全くもって自分は運がない。
男は体も満足に動かせない小さな牢屋で溜息を吐いた。

男の名前はティキ・ミック。近年、人々を恐怖させていたノアの一族と呼ばれる盗賊団の一員だ。 盗賊団の人数は十四人と少なかったが、その残虐性と、さらに他者にはない特別な力があることで、人々から恐れられていた。
ティキ・ミックも例外ではなく、この世の万物を透過できる能力があり、その能力を使って人から金品を奪うだけでなく、一人で国ひとつを滅ぼしたこともある。
そんな彼が掴まったのは、団内の裏切りが原因だった。一族の中で十四番目と呼ばれる男が、一族一人一人の能力、そして弱点を多数の国に売り、姿を消したのだ。
弱点を知ったことより、ノアの一族を恐れていた国は強く一族を滅ぼすことを望み、莫大な賞金を彼らの首にかけた。
弱点を知られても、賞金稼ぎの力がそこまで強くなければ返り討ちにすることができる。 しかし、連日の襲撃によって疲れていた彼は、相手に一瞬の隙を見せてしまった。その隙を、見事に突かれてしまったのだ。
しかも、その隙を突いたのがまだ幼さを残す少女だというのだから、堪ったものではない。歴戦の兵のような風貌の男なら、まだ仕方がないと思えたのだが……。
さらに、その少女は牢屋番がニヤニヤとティキを馬鹿にしながら言ったことが本当なら、この国の王の子らしい。つまり、王女。どうしてあんな物騒な場所に王女がいたのか、何故あれ程太刀筋が良かったのか、引っかかることは様々あるが、蝶よ花よと大切に育てられているだろう存在に負けてしまった。

このままでは死ねない。

すでにティキには、明日の日暮れに処刑という決定が下されていたが、ティキとしてはそんな不名誉な原因で死にたくない。生き延びて自分を捕まえた少女の息の根を止めなければ気が済まない。
万物を透過できる能力があるティキならば、本来ならば簡単に牢屋を抜け出せる。だが、今は腕につけられた手枷の所為で能力が使えない。
ティキや他のノアの一族の弱点、それはイノセンスと呼ばれる物質で、ティキはその物質だけは透過することができないのだ。牢屋から抜け出そうとしても、イノセンスが組み込まれた手枷が引っかかって抜け出せない。

チャンスがあるとしたら、処刑直前、広場の処刑台に連れて行かれる途中だろうか。枷はあるだろうが、牢屋から出さえすればあとはどうにでもなる。








太陽が真上から少し降りた頃、ティキは牢屋から出され、前後をイノセンスを組み込んだ武器を持った兵士に挟まれて広場へ向かっていた。
城から広場までは、あの残虐集団の一員が処刑されるのを今か今かと待っている民衆で溢れ、開いている店に客や店員の姿はない。

「この、化け物っ!」

そう言って、誰かがティキに向かって石を投げると、次から次へと石が飛んできた。だが、石はティキを通過し、ティキの前後を歩いている兵士にしか当たらない。
当たっていないことに気付いていないのかと呆れるが、兵士に石が当たって苦しんでいるのは面白い。 適当に当たったフリをしつつ、ティキの体質を知っていて恨めしげな眼を向ける兵士を嗤う。

通り道もなかなかのものだったが、広場はさらに多くの民衆で埋まり、なかなか異様な光景になっている。大理石で作られた特等席には豪勢な椅子が数脚あり、右端の椅子にはティキが狙う王女がいた。王女は、ティキが考えていることなど知らず、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに欠伸をしている。

「さっさと歩け」

兵士に指摘され、王女を見ていて足が止まっていたことに気付く。素直に足を動かし、民衆の頭ほどの高さにある処刑台まで辿り着くと、ティキは手枷の鎖を掴んでいた兵士を蹴り、処刑台から落とし、ティキの行動を見て慌てて槍を構えようとした兵士から槍を奪って兵士の腹に突きさした。
広場に女達の悲鳴が響き渡るが、ぎっちりと詰まりすぎているせいで誰もが思ったように広間から逃げることができない。
ティキはそんな民衆の頭を踏みつけ、一直線に王女へ向かって走った。民衆の悲鳴など気にせず眠りの世界へ行こうとしていた王女はティキが大理石の床に降り立ったところでやっとティキに気付いたが、もう遅い。ティキの持つ槍が王女の心臓を深々と突き刺した。

「ザマァミロ」

止めだと、突き刺さった槍をさらに深くまで押し込む。
民衆たちは広場からいなくなり、ティキは再び兵士たちに取り押さえられたが、もう後悔はなかった。王女を殺せたことで、気は晴れた。
処刑台に連れ戻され、ギロチンに体を固定されて、後は刃を支えているヒモを切ればティキの首と胴は離れる。
王の合図で兵士が剣でヒモを切ろうとした時だった。

「待て」

凛とした声が人がいなくなった広場に響き、ティキの耳にも入る。一体誰だと動かない頭を動かすと、ティキは信じられないものを見た。

「父上、あの男、殺さないで私に下さい。是非、飼い慣らしたい」

王女が立っていた。右手に血に染まった槍を持ち、左手で自らの血で汚れた衣装を気にしているが、痛みを感じている様子は感じられない。

「しかし、あの男、お前を突き刺し殺したのだぞ?」
「私が油断したからです。けれど、油断したとは言っても私を殺せたのはあの男が初めて。お願いします、父上」
「む……」

何て会話だ。
自分の死にさえ恐怖したことのないティキだったが、王と王女の会話に寒気を感じた。王は自分の言っていること、話している相手のことを分かっているのだろうか?
王女は、ティキによって死んだはずなのだ。それが、息をしている。どうして、この異様さに気づかないで平然と会話をしている?

「もうあんなみっともない姿は見せません」
「…仕方がない。兵よ、そやつを処刑台から解放しろ」
「はっ!」
「おい……」

兵士も兵士で、王の隣に血だらけの王女がいることなど気にせず、王の命令に従ってティキを処刑台から解放する。そして、ティキの手枷の鎖を近づいてきた王女に渡した。 「化け物か、」

確かに殺したはずだったのに、とティキが吐き捨てるように言うと、王女はさも面白そうにティキの発言を嘲った。