「心配させるな、阿呆」
「…何か頭いてぇんだけど、記憶に入った副作用か?」 「心配ない。ワタシが殴っただけだ」 「おい」 ティキが目を開けると、そこには心配そうにティキを見るワイズリーの姿があった。ワイズリーはティキが起き上がるとほっとしたように肩の力を抜き、ターバンをぐしゃりと握った。 「途中から、何かの力に邪魔されてお主との繋がりが切れての、ワタシは記憶の外にはじき出された。ワタシの力無しで記憶の中に入れるとは思わんが、お主は目覚めんままだしこりゃ死んだなと思ったが」 「勝手に殺すなよ」 「何があったのだ?」 「あの妙なガキ手伝って、正気の王子を探してた」 「……」 ポカンとするワイズリーの頭を殴り、痛みに悶える姿を見て清々する。普段ティキのわからないことを言ってティキの無知さに呆れた顔をするワイズリーだが、自分がわからないことを言われても「何を言っているんだ?」と言う様な眼で見てきたためだ。 「この…!ワタシははじき出された副作用でだなぁ!」 「あーはいはい、頭痛だろ。俺には関係ねぇな」 「……ワタシは、お主を起こそうと思って殴ったわけで」 「俺はムカついたから殴った」 ぎゃーぎゃー騒いでもう一度殴ろうとしてきたワイズリーの手を掴み、ベッドに横たわる王子を見る。確か、ティキ達が王子の記憶に介入した時、王子は床に倒れていたはずだ。 ティキの考えていることが分かったのか、ティキに思いきり掴まれて痺れる手をもう一方の手で摩り、王子を顎で指し口を開いた。 「ベッドに寝かせておいた方が、失敗した時に良いと思ってな。床で寝ていたとなったら、何をされるか…」 「平気だ。成功してる」 「その割には、何も…」 何も起こらないと言おうとしたワイズリーだが、王子の腹のあたりから手がぬっとあらわれたのを見た瞬間、ぎょっと目を見開いて固まった。 「ふう、やっと出てこれた」 「な、な、な、な、」 「あ、待たせちゃってごめんね。やっと記憶の掃除が出来たから」 王子の体から出てきたアルマは一瞬姿がぶれたかと思うと次の瞬間には記憶の中の正気の王子が着ていたような簡素な衣服を身にまとった姿になった。袖から見える手も、人間のものに変わっているようだ。 「記憶の外だと、こっちの方が動きやすいからね」 「王子は?」 「今目覚める。ほんと、貴方達には感謝しなくちゃ。貴方の能力に目を付けていたけど、ユウの今の記憶に干渉出来なかった僕じゃ貴方を記憶の中に引きずり込めなかったから。ターバンの人がいなくちゃ、ずっとあのままだった」 「……記憶の中にいた子供か、」 漸く王子の体から出てきた者が誰なのか気付いたワイズリーが興味深げにアルマを眺める。 「ユウは起きたら、貴方達を解放すると言ってた。っと……まあ、詳しい話は本人に聞いてよ」 すっとアルマが音もなく横に動き、ティキとワイズリーのユウの姿が良く見えるようにする。丁度、王子が目覚めたところだった。 ぱっちりと目を開け、アルマの助けを借りつつ王子が上体を起こす。 「大丈夫?」 「何だか体が動かしにくい」 「まあ、長い間自分の意思で動けなかったからね。それに、悪魔の条件を解除したから」 「そうか、……アルマ、隅にある戸棚から鍵を取ってくれ」 「ん」 王子の言う通りにアルマが戸棚から鍵を取り出し、王子に渡す。王子は鍵の形を確認すると、再びアルマの助けを借りてベッドから降り、ティキの首輪に鍵を差し込んだ。 カシャン、と音がして首輪が落ち、ティキの首にすっと冷たい空気が当たる。 「迷惑をかけた。すまない」 深々と頭を下げる王子を見てワイズリーと顔を見合わせると、ティキはユウの顔を上げさせて謝罪の言葉はいらないときっぱり言い放った。 