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「今日は部屋から出ないでください」
「何で」

男との初めての性交渉から数日経ったある日、リンクが朝早くからやって来てユウの部屋の窓という窓を閉め、カーテンの隙間から洩れる光すらもカーテンをぴしっと直して遮断してしまった。
さらに、部屋の中を真っ暗にしたばかりか厳しい顔をして一歩も部屋から出るなと言われ、流石にむっとして質問する。

「今日、王の大切な客人がやってきます」
「じゃあ、挨拶すべきだろ」

大切な客人と言うことは、大使とは違って位はそれなりにあるはず。大使の訪問の時は顔を見せてはいけないと言われるが、今まで、リンクが王の大切な客人にユウを会わせないときはなかった。
確かに大切な客人、と言うとユウが会ってもいい人間という意味になる。そのことに気づいたらしいリンクが咳払いをして口を開く。

「数年前、この国に術師が訪れたことは知っていますね」
「ああ。……?」
「何か」
「いや、」

術師、という言葉に壁に寄りかかって寝たフリをしているだろう男の指がピクリと動いた。そのことに気づいて首を傾げたユウだったが、リンクに声を掛けられリンクの方へ向き直る。

「あの特別牢に細工をしたとかいう奴だろ。俺はリーの国へ行っていて会えなかったが」
「そうです。…言いにくいのですが、その術師は滞在中色々とやらかした者なので……王女の安全の為です」

王の客人を悪く言うのに抵抗があるのだろう。リンクはかなり言葉を濁して術師の非難をしたが、その顔は言い足りないのか苦い顔をしている。

「俺の安全って、」
「とにかく、部屋から一歩も出ないでください。いいですね」
「おい、話を、」

ユウ自身の安全の為とはどういう意味なのかともう少し詳しく術師について聞こうとしたのだが、リンクはこれ以上話す気がないのかさっと部屋から出て行ってしまった。外から鍵を閉める音がして本当にユウを部屋から出す気がないのだと知る。

「…お前、術師について何か知っているのか?」
「……まあ、一応」

リンクに話を聞くのが駄目ならば先程術師に反応した男はどうかと目を閉じている男に話を振ると、やはり起きていたのか返事が返ってきた。

「どんな奴だ?」
「詳しくは知らねぇよ。ただ、会ったらヤバい奴だってことは知ってる」

男の説明だけでは意味が分からず、そのままじっと男を見つめていると、目を開けて顔を上げた男がユウに自分の手を見せた。
男の手の甲には十字の傷が浮かびあがっていた。

「それ、」
「前にその術師と対峙したことがあんだよ。命からがら逃げたんだけど、そん時につけられた傷が男が近づくとこんな風になる」

男がもう少し近づいたら血が出るかもしれないと言われ、ユウは顔を顰めて男の手の甲をまじまじと見つめた。

「あの世話人は王女様にここから出るなって行ったけど、ひょっとすると俺が目的で来るかもしれねぇな。そしたら、王女様俺が殺されないように庇って」
「……もしかして、お前が言ってた安全とかいうやつに関係してるのか?」

男がユウに奴隷として傍に置いてもらう理由として挙げた安心して眠れる場所、そのことに術師が関係しているのかと思い尋ねると、「半分は」という中途半端な答えが返ってきた。

「そいつが全部じゃねぇ。他にも色々理由はあるよ」
「お前、その術師がこの国と関係があったこと、最初からわかってたんじゃないのか?」
「王女様にガラス玉入れたときは気づいてなかった。けど、捕まっちまってあの牢屋に入れられた時に、ヤバいと思った。俺が逃げらんない牢作れんのは、その術師くらいだからさ」
「じゃあ、何で逃げなかったんだ」

ユウが牢屋から男を出してやった時点でユウを騙して逃げればよかったのだ。

「少しくらいゆっくりしてぇだろ。ずっと逃げっぱなしなんだよ」
「…ずっと?国宝を盗む前から、ずっとか?」
「そ。もう10年近くになるかな」

頷く男を見て顔を顰める。
長年逃げ回っているというのなら、ある程度顔や風貌が知られているだろうし、多数の国に手配書が回っているはずだ。ユウも国に回ってくる手配書を必ず見ていたが、この男の手配書は見たことがなかった。

「何やったんだよ、お前……まさか、人を殺したのか?」

手配書には人物画と罪状、懸賞金、手配開始日が書かれている。日付まで書いてあるのは、罪状にもよるが時効が存在するからだ。時効までの期間はどの国にも共通しており、十年も逃げ回らなければいけないような罪は殺人くらいしかない。

「人殺しは十五年、だっけ?十五年逃げ回れば捕まらねぇんだったら、こんなとこで王女様の世話になる前に逃げてるよ」
「じゃあ、どうして、」
「…強いて言うなら、」

男の逃げ続ける理由が分からず眉を顰め男を見ると、男は一度ぐっと口籠り、ユウに理由を話そうか迷ったようだった。だが、ユウが諦めずに見つめ続けたことで肩を竦め、口を開く。

「逃げることも時には罪になるってことかな」









「まさかまた君がこの国を訪れるとはね」
「この国の女はなかなか良かったからな」
「言っておくが、今回は好き勝手させないよ」

夕刻、王フロワは彼のプライベートルームの椅子で寛ぐ赤毛の術師を見て溜息を吐いた。
数年前、この術師は特別牢に細工を施す代わりに数日間、城でやりたい放題やってくれた。町から娼婦を連れて来て情事に耽り、高い酒を飲み、道楽の限りを尽くしてくれた。
あの時はフロワからも特別牢を強固なものにしてほしいと頼んだので男のやることを黙認するほかなかったが、今回は男に頼まなければいけないようなことは何もない。
きっと鋭い目で術師を見ると、術師は仮面に隠れていない左側の目をニコリと無理矢理笑わせて王を見た。

