを調えて立ち上がり、教会の出口へ向かって歩くが、今度は痛みはない。

部屋に戻り、ベッドに横になったところで部屋の扉が開く音がした。布団の隙間から確認すると、金髪がユウの目に入った。リンクだ。ユウが抜け出していないか確認しているのだろう。
暫くすると扉は閉じられ、ユウはほっと息を吐いた。