「…ここは、」

真っ暗だった空間に徐々に色が付いてきた。ティキが立っている場所は、回廊への入り口だった。大理石で出来た廊下から見える庭には、色とりどりの花が咲き乱れている。

『城の中だ。近くに王子がいるはず』
「ワイズリー?」

頭の中で響く声に驚いて辺りを見回すが、ワイズリーの姿はどこにもない。

『すまんの。邪魔が強い所為で声しか飛ばせん』
「大丈夫か?」
『お主が飲み込まれんようにはする。心配するな。それより、王子を探せ。王子の記憶だが、悪魔の干渉が激しい所為でお前と王子の距離にずれがある』

ワイズリーに言われ、辺りを見回す。今まで数度、ワイズリーの能力で他者の記憶を垣間見たことがあるが、その時はすぐに記憶の持ち主を見つけることができた。だが、王子が見つからない。

「おい、いねぇぞ」

王子の記憶と言うことは、王子が近くにいなければ王子の記憶として残らない。いないはずはないのだが。
戸惑いつつ足を一歩踏み出すと、回廊の柱の影が少し動いた。

「……いた」

近づいてみると、王子が幼い背を壁に預け、居眠りをしていた。今とは違い、男ものの衣装を着、髪も質素な紐でひとつに結っているだけだ。寝顔も、あどけない。

『ほう、こうしてみると可愛いではないか』
「今は化け物だぞ」
『まあまあ。化け物とは言うが、ぶっちゃけワタシらもそう変わらんだろ。物を通り抜けたり、人の頭を弄ったり。特に、お主の体はイノセンスでない限り傷つけられん。普通ならば何度も死んでいることを考えれば、王子と似たり寄ったりだと思うぞ』
「…ち、」

ノアの一族の能力は生まれた時に神から授かった大切なものだ。悪魔との契約で得た力と一緒にするなとは思うが、確かに近いものはある為そこまで否定できない。

『しかし、同じ化け物でも、その王子は異色すぎるが』

共生できるかと言えば別だとワイズリーがはっきりと言い、ティキは少しほっとした。
王子の記憶に入り込む前までは散々、お互いに王子のことを化け物と呼んでいたのに、記憶の中の幼い王子を見た途端ワイズリーが王子をフォローし始めたので、情が移ったのではと思ったのだ。

「今はいつだ?こいつが契約するまで、あとどれ位あるんだよ?」
『まあ待て。入り込めたのはいいが、本当に記憶を弄れんのだ。出来れば契約のところまでさっさと行きたいが……』

王子が眠っているところなど、別に見ていても意味はない。普段のワイズリーならば、自分の見たい場所をすぐに探し出してそこに移動するのだが、今回はそうはいかないと言う。

「…誰か来た」

先程までティキが立っていた回廊の入り口から、誰かが回廊に入ってきた。入ってきたのは、王子と同じくらいの背丈の少年だった。後ろ髪と前髪は短く、左右の髪だけは耳よりも長く伸ばしている。城にいる人間にしては珍しく、肌を露出させた、独特な格好だ。

「……へぇ、」

ティキの横を通り過ぎる瞬間、少年が目だけを動かしちらっとティキを見た。だが、すぐに王子の方へ目を動かし、にこっと笑う。

『…あの子供、お主を見たか?』
記憶の中の出来事は、すでに起こったことであり、通常ならば記憶の中の人物がティキのことを見るなどあり得ない。

「ユウ、起きて。そろそろ王様が来るよ」
「う……!!」

眠っていた王子が、王が来ると言う言葉を聞いてぱっと目を開く。慌てて立ち上がると、回廊を見まわし、ほっと息を吐いた。王子は、ティキに気付いていない。

「部屋に戻ろう?」
「ああ、」

少年が王子の手を引き、回廊を出る。

「ありゃ何だ?」
『わからん。だが、唯の人ではない』

二人の子供の後を追いながらワイズリーとあの不思議な少年について話をする。

「お前の邪魔してる奴ってことはないか?」
『むー……いや、それはない。記憶の中の王子と会話しとるからな。記憶の中の住人だ』
「じゃあ何で、俺に気付いた?」
『…まぐれ?』
「戻ったら殴るぞ」

唯の人間ではないと言ったのは誰だと舌打ちすると、ワイズリーが困ったように口籠った。

『兎に角、王に怯えているということは、知りたい記憶まで遠くないはず。そのまま王子の後を追ってくれ』
「わかってる」

王子と少年は、ティキが良く知る場所に入り込んだ。今現在、王子がティキを捕まえている王子の自室だ。
王子は部屋に入るとしっかりと鍵をかけ、窓枠に座っている少年に話しかけた。