「心配するな。今回は別件だ。フロワよ、お前は最近牢にノアの一族を入れただろう」
「ノアの一族?」
「黒髪に金色の目の人間を捕らえただろう?」
「…ああ、」

ノアの一族と言ってもピンとこなかったが、黒髪に金目と言われてユウのことを襲った賊のことを言っているのだとわかった。

「あの賊が、何だい?」
「あれを俺に寄こせ」
「…今は王女が奴隷として所有しているよ。奴隷を解放するかどうかは所有者の意思だ。私にはどうすることもできないね」

ユウがあの男を奴隷として所有したいと言い出したときはどうなるかと思ったが、何だかんだでフロワが見ている限りではユウの言うことを聞いているし、まずまずの奴隷ではないかと思う。動作も、野蛮さをあまり感じさせず、衣類をこの国のものに新調してからは城に溶け込んでいた。

「それに、あの男からは聞きださなきゃいけないことがあるんだ。君に連れていかれたら困るんだが、」
「ふん……だったら、捕らえた奴の特徴だけ聞かせろ」
「特徴と言われてもね…何が知りたいんだい?」
「男か女か」
「男だよ」
「だろうな。体型は?」
「普通だよ。まあ、普通よりは良いのかもしれないけど」

フロワの言葉で術師が口の端を釣り上げる。術師の望む回答だったようだ。

「顔に黒子はあるか?」
「……あるね。左目の下に、」
「ジョイドだ」
「ジョイド?」

男の名前は男が言わないので聞いたことがなかったが、術師がニヤッと笑って椅子から立ち上がった。

「王女には別の奴隷をあてがってやる。その奴隷、寄こせ」
「だから、私の決められるものではないと言ってるだろう」
「国王が何を言っている。権限で取り上げろ」

あくまでも奴隷の男を寄こせと言う術師に、フロワは目的を探ってやろうとじっと彼の目を見る。だが、男の意図は読めない。

「グダグダ言わずにその男を寄こせ、フロワ。何のために俺がお前の国の牢を強固にしてやったと思っている」
「少なくとも、私にはそのノアの一族を捕らえるために牢を強化したつもりはないよ」
「俺にはあるんだよ」
「ノアの一族とは何なんだい?」

それなりに年数を生きてきたつもりのフロワだが、ノアの一族など聞いたことがない。眉を顰めて術師に問うと、術師はあくまでもフロワが理由を知らなければ男に協力する気がないとわかったのか、気に入らないような顔をしながらも口を開いた。

「十年前、砂漠の一つの王国が滅んだ事件を覚えているか?」
「覚えているよ。この国にも難民が流れ込んだ」
「奴らは――」









「王女…入るよ?」

フロワの声にハッとし、ユウはベッドに座っていたところを急いで立ち上がって扉を見た。
入ってきたフロワは後ろに顔の右半分を仮面で隠した男を連れており、眉を顰める。

「あれ、あの男はどこだい?」
「……頼みごとをして、外に出しました。部屋から出るなと言われたので」

フロワと共に部屋に入ってきた男がユウの部屋を隅々まで注視し、ふん、と息を吐く。

「誰ですか」
「私の知り合いだよ」
「クロス・マリアンだ。お見知りおきを」

恭しく男が礼をするが、その目はとても挑発的だ。
少しだけクロス・マリアンと名乗った男に恐怖を感じたユウだったが、負けずに睨み返し、王を見た。

「何の用ですか?具合が悪いので長居されるのは困ります」
「目的のものがいないのでは仕方がない。失礼した」
「悪いね、王女……」

さっと踵を返した男について王が部屋を出る。閉じられた扉に駆け寄ると、ユウは内側から鍵をかけた。

「もう出て来ていい」
「…あいつ、俺が隠れてること気づいてたな」

ユウが棚に向けて声を出すと、男がすっと現れた。棚には大人一人隠れる余裕などないが、特別牢の拘束具さえなければ何でも自由に通り抜けることができる男にとってはその空間さえあればいいのだ。

「お前、その手、」
「だいぶ近くにいたからだな」

男の両手が手の甲に刻まれた十字を中心に焼けただれているのを見、確かにマリアンの狙いはこの男なのだと感じる。

「…もう、平気なのか?」

ユウが男の手に触れても男が痛みに顔を顰める事はなかった。手当てをしようかと尋ねれば、男は首を横に振って手を何でもないと言わんばかりに動かした。

「あの男が離れれば痛むことはねぇよ。表面はこんなだけど」
「クロスとかいう奴、何なんだ?」
「簡単にいえば、俺の天敵。十年前から俺が逃げ回ってる原因かな」
「……ただの術師、ではないんだな」
「ただの術師だったらこんなに逃げてねぇでさっさと殺してる」
「お前でも勝てないのか?」
「勝てない」

きっぱりと言い切った男からは、マリアンと戦おうと言う意思は感じられなかった。本当に、マリアンから逃げることだけを考えている。

「……どうしてあの男から逃げることになったのか、聞いてもいいか?」

男がいつもの居場所に座り、息を吐く。そんな男の隣に座って尋ねると、男はきょとんとした後ユウをからかう様な笑みを浮かべた。

「何、俺のことが気になんの?」
「……気になる。だから聞きたい」

ユウが否定すると思ったのだろう。男の言葉を肯定し、さらに逃げている理由を聞きたいと言うと、男は先のからかう笑みを消して困惑したようにユウを見た。

「…まあ、昔話程度に聞けよ」