「謝罪より、俺たちがこの国から確実に出られるっていう保証をくれ」 「勿論、お前達が国の領土にいる間の安全は保障する。領土から出ても、この国の兵はお前たちを追わない。……ただし、ノアの一族としてのお前たちを庇うつもりはない。あくまで、お前達二人の安全だ。それを忘れるな」 「ああ。仲間にはこんな危ねぇ国には近寄るなって言っとく」 イノセンスを多数保有する国になど、二度と近寄るものか。肩を竦めつつティキが言うと、ユウは苦笑いしてベッドに座った。 「お前たちの弱みを知っている国はここの他にいくつかある。弱みを聞いた国は全て、この国と隣接している。早いうちに国を出て、遠い土地へ行け。近いうちに、イノセンスは多数の国が所有することになるだろうからな」 「何だ?鉱山を売るのか?」 多少顔を引き攣らせつつ尋ねたが、王子から答えが返ってくることはなかった。 「まあ、長旅になるだろう。思えば、お前には碌な食事を取らせていなかった。体調が整うまでは、この国で療養するといい。友人も共に。まだ、平気だろ?」 「僕が表に出てきたからね。暫くは誤魔化せるよ」 「さっきから、あの二人は何のことを言っとるのだ?お主、夢の中で何か聞いたか?」 「いや、特には…つか、休まなくてもよくね?さっさとこの国出てぇよ」 王子とアルマの間で何かティキとワイズリーの知らない話が進められているが、何の事だかさっぱり分からない。眉を顰めて二人の様子を見つつすぐにでもこの国を出ようと話しあっていると、アルマが近寄ってきてにこっと笑いながらティキの肩を叩いた。途端に、ティキの体を強い倦怠感が襲い、座っているのも辛い程になる。 「何だ、」 「記憶の中で弄った能力を元に戻したんだ。もうちょっと早く戻せばよかったね、大分負担をかけてたみたいだ。まあ、貴方なら二、三日もすれば回復するよ。それまでは、ごゆっくり」 「急に旅立たなくても、もう襲ったりしない。体を休めていけ」 何とか意識を保とうとしていたティキだったが、徐々に三人の声が遠くなり、仕舞には目の前が真っ暗になった。 「目が覚めたか」 「…っテ、」 ティキが目を開けると、王子がすぐに声をかけてきた。 体に走る痛みに耐えつつ起き上ると、ティキは王子のベッドに寝ており、すぐ側には椅子に座る王子がいた。アルマの姿は見当たらず、ティキの仲間であるワイズリーはと言うと、ティキの気絶中にどんな話をしたのか、警戒することもなくパクパクと用意してもらったらしい料理を食べていた。 「おう、体調は大丈夫か」 「お前、一人で食ってんじゃねぇよ」 床に足を着き軽く手足を伸ばすと、痛みはすっと取れ、王子に掴まってからと言うものの抜けたことのなかった気だるさまで吹っ飛んだ。 「そう言うな。お主、丸一日以上眠っておったのだぞ」 「…そんなにかよ、」 「ま、お主も食え。この国の料理もなかなか美味い」 ワイズリーから何かの肉料理が盛られた皿を差し出され、戸惑いつつもそれを受け取る。ベッドの縁に座って食べようとすると、王子と目があった。 「そういや、ここアンタの部屋だろ。俺が丸一日以上寝てたって、アンタどこで寝たんだ?」 「体を自由に動かせなかった間、ずっと眠り続けていたようなものだからな。目が冴えて寝られなかった」 「ふーん……へぇ、」 「何だ」 「衣装が違えば雰囲気も変わるもんだな。顔は同じなのに」 王子は、凝った装飾の衣装から簡素な衣装に着替えていた。前の服では妖艶さが目立っていたが、今の姿はとても落ち着きがあり、王族の気品がある。 「今のアンタなら嫌いじゃねぇ」 ティキを拘束していた人間と同一人物とは思えない。今の王子だったならば、少しはナカに挿入していたティキも気分が良かったのではと思う。