「悪いな、見張り頼んで」
「いいって。ユウの頼みだからねー」
「…けど、本当に何も返さなくていいのか?」
「うん。俺、対価を貰うほど大それたこと出来る力ないからさぁ」

足をぶらぶらとさせている少年は、すまなそうな顔をする王子に明るい笑顔を向ける。

「ユウがもっと大きくなって、俺ももっと力を付けた時に、ちゃんと契約しようよ」

王子と少年が指切りをし、笑う。その一見微笑ましい光景を見ていたティキの頭に、ワイズリーの声が響く。

『あの子供、悪魔っぽいのう。力が云々と言っている辺り、姿でだましてるわけでもなく、本当に子供のようだが』
「じゃあ、あれが王子を蘇らせる悪魔か?」

「違う」

「!」

ワイズリーに尋ねたはずなのに、少年が口を開いた。これと言って王子と話をしていたわけでもなく、突然「違う」と言った為、王子がきょとんとして少年を見る。

「アルマ?どうした?」
「ん?んーん、ユウには関係ないんだ。大丈夫」
「…そうか?」

変な奴だと言い、王子はベッドに乗り、枕の傍に置いてあった本を読み始めた。少年は王子が本に集中するまで王子のことを見ていたが、王子が一定の間隔で頁をめくるようになり始めると、ティキの方をキッと睨んだ。

【何?】

ティキの頭の中に、ワイズリーの声とは違う声が響く。先程まで、少年に向かって話しかけていた声だ。

「…記憶じゃないのかよ」

記憶の住人のはずなのにどうして話ができるのかと問うと、少年は口の端を上げて王子の隣に座った。

【記憶だけど、記憶じゃない】
「……さっき、王子を蘇らせた悪魔じゃねぇって言ったな?じゃあ、お前は何だ?」
【ユウのトモダチだよ。トモダチで終わっちゃった】
「どういうことだ」

もっと深い関係になりたかったのにと言う少年に、訳がわからないと詳しい説明を求める。面倒だと言わんばかりに溜息をついた少年だったが、【仕方ない】と言葉を続けた。

「ユウ、少し外を見てくるよ。部屋から出ないでね」
「ん」
【ついてきて】

少年が窓から飛び出し、ティキもそれに倣って外へ出る。暫く歩いた後、少年が振り向き、口を開いた。

「貴方のことは、ユウの中から見てた。こうして、話をする機会があるとは思わなかったけど」
「お前、何だ?」
「悪魔だよ。ユウの記憶の中に住んでる」
「住んでる?」
「正確に言うと、閉じ込められてる、かな?ユウをあんな風にした悪魔の力が強すぎて、記憶の外に出られない。ぼくまだチビだからさぁ、体も、力も」

見ていて切なくなるから外に出たいんだけど、と言う少年は、ティキの疑わしげな目を受けて肩を竦める。

「記憶に住んでるなんて言っても、簡単には信じられないよね」
「お前、王子を蘇らせた悪魔のこと知ってるのか?」
「知ってる。悪魔の中でも生き返らせることは禁忌って言われてるのにさぁ、あんなちっぽけな対価でよくやるよ」
「対価?」
「国民の百の命。ぼくだったら、千でもやらない」
「ちっぽけって、百人死んでるってことだろ?一人の命の為に、」

百人の命をちっぽけと言える悪魔の神経がわからないと首を振ると、少年は不思議そうにティキを見た。

「貴方にそんなことを言われるとは思わなかったけど。貴方がやってきたことは、悪魔の対価より残酷なのに」

そう言われてしまっては、ティキは何も言えない。少年の言うとおり、ティキは優に百を越す人間を己の私利私欲の為に殺している。

「対価となった人間の命は、ぼくたちの糧になって生き続ける。でも、貴方が快楽の為に殺した人間は?」
「…そうだな」

悪魔と言う存在に己の罪を咎められるとは思っていなかった。多くの人間から人殺しと言われても何とも思わなかったが、悪魔に「悪魔より酷い」と言われると、流石にきつい。

「まあ、そんなことを今言っていても、仕方がないね。過ぎたことだし。ユウから逃げられたら、ちょっとは考え改めなよ」
「もう大分後悔してる。あの王子様が散々やってくれたからな」

死刑の方がマシだったと吐き捨てると、少年はけたけたと笑い、腹を抱えて目に涙を滲ませた。