「おう、案外元気そうじゃの」
「来るのが遅いんだよ、」

いつものように散々王女に良いように扱われ、王女の入浴中に束の間の休息を味わっていると、ティキと同じ色の肌をした男が窓からひょこっと顔を出した。頭には独特な紋様のターバンをし、額には奇妙な模様がある。

「一人か?」
「王女は隣だ」
「隣?…ああ、」

微かに聞こえてくる水音で隣の部屋が何か分かったようだ。男は小さく声を出した後、じっとティキを見てにやりと笑った。完全に人を馬鹿にしている笑みだ。

「にしても、面白いのう。お主が自分で自身を慰めるとは。ノア一族一の色男が」
「うるせぇ。つか、さっさと助けろよ。今がチャンスなんだ」

ここにわざわざやって来たということはそういうことなのだろうと首輪と壁を繋ぐ鎖を鳴らすと、男はじっと鎖を見た後、ふっと笑って首を横に振った。

「ワタシに出来るわけがないじゃろ。頭でも打ったか?」
「お前何しに来た」

助けるわけでもなく、ただ会話をするためだけにこの天敵だらけの国へ侵入したのかと咎めると、男からは肯定でも否定でもない溜息が洩れた。

「こんな恐ろしい国、出来れば来たくなかったがの、千年公がどうしてもお前の助けになってやれと……全く、貧乏クジを引いてしまった。お主が王女に殺されていれば、それを報告するだけで済んだのに」

男の言う千年公とは、一族の頭領であり、そして、一族の中で人々から最も恐れられている人物だ。
本名は一族以外知る人はなく、最初はただ、『ノアの一族の頭領』と呼ばれていた。しかし、その呼び名が長かったためか、人々の間では徐々に違った呼び名が浸透していく。
古い文献にも彼らしい人物の記述がなされている為『千年』。そして、恐れながらも彼の実力に敬意を表すものが出てきて『公』。『千年公』という呼び名だ。
元々は外で広まった呼び名だったが、本人が気に入り、今では一族でも彼を千年公と呼んでいる。

「ま、つまり、助けになるために来た」
「それは、ここから助けるって意味じゃねぇのか」
「だったら、千年公も、もっと力自慢の奴にお願いするじゃろ」
「……それなら、お前は何の手段で助けになってくれるんだよ。是非聞きてぇな」

苛々した気分を隠すことなく男に尋ねると、男はティキの感情を表に出ている以上に感じ取ったらしく、肩を竦めて懐から紙を取り出した。

「この国について調べてみた」
「イノセンスの鉱山を持った、俺達の天敵国だろ。それだけ知ってりゃ十分だ」
「まあ聞け。この国には二つ特徴がある。一つは、お主の知っているイノセンスを大量に所有しているというもの。もう一つは、悪魔崇拝」
「へぇ?」

今時悪魔崇拝をやっている国があるはずがないと適当に聞き流そうとしたティキだったが、男に頭を殴られ、睨まれてしまった。ノアの一族一の頭脳派と自称している男は、自分の調べた事を真剣に聞いてもらえないと苛立って手を出すのだ。

「ちゃんと聞け。ぶっちゃけ、悪魔崇拝が今一番、お主に関係してることなのだぞ」
「何で」
「神を崇拝している国があれば悪魔を崇拝している国もある。人々を平等に愛する神よりも、一人の欲を叶える悪魔の方が有能と判断する学者も少数だがいる。人が信じ敬えば悪魔も神になる。悪魔崇拝は神を崇拝しているのと何ら変わりはないと思え」
「わかったわかった。謝る。悪かったって。で、何で俺に関係があるんだよ」

難しい話を好まないティキにとって、この男の話は退屈であり、頭の痛くなるものだ。これ以上悪魔崇拝、信仰について話を広げられても困ると軽くだが謝り、話の本筋の続きを促す。

「よし。では、悪魔崇拝のある国だと言うことを頭の片隅にでも残して聞いておけ」
「ああ」
「今から十八年ほど前、この国に王子が誕生した。妃は王子を産むと同時に亡くなり、今もこの国の妃の椅子は空いておる」

長くなりそうな話だとティキは男に遠慮なく眉を顰め、隣部屋からする音を確認する。まだ、王女は入浴中のようだ。

「安心せい。なるべく短く終わらせるよう努力はする。ワタシも捕まりたくないからの」
「ああ、そうかよ」
「で、続きだが、王子は大きくなるにつれて、亡き妃の面影が強くなっていった。何となく続きがわかるじゃろ」
「は?」
「……王は亡き妃を心から愛しておった為、次の妃を迎えることができなかった。そして、妃に似ていく我が息子」
「何、自分の子供ヤったのか?」

流石にここまでヒントを出されれば、頭を働かせることが苦手なティキでもわかる。ティキが言葉にすると、男は大きく頷いて口を開いた。

「十二歳になったばかりの王子を部屋に閉じ込め、性的な行為に及んだ。王子だから良かったが、いや、良いというわけではないが、もし王女だったらこの国は終わっておったじゃろうな。王女がよその国から王子を迎えても、王女の処女がなかったとなれば、誰が王女と契ったのかということになるし、そうなれば自然と王のことが民衆の耳には入ってしまうからの」
「脱線してねェで続き話せ」
「つい、すまんのう。で、犯された王子はというと、当然嫌がった。当たり前じゃな。しかし、王は幾度となく王子を犯し、王子はその度に抵抗した」
「まあ、男なら当たり前だな」
「そして、いつまで経っても自分を受け入れようとしない王子に、王がプツンと切れてしまった。妃がいなくなってから、国政はともかく、それ以外の面では狂っていたらしい。妃によく似た王子に己との色事を拒否されつづけ、我慢ができなかったんじゃろうな。王は、国一番の薬師に媚薬の調合を依頼した」
「媚薬ねぇ……」

ティキも何度か捕らえた女に使ったことがあるが、決して良い物ではない。一度使用するだけで使用者の人格は壊れ、元に戻らない。媚薬を使った女は全て、使用後死んだ。ティキや仲間が処分した女もいれば、狂って奇怪な行動をとって自殺した女もいた。

「当然、薬師は王に考え直せと言ったが、王は薬師の妹を人質にしてまで、媚薬の調合を強いた。薬師の作った媚薬は完全なもので、裏で売買すれば小さな国一つは買えるくらいの値がついたはずじゃ。手抜きも考えたのだろうが、薬師のプライドと、妹を人質に取られているという状況から、手抜きは許されないと判断してしまった」
「使われた王子はどうなった?」
「勿論、最初は従順に王を求めた。王に言われるままに、王が抱いてどうしようもない熱を冷ましてくれるならと、手に持つ剣を花に変え、女の衣装を着、紅を付けた。だがのう、媚薬を使われて理性を保っていられるのなんて、最初だけじゃろ?媚薬を使われてから三日、王子はあっさり狂ってしまった」
「ガキにしちゃ、もったほうだろ。三日って」
「まあな。狂った王子は昼夜問わず常に誰かのモノを求め、昼は国政で忙しい王の代わりに、兵士に使用人、挙句の果てには牢屋に入れられた罪人にまで手を出し始めた。ここまで狂ってしまえば後は早い。王は薬師に媚薬を中和する薬を作るよう言ったが、そんな薬が作れるわけもない。眠ることも食べることも忘れ、色欲に支配されてしまった王子は、狂って一週間後、死んだ」
「王は王子が死んで、やっと反省、か?」
「反省したかどうかと言えば、一応はしたんじゃろうな。だが、話はこれで終わりではない。息子の死を悲しんだ王は、国が崇拝している悪魔に息子を蘇らせてくれるよう助けを求めた。悪魔は王の願いを受け、王子を蘇らせた。その王子は、」
「待て、」

話を脱線させたかと思えば、今度は肝心なところをさらっと流そうとする。
続きを話そうとする男を止め、男の言った信じられない言葉を繰り返す。

「蘇らせた?どういうことだ?」
「言葉の通りじゃ。王子は生き返った」
「あり得るのか?」
「俄には信じがたいことじゃが、ワタシが王の頭と、媚薬を作った薬師の頭を覗いて調べた限り、本当に王子は生き返っておる」
「そんなことが出来るなら、どうして妃を蘇らせなかった?」
「簡単なこと。蘇らせようとしたが、妃が清楚すぎて悪魔が王の願いを受け入れなかった。王子は色欲に飲み込まれておったからの、悪魔に好まれたんじゃろう。可笑しなものじゃのう。媚薬を使ったからこそ王子は蘇ることができたが、そもそもその媚薬がなかったならば、王子は死ぬこともなかった」
「その王子は、今どうしてるんだ?」
「王子が犯されたいという欲に支配されていたからか、悪魔は王子を蘇らせるだけでなく、王子を何があっても天寿が尽きるまで死ねない体にし、王子の死に関わった以外の国の人々の記憶を、十二年前誕生した王子を王女であったと書き換えた。言っとくが、蘇った王子の体は男のままじゃからな」
「……嫌な予感がしてきた」
「ふむ。なかなか鋭いな。周りから王女と見られ、呼ばれるようになった王子は、蘇っても媚薬に支配されていた感覚が抜けず、六年経った今でも男に抱かれることに喜びと生きがいを感じておる。蘇ったばかりの頃は王に抱かれておったが、王も年をとり、使い物にならなくなってきた。王の勃ちが悪いと感じるようになってきてからは、気に入った罪人を奴隷とし、己の部屋に閉じ込め、自由気ままに奴隷のモノで己の色欲を満たしておるよ」

同じ男として聞いていられない事実だと、男が憐みを込めた眼で隣の部屋へと続く扉を見る中、ティキは頭痛が酷い頭を抱えつつ男に尋ねた。

「つまり、今、俺を所有しているあの王女は、」
「六年前に媚薬に狂わされて死に、悪魔によって蘇った哀れな王子じゃ。王女ではない」