試そうと言うつもりはないが、今の王子ならばティキが主導権を握られるということはなさそうだ。 言われた王子はその言葉をどのような意味で受け取ったらよいのかわからなかったらしく、曖昧に笑い目を窓の方へ向けた。 特に会話することもなく、ワイズリーに渡された料理を口に運んでいると、扉が叩かれ、アルマが中に入ってきた。 「あ、起きたんだ。もう少し寝てると思ったけど、流石だね」 アルマは手に筒のような入れ物を持っており、にこっとティキとワイズリーに笑顔を向けた後王子の傍へ行ってユウにそれを渡した。 「悪かったな、」 「良いって。大した距離じゃないし」 筒には手紙が入っており、王子はその手紙にさっと目を通した後それを再び筒の中へ戻した。 「何じゃ、それ」 「貴方たちが逃げる間の安全を保証するって言っただろ。だから、その準備だよ」 「堂々と関所を越えられるよう手配してる。関所は隣国とこの国共有の領土だからな、きちんと手配しておかなければこの国の兵士がお前たちを捕まえないとしても隣国の兵士がお前たちを捕まえてしまう」 「関所か。一度も真正面から通ったことないのう。お前もだろう?」 「まあな」 ワイズリーの言葉に頷き、キョトンとする王子に向かって口を開いた。 「盗賊が関所なんか通るか?」 「……それもそうだな」 真面目に関所を通れば捕まることは目に見えているのだから、それをわかっていて真正面から関所を通るのは愚行以外のなにものでもない。仮に捕まることはなかったとしても、無駄な戦いは避けられないだろう。 「それなら、手配は必要なかったか」 「いや、関所を通れるならそれが一番楽な道だからな。助かる」 「共有領土の兵士は共有領土を守る役目があるから、共有領土を抜けた後も追ってくることはないよ。ただ、共有領土にいる兵士以外は貴方達を捕まえようとするだろうから、そこは気を付けて。ま、共有領土周辺に大量の兵士を配置しちゃいけない決まりになってるから、共有領土を抜けてすぐに襲われたとしても貴方達が捕まるようなことはないと思うけどね」 「ふむ…ジョイド、お主いけるか?」 「馬鹿にしてんのか?誰にも負けねぇよ。……油断しなけりゃな」 そう言いつつちらっと自分を捕まえた王子を見ると、王子は目を二度ほど瞬きさせた後、「そうだな」と微笑んだ。 「あの王子、いつまで生きるかのう?」 「あ?」 城門にいる王子とアルマをちらっと見、歩みを止めることなくワイズリーが呟く。 王子を正気に戻してから四日、体調も回復し、ティキとワイズリーは仲間達と合流する為に城を出発した。 「忘れたのか?王子は、死んだ身だぞ」 「……ああ、そういやそうか」 「王子を正気に戻したと言うことは、王が悪魔と交わした契約を破ったことになる。契約を破っていつまでも生かしてやるほど悪魔は優しいものではないじゃろ」 「……ま、俺には関係ねぇな。あの王子が死のうがどうなろうが」 「体の関係になった相手だというのに、冷たいのう」 「好きでなったわけじゃねぇ」 「ほう?何の未練もないか」 「何でそんなこと聞く?」 ワイズリーのニヤニヤとした顔を見て眉間にしわを寄せつつ尋ねると、ワイズリーはケタケタと笑った。 「魔眼のワイズリーを甘く見るな。お主ほど心を読みやすい相手なら、お主が無意識に思ってることも読めるぞ」 「どういうことだ?」 「さぁの。そこは自分で気付けってことじゃ」 「おい、」 もしや馬鹿にしているのかとワイズリーの肩を掴むが、ワイズリーの口から謝罪の言葉は出てこない。普段ならばからかっていた場合は慌てて謝罪してくるのだが。 「運命ならばまた会う時がある。そう言うことだ」 「……わけわかんね、行くぞ」 「ああ、勿論。さっさと帰って、千年公を安心させてやらねばな